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新規フォロワーがだいぶ増えたので自分のことをお話ししておきます

 こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。最近また急にSNSのフォロワーが増えました。私のことを知らない人も多いと思うので、私自身についてちょっとお話ししておきます。

 私はSNSもブログもときどきしか更新しません。ネットではおもにブログで意見を述べてます。政治や社会問題に特化してるわけじゃなく、本や映画、テレビドラマでおもしろかったものがあれば紹介したりもする普通のブログです。なお、ブログにはコメント欄はありませんが、メールフォームがあります。

 SNSはXとBlueskyに基本的に同じ内容の投稿をしていますので、お好きなほうを参照してください。それ以外のSNSにパオロ・マッツァリーノというアカウントがあってもそれは私とは無関係なのでご注意を。ただしイタリアにはニセモノでなく同姓同名の人のアカウントが存在します。

 SNSで個別のコメントにコメントを返すことはありません。それをやり始めるときりがなくなるので。
 個別に返事はしませんがコメントにはすべて目を通してます。重要と思える質問や情報提供があった場合には、ブログ記事やSNSの投稿で言及します。

 ブログとSNSの記事はすべて無料です。私はネットから何の収益も得てません。なので投げ銭みたいな応援をしたいのなら、私の本を買ってくださると助かります。紙と電子版のどちらが著者にとってはいいですかと聞かれたことがありますが、とくに違いはないのでお好きなほうで。
 もちろん、買わずに図書館で読んでくれるだけでも、うれしいです。

 どの本を読んだらいいの? と迷ったら、私の著書を解説したページがあるので参考にしてください。
パオロの著書一覧
 もっとも有名なのは『反社会学講座』ですが、刊行から20年以上経っていて、改訂版も出していないため古くなってしまったことは否めません。
 『誰も調べなかった日本文化史(単行本『パオロ・マッツァリーノの日本史漫談』を改題)』以降の作品では、おもに明治以降の日本庶民文化史を踏まえた上で、いまの日本社会や日本文化を研究・考察しています。なのでこれらの作品は何十年経っても古くなりません。100年後の人が読んでも参考になるはずです。
 読みやすさでいえば雑誌連載をまとめた『「昔はよかった」病』でしょうか。
 中高生にお勧めしたいのは『偽善のトリセツ(単行本『偽善のすすめ』を改題)』 。
 個人的に出来がいいと自負してるのは『サラリーマン生態100年史(単行本『会社苦いかしょっぱいか』を改題)』と『読むワイドショー』です。

 著書の内容を見ていただければわかると思いますが、私は読者が喜びそうなことばかり書くポピュリストではありません。一般大衆の神経を逆なでするようなことでも、それが正しい事実であれば、平気で書きます。

 ネット上でよく見かけるクリシェ(陳腐な決まり文句)として「『反社会学講座』は良かったのに、最近のパオロ・マッツァリーノは嫌いだ」みたいなのがあります。こういうことをいうのは、ほとんどがいわゆるネトウヨやアンチフェミ寄りの人たちです。でも私は『反社会学講座』のころから彼らの味方をしたおぼえはありません。勝手に誤読して私のことを味方だと思いこんでおいて、いまになって裏切られたと怒るのだから、いい迷惑です。

 あと、ネット上では私が大学教員であるというウワサもなぜか20年来絶えないのですが、私は大学教員ではありません。
[ 2026/02/26 17:40 ] 未分類 | TB(-) | CM(-)

マジメで普通の人が一番恐い

 こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。テレビや新聞が事前に予想した通り、選挙で自民党が圧勝し、日本は事実上の一党独裁国家になりました。
 何が恐いって、それが脅しや強制や暴力革命でそうなったわけでなく、マジメな普通の人たちが、事前予測で自民圧勝になるよと伝えられてたにもかかわらず、そのリスクを真剣に考えることなく、自らの投票で一党独裁体制を選択したという事実ほど恐いものはありません。
 やっぱり、マジメで普通の人が一番恐いんです。いま我々は100年前の世界を追体験しているのです。

