歌一首のみの章段が続くので、一気に、手短に行きます。
五十一
昔、男が人の前栽に菊を植えたときに
植ゑし植ゑば秋なき時や咲かざらん花こそ散らめ根さへ枯れめや
(しっかり植えましたから、秋のない時は咲かないでしょうけど、
秋には咲くでしょう
そして花は散るでしょう
でも根までは枯れないでしょう
『古今和歌集』秋に業平の歌として収められている歌。菊を株分けしてあげたときに詠んだ、ややこしいようでいてそうでもなくて、何度も読んでいると気楽な気持ちになってくる歌。
五十二
昔、男がいた。人のもとよりかざり粽を贈られたとき、その返事に
あやめ刈り君は沼にぞまどひける我は野に出でてかるぞわびしき
(このあやめを刈るのに君は沼をあちこち探したんだね。
私は野に出て、これを狩るのが大変でした
と言って、雉を贈ったのでした。
和歌だけど、漢詩の対句風になっているんですね。
五十三
昔、男がなかなか会えない女に会って、いろいろと語り合っているところに、夜明けをつげる鳥が鳴いたので、
いかでかは鳥のなくらん人知らず思ふ心はまだ夜深きに
(どうして鳥が鳴いているのだろう
人知れずあなたを思う心はまだ夜深く、明けるものではないのに
うむうむ。
五十四
昔、男がつれない女にこう詠んで贈った。
ゆきやらぬ夢地をたのむ袂には天つ空なる露やおくらん
(会うこともできない夢路すら頼りにしています
私の袂には天の露が降りたようです
女が会ってくれないので、せめて夢で会いたいと思うんだけど、会えなくて、泣いちゃった、という。うむうむ。
五十五
昔、男が思いを寄せた女が、とても思いを遂げられそうにない状況になって、
思はずはありもすらめどことのはのをりふしごとに頼まるるかな
(私のことを思ってはくれないようですが、
あなたの言葉の端々に、そうでもないのかなと思ってしまうのですよ
ふうむ。切ないですねえ。
五十六
昔、男がある人を、寝ても思い、起きても思いながら暮らして、その思いがあまって、
我が袖は草の庵にあらねども暮るれば露のやどりなりけり
(私の袖は草の庵ではありませんが、
日が暮れるとそこに露がやどるのです
「袖」に「露」で「泣いちゃう」ということ。袖から露に至るまでに、露の縁語「草」が挟まったり、日が暮れたり、色々あります。うむうむ。
五十七
昔、男が人知れず恋をした。そのつれない相手に、
恋ひわびぬ海人(あま)の刈る藻にやどるとて我から身をもくだきつるかな
(恋をして疲れ果ててしまった
海人が刈る海藻に宿る虫「われから」のように、
自分から自分の身をくだいてしまったのです
そっかあ。
この辺りの和歌を読んでいて、ふと、高校のときに受けた古典の授業を思い出しました。先生はわりと淡々と文法重視で授業を進めるスタイルだったと思いますが、あるとき、こんなことを語ってくれました。
「こうして古典を読むと、昔の男の人は実によく泣いたと思いませんか。そして、『私は泣いた』ということをよく歌に残している。『男なんだから、泣くんじゃない』と言われた人が多いと思いますけど、今だって、男の人たち、どんどん泣いて、『泣いたよ』と言っていいんですよ」
今にして思うといい授業ですよね。
今日は二週間ぶりに外に出ました。
空は青々とし、蝶が舞い、鳥が飛び、蝉が鳴き、世はにぎやかでした。そして勘が失われたのか、スーパーで何の気なしにした買い物が五千円近くになり、「おっと」と思いました。

ではでは〜。
📚 つづく(まだ半分にも至らない)📚
