BBC 版の『ブラウン神父』は 2013 年から放送される人気シリーズで、現在シリーズ 11 まで公開されているようです。アマプラではシリーズ 9 まで見られます(2024 年 8 月現在)。
(アマプラのリンクです)
非常に厳しい倫理観を背景にしたドラマで、罪の象徴のような人物が二人登場します。一人はマロリー警部補、もう一人はマッカーシー夫人です。
マロリー警部補がシリーズ 4 で登場したときはがっかりしました。前任のサリバンがおもしろかったからです。サリバンは赴任当初こそ、自分より先に現場に登場するブラウン神父にいらだちをつのらせるものの、徐々に彼を信頼するようになり、最終的には協力するようになります。この経緯が自然だったし、楽しかったのです。
サリバンに比べマロリーは頑固で、何度ブラウン神父に助けられようと、言動を変えず、神父をあなどりつづけます。捜査手法も乱暴で、ほとんど物証のない状況から、ほぼ偏見に基づいてストーリーをつくり、冤罪を生みます。それだけでなく、過去に起こした冤罪事件のせいでたいへんな危機に陥ったこともあります。家族が誘拐され、脅迫されたのです。その事件を解決したのもブラウン神父でした。
なのに反省しないのです。
彼にはほとほとうんざりしました。
自分のしでかしたことで家族の命が危ない事態まで起きたのに、反省しないなんてこと、あるんでしょうか。
現実より論理より倫理より、自分のストーリーや妄想の方を大事にする人はいくらでもいます。マロリー警部補は、そういう人物として描写されていて、刻一刻罪を重ねています。マロリーのような人物に傷つけられたことのある人間にはあまりにきつい描写です。そういう人は変わらない、というメッセージですから。あまりにきついので、私は彼の出てくるシリーズ 6 〜 8 はスキップし、9 は流し見し、サリバン再登場の 10 から真面目に見ることにしました。
一方、マッカーシー夫人。この人の悪癖は噂話を広めてしまうこと。自分では見てもいないこと、事実かどうか不確かなことでも、自分の世界観に合うことなら「やっぱり!」と広めてしまうのです。マッカーシー夫人のように、事実より現実より自分の偏見と差別意識の方が大事な人はたくさんいます。でも、彼女は都度都度友人や神父にその行為を諫められ、時にはかなり強く叱責されているのです。それでも彼女は変わりません。
非常にハードな世界観のドラマだと思います。
事実と論理と倫理を重視しない人間は一生そうで、そういう人がいる社会で論理や倫理を積み重ね真実に至るのは非常に困難なことなのだと、『ブラウン神父』は伝えます。信仰のような強い信念がなければとても生き抜けない世界で、あなたが真実を口にしたとしても、たった一度なら黙殺されるか冷笑されるに終わり、そこで口をつぐむならあなたも罪を犯しているのと変わりはないのだと。
このドラマをすべて見通す強さは自分にはありません。
私には、人間にとって快適なのは論理や倫理の方で、偏見や妄想ではないという信念があります。事実をないことにし、不確かなことで人を誹謗し、いやがらせや暴力で人を支配する人間は不幸です。当人が勝利に酔いしれていたとしても、多数派を構成し、大勢の仲間に支えられるとしても、絶対的に不幸なのだというのが私の信念です。どれほどひどいことであっても、妄想で腹を立て続けるよりは、事実に向き合った方がずっとマシです。あれほどの経験を重ねながらマッカーシー夫人が同じ間違いを重ね、そのために殺意を向けられるに至るなんて、彼女が気の毒です。マロリー警部補もマッカーシー夫人も不自然なまでに迷いなく愚かで、まるで「人間が犯す罪の象徴」のようで、人間に見えない。
主要登場人物の交替するシリーズ 10 を楽しみに待ちたいと思います。
📺 おわり 📺