 およそ100年前にファシズムが生まれました。続いてナチズムも生まれ、どちらも政権をとりました。極右思想の狂信者が支持しただけではそうなりません。マジメな普通の人々が、よかれと思って支持したから、成立したわけです。
 戦時中の日本では、国防婦人会や隣組が市民相互監視システムを担ってました。朝ドラでは、自由で行動的なヒロインを非国民とののしる悪役として登場することでおなじみですが、あの人たちは極右やファシストではありません。マジメな普通の市民、主婦が率先して全体主義国家の手先となり、よかれと思って人権弾圧の最前線となっていたのです。
 そういう人たちは戦後になると態度をころっと変えて、自分らは上に騙されていただけの被害者だといい始めます。映画監督の伊丹万作は『戦争責任者の問題』で彼らの欺瞞を暴きました。何いってんだ、みんな自発的に協力して、騙す側になってたくせに、と。それに表立って反対しなかった自分も含めて批判したのです。

 なぜマジメな普通の人が率先して独裁国家に協力したのか、という疑問は愚問です。マジメな普通の人たちは権威に反抗することができないから、事なかれ主義で強者に味方する道を選びがちです。そしてその自分の弱さをごまかすために、自分の選択は普通で正しいことなのだ、マジメで普通の人間である自分が誤った選択をするはずがないじゃないか、と強力な正常性バイアスで自己催眠をかけるのです。

 今回自民党に投票した人に、あなたはファシストですかと質問したら、たぶんみんな笑いながらこう答えるでしょう。やだなあ、そんなわけないじゃない。自分はファシストだのネトウヨだの極右だのなんて連中とは縁のないマジメで普通な人間です。自民が大勝したからって、日本が独裁国家になんてなるわけないですよ。心配しすぎ。だってほら、政治が不安定だと何かあったときに対処できなくて困るのは国民ですよ。だからむしろ、迅速な決断ができる安定した政権のほうが平和にとっても経済にとっても望ましいんじゃないですか。

 どうです? あれから一週間、多くのみなさんが、こんな感じの理屈で自分は正しい選択をしたのだ、これは日本にとって良いことなのだ、と自分自身に言い聞かせ、何事もなかったかのように日常を過ごしていたのではありませんか。100年前の日本人と同じように。
 長年日本の庶民文化史を研究してきた過程で私が確信したことがあります。人間は100年くらいでは変わらないのです。昭和の頃には、戦後、日本人は変わったと嘆くおじさん(もうすでにおじいさんかな)がたくさんいましたが、それは歴史的に見ると間違いです。大正時代の人たちと現代人の考えや行動は驚くほど似ています。現代人の美徳も悪徳もそのほとんどが、大正時代にすでに存在していたことが文献史料から確認できます。

 私もみなさんを批判することにはためらいがあります。というのは、私も20代のころまでは、選挙のたびに何も考えずに自民党に投票してたマジメな普通の人間だったからです。
 自民党を支持してたわけじゃありません。政治にまったく無関心だっただけです。候補者がどんな人なのかなんて知りません。調べることすらしなかったのですから。
 政治に関心がないなら投票に行かなきゃいいのに? そこはほら、マジメだから。マジメな人は、投票には行かなきゃいけないってヘンな義務感だけは異常に強いんです。
 当時の私がそういう行動を取ったのは、マジメな普通の人は自民党に投票するのが当然だという考えに縛られてたからです。自民党の政治家はイバってて嫌いなはずなのに、自民が与党でいることが日本の社会や経済の安定につながってるのだという、なんの根拠もない理由で、自分の矛盾した行動を正当化してました。まあ、私が20代前半のころはバブル期で、この豊かさがずっと続くものだと思ってたから、政権を交代させなきゃいけない理由などなかったわけです。
 でも、みなさんすっかりお忘れのようですが、バブル崩壊は自民党政権下で起きたんですよ。意図的に起こしたのではなくても、政権与党として本気で防ごうとしなかったことに対する責任はあります。しかもその後何十年も景気回復に失敗し続けたのも自民党でした。
 自民党が多数で安定してれば経済も安定するはずだというけど、その期待が裏切られた時代を、私はこの目で見てきたのです。

