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高畑版『赤毛のアン』第 34 話「ダイアナとクィーン組の仲間」

 昨日は『赤毛のアン』第 34 話「ダイアナとクィーン組の仲間」を拝見しました。
 原作第 30 章「クィーン学院受験クラス、編成される」の真ん中部分。アニメでは、ダイアナとアンの道が分かれてしまう、このときのことを原作よりもじっくりと描いています。アンの、生涯結婚せずダイアナと暮らすという夢は、アン自身もそうはならないかもしれないなと思う部分もありながら、そうでない場合よりずっと完全な、立派なもののように思われていたのだなあと、しみじみしました。

十八世紀から十九世紀後半にかけて、北米では、中産階級の(特に高学歴の)女性が結婚しないで女同士で暮らし生涯を共にすることは、二十世紀でのように同性愛者と解されることはなく、胸ときめく友愛であり、知的で道徳的な人生設計と見なされ確立していた(『レスビアンの歴史』リリアン・フェダマン著・筑摩書房)。また当時は、結婚しなければならないという社会の抑圧も、現代ほど強くなく、生涯を独身で過ごす人々は少なくなかった。       (松本侑子訳『赤毛のアン』「訳者によるノート」より)

 アンの求める「完全」な世界では、アンとダイアナはずっと人生をともにし、道徳的で、立派な女性として生きていくはずでした。それがかないそうもないとわかり、彼女には大きな挫折でしたが、リンドのおばさんやマリラの助言もあり、ダイアナと和解できました。二人であらためて誓いを延べあい、愛と友情を言葉にする姿は厳かで真剣でした。彼女たちが真剣になればなるほど、マリラもレイチェル(・リンド)も私も笑ってしまうのでした。
 それにしても、アンはよくレイチェルとおしゃべりをしているのだなあと思うようなエピソードが続きます。暖炉の前に座って、あれほど長々とマリラと話しているのに、レイチェルともぺちゃくちゃしゃべっているとは。アン、ほんとにずっとしゃべっている。




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