
せっせと通っていた居酒屋が閉店してしまったのです。
貴重な、ちゃんとした日本酒を置いているお店でした。
今やっている仕事が終わったらあそこに行こうねえ、真っ先に行こうねえと楽しみにするようなお店だったのです。
ちなみに「ちゃんとした日本酒」というのは、「お店のご主人が酒屋さんと相談しながら仕入れていることがわかるような、おいしい純米酒」というほどの意味です。有名な蔵のものだとか、大吟醸だとかではなく、もうちょっと素朴なことです。
さらに、私はホヤやホタテ、ウニなどのべろべろしたものが大好きで、それらを夫があまり好まないので、そのお店で生き生きと食べる習慣にしておりましたので、これから一体どこでべろべろしたものを食べたらいいのか……。
「せっせと通っていた居酒屋が閉店してしまった件」については以上です。
胸にまたひとつ、ざっくりと穴があきました。
おわり。
ここのところよく思い出しているのが、あるとき、このお店で隣席に座った青年たちのことです。
二人はとても仲が悪くて、表面上友好的にはしているのですが、とにかく相手を傷つけるようなことを言って優位に立ってやろうと互いに思っているのが店中に伝播するような雰囲気で、笑いながら喧嘩していました。それで、たまたま隣席になっただけだったのに、「ああ、酒がまずくなる……」と自分の運のなさにちょっとしょげていました。
この喧嘩を若干優位にすすめている方が、脈絡もなく、「お前の親さ、うちに選挙? 投票? 頼みにきたことあるよ。あれ、なに?」と突然言い出しました。このとき私は「その話はやめろ」と声に出して言うところでした。言われた方はぱっと顔を伏せて、「わかんない」と頭を抱えました。
「(創価)学会っていうの?」
「俺は関係ないからわかんない」
「親がそうなの?」
「昔から。なんか、やばいんでしょ」
「そういう家庭環境なの?」
「……親戚とかも、みんなそう」
「みんなそうなんだ?」
「俺は関係ないから、全然話も聞いてないから、わかんない、やばいんでしょ」
と、とにかく「わかんない」「やばいんでしょ」と頭を抱える彼に向かって相手が言い放ったのが、
「政治と宗教の話はしたらダメだよ」
だったときには店中がすてーんとなりました。
「……お前が勝手に言い出したんじゃん!」と、みんな思った。
でもそいつは意気揚々と続けるのです。
「政治と宗教の話はさあ……ダメだよ、戦争になるよ……」
いや、お前が勝手にしかけてんだろう、その戦争のまねごとみたいなことを。
と、思ったとき、うどんが運ばれてきて、そのおいしさに私は頭がいっぱいになりました。そのため、彼らの話がこの後どう展開したかはおぼえていません。
で、今になって思い出すのは、キングオブクズであるところの「戦争になるよ……」発言野郎の方ではなく、頭を抱えてひたすら「わからない」「なんかやばいんでしょ」と言っていた青年の方です。
そんなにこわいのかあと思いました。
今まで彼に何があったかもこれからどうなるかもわからないし、「やばいんでしょ」の中身も知りようがないのですが、そんなにこわいのか、とにかくめちゃくちゃこわいんだな、親の信仰と政治とそして自分の外部が、と思いました。
たとえば、コロナ禍で給付金の対象から風俗業をはずすというニュースがリリースされて、読んだとして、私はどうしても「サイテー!」って思ってしまうし声に出して言ってしまう。
せっせと差別をシステムに組み込んで、それで対応にもたもたして、ほんとにサイテー。
最悪だ。
と、私は言います。
何なら行動のひとつも起こします。
そういうときにふっとあの「わからない」「やばいんでしょ」とうつむいてびびっていたあの子を思い出します。
あの子にネトウヨの弟ふくめ、いろんな知り合いの顔が重なります。
そうか、あの人と私との間にある溝はこんなに深かったんだな。
私が「サイテー!」って言う度、あなたはびくっとなって、「ああ、やだやだ、聞きたくない」って胸がひゅーっとなるような思いをしているんですね。
と、その身体感覚がふっと私にも沸き起こるようになりました。
だからと言って、自分の言動は変わらないのです。わからない、聞きたくないっていう声を耳の奥に再生しながら、同じことをしていきます。
政治や信仰からは逃げられないですから。
- 作者:宇野 重規
- 発売日: 2018/09/27
- メディア: 単行本