 30代になった私は自民党を見限り、無党派になりました。そして考えました。なんで自分は、自民党に投票するのがマジメな人間にとって正しい選択であると思いこんでいたのだろう? 
 それを説明できる唯一の答えは「信仰」です。自民党議員が不正をしようが景気が悪くなろうが、すべて不問にして支持し続けるという行動は「信仰」としかいいようがありません。日本のマジメで普通な人たちにとって、自民党は民間信仰の対象である、としか説明のしようがありませんし、この結論にたどりついたのは私だけではないはずです。ひょっとしたらすでに文化人類学や民俗学、社会学でその説が唱えられていたとしてもまったく不思議ではありません。
 大事故や大災害で多くの被害者が出ると、神も仏もないのか、なんて嘆く声が聞こえてきますけど、その人に「じゃあ信仰をやめたら?」といっても、ホントにやめる人はほとんどいないんです。
 何があっても、どんなヒドい仕打ちを受けても信じ続けるのが信仰です。マジメな普通の人ほど、なかなか信仰をやめられません。信仰をやめることが恐いから。統計調査には、7割くらいの日本人が無宗教だと回答します。でも6割以上の人が初詣に行ってます。墓も葬式も要らないという人もまだまだ少数派です。家や建物を建てる前に神主を呼んでやる地鎮祭をやりませんという人も少数派。町内の神社のお祭りに寄付を求められて、うちは氏子じゃないからと拒否できる人も少数派。
 無宗教といいつつ信仰から自由になれないのは、宗教儀式をやめてしまって「何かあったらコワイ」から。マジメな普通の人ほど、信仰をやめる勇気を持つのはとても難しいのです。自民党支持も彼らにとっては民間信仰のひとつなので、自民党支持をやめたら何かコワいことが起きるのではないかと無意識に考えてしまい、なかなかやめる勇気が持てません。
 でもそれが信仰だという自覚がないので、たぶんいま私がこうして理屈で指摘すると、いいや、そんなことはない! くだらない政治の話なんかするなよ! と感情的になって怒る人がいることでしょう。そして、非論理的な理屈をひねり出して、これは一党支配でも一党独裁でもない、ごく普通のことなのだ、と自己暗示をかけてまた安心するのです。
 しかし、どの党であろうと、一党独裁は非常に危険なんです。自民党だから大丈夫なんて例外はありえないとだけ忠告しておきます。
 あとは、一党独裁の危険性と、先日のブログ記事で指摘済みの、高市さんの問題解決能力の低さというリスク要因に、いつマジメで普通のみなさんがお気づきになるかという点に日本の将来がかかってます。
[ 2026/02/15 17:44 ] 未分類 | TB(-) | CM(-)

私が民主主義を支持する理由

 こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。なんかテレビや新聞の選挙予測では軒並み自民圧勝に近い予想が出てますが、ああそうか、あれはオールドメディアの予想だからいつものように間違っていて、結果は逆になるってことなんですね?
 なんて現実逃避をする気分にはとてもなれません。その予測はかなりの確率で当たりそうなので、さすがに問題だと思い、選挙直前ですが、あえてひとこといわせてもらうことにしました。
 ホントに日本のみなさんはそれでいいんですか? 私は与野党の力が拮抗してるくらいが民主主義にとって理想的な状態だと考えます。

 以前にもいいましたけど、支配と服従という前近代的(あるいは類人猿的)な関係性から人間を解放するのが民主主義であるというのが私の解釈です。
 ひとつの党が圧勝してしまうと、少数派や弱者と対話しようとする動機がなくなります。めんどくさい議論などせずに、数の力でねじ伏せればすぐに決められるじゃないか、選挙で選ばれた勝者にはそうする権利が与えられたのだ、と考える政治家が必ず出てきます。
 それは民主主義ではないし、保守でもありません。権威主義です。力による支配です。

 そしてもうひとつ、意外に思えるかもしれませんが人間を支配と服従から解放する役割を果たしたのが「科学」です。むかしは物事の正しさは支配者が決めて、それを人民に強制してました。支配者が決めた正しさに異を唱えた者は処刑・投獄されました。正しさは人々を支配する道具でしかなかったのです。
 でも科学が万民に開かれたことで、科学的な思考と方法論を学べばだれもが物事の客観的な正しさを追求できるようになりました。
 民主主義は終わったとか、危機に瀕しているとか、いろいろと否定的なことがいわれてます。民主主義は完璧ではありません。欠点があるのは事実です。それでも私は民主主義以外の政治体制を支持する気にはなれません。なぜなら民主主義はもっとも科学的な政治形態だからです。社会の正しさも、根拠と論理をもとに人々のオープンな対話と議論で決められるのが民主主義なんです。
 いまの自民党は、ホントに自由で民主的な政党といえるのでしょうかね?

 政治家なんて誰がやっても同じだよ、みたいなことは、むかしからよくいわれてきました。確かに今回、消費税の扱いとかは、与党も野党も似たり寄ったりです。誰がやっても同じというのなら、釣り合いのとれた民主主義を守るために、自民圧勝だけは避けるための投票という選択にも合理性があることになりますよね。
[ 2026/02/06 20:06 ] 未分類 | TB(-) | CM(-)

問題解決能力と自信がない総理

 こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。高市さんが総裁選に勝ったときに、私は高市さんを問題解決能力の低い人と評しました。(2025/10/16の記事

 高市早苗さんは鹿を蹴っ飛ばしてる外国人がいると批判して、わけのわからん和歌を詠んでましたけど、そんな平安貴族のまねごとをしたって当事者には何も伝わりません。鹿を蹴飛ばしてる外国人に対して、なぜそんなことをするのだ、やめなさいと直接対話してわかってもらわないかぎりは、何の解決にもなりません。
 働いて働いて働きまくるみたいな宣言もしてましたけど、高市さんは問題の具体的な本質を理解して解決しようとする意志も能力も低いのが欠点です。問題解決能力の低い人ががむしゃらに働いても骨折り損になるだけだし、カバーする周囲の人たちの負担ばかりが増えてしまいます。


 そもそも鹿を蹴ってる外国人がいるという事実が確認できてないのですが、その後まもなく、高市さんが午前3時に秘書や官僚を呼び出して仕事をさせたのは事実です。私の見立ては正しかったようです。
 高市さんは問題解決能力が低い人という私の評価は、3か月経ったいまでも変わりません。過去に高市さんが主導して、何らかの問題を解決した例があるか調べたのですが、とくにこれといった実績は見当たりません。
 総理に就任してからも、問題を解決しようとするどころか、問題を無視・静観してばかりです。庶民が悲鳴を上げている米価格の急騰と高止まりに対しても、おこめ券を1回だけ配るなんてまったく的外れな対処法を提示して、仕事をしたつもりになってました。米の価格が下がるまで毎月おこめ券を配り続けます、というのならまだしも、1回こっきりじゃあ何の解決にもなりません。
 国民が切実に解決を願ってる問題は放置しておきながら、誰も望んでない議員定数削減なんてことには熱心なんですよね。他にも、円安への対応も本気でやる気はなさそうだし、トランプの国際法違反に対しても何の批判もしてません。結局すべて、なすがまま。

 誤解しないでいただきたいのですが、私は高市さんが無能だと決めつけてるのではありません。政治家として凡庸すぎるといってるだけです。ありきたりな問題を過去のセオリー通りに処理する能力はあっても、未曾有の現象を分析し問題の本質を正しく見抜き、常識にとらわれず的確な手法で解決する、という有能さは持ち合わせていないのです。なので先が見えないいまの時代に、総理をつとめる資質があるのかとなると、かなり大きな疑問符をつけざるを得ないのです。
 高市さんを熱心に支持してる保守や右派の人たちは、なんでリベラルな連中は日本初の女性首相誕生を歓迎しないのだ、などと皮肉をいってましたけど、やはり彼らはリベラルを完全に誤解しています。
 リベラルな人にとって、総理が男であるか女であるかそれ以外であるかなんてことは、どうでもいいことなんです。重要なのは、総理としてふさわしい能力と人格が備わっているかどうか。それだけです。

 いま高市さんの人物像にもうひとつつけ加えるなら、「自信のない人」。
 異例ともいえる支持率の高さと矛盾するかのような、自信のない態度や行動を取るのが不思議です。自分に自信がないから、つねに不自然な作り笑顔の鉄仮面で武装してなければ不安でしかたがないのでしょう。自信がある人は無理に笑いません。人間として、仕事人としての誠実さは、笑ってなくても言動から自然と伝わるものです。

 だいたい、そんなに国民から高い支持を得ているのなら、堂々と自信を持って自分が目指す政策を粛々と進めていけばいいだけのことです。野党に反対されたって、国民の後ろ盾があれば正面から堂々と説得できるはずです。それを地道に続けることで実績を重ねるのがまさに保守政治の王道なのに、高市さんは早期の解散という奇策に走りました。
 おそらく本人も、問題解決能力や非凡な発想とは無縁の凡人であるという自覚はあるはずです。自分へのいまの高い支持率が実績を反映したものでなく、宣伝工作で作られた虚像でしかないと誰よりわかっているのもご本人でしょう。
 だから選挙で勝つという実績によって不安を払拭し、自信を取り戻したいと考えたとしても不思議ではありません。
 でも私はそこに危険なものを感じます。まあ、いくら虚像の支持率とはいえ、今回の選挙で自民が惨敗する可能性は考えにくいですよね。それなりに勝つとは思いますが、みんなが遠慮していわない、ミもフタもない事実を指摘しておきます。
 選挙で勝っても高市さんの問題解決能力が向上するわけじゃないんです。能力が向上してないのに自信だけを深めてしまうのは、悲劇です。当人にとっても、周囲にとっても。
 今後、問題がうまく解決しない場合に、誰かのせいにするトランプ流を踏襲したり、鹿でなく周囲の人たちを蹴飛ばしたり罵声を浴びせたりなんてことにならないかと危惧してます。この私の見立てが当たらなければいいのですが。

 過去の内閣支持率について、統計学者による分析があるので参考までに紹介しておきましょう。
 『数字が明かす日本人の潜在力』という本によると、内閣支持率は総理が何もしないほど高くなるのだそうです。過去の総理でトップクラスの高い支持率だったのが細川護熙さん。といわれて、そうだよね、とうなずく人はいませんよね。え、何した人だっけ? って感じでしょ。そう、結局何もしないまま短命政権で終わったことで、高い支持率という数字だけが残ったのです。いま高市さんの支持が高いのは、まだ何もしていないから、というのが統計学的な答えです。
[ 2026/01/20 20:16 ] 未分類 | TB(-) | CM(-)

2025年に衝撃を受けた映画

 こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。5年くらい前に苦しんだ五十肩が再発してしまったようなので医者に行きました。今回は腕が上がらないほどではなく、肩よりも首に問題がありそうだとの診断でした。とりあえず筋肉をほぐす薬と痛み止めを処方されました。この薬がけっこう効いて、だいぶラクになりました。

 さて、年をまたぎましたが2025年の回顧の続き。今回は2025年に衝撃を受けた映画など。
 ただし昨年劇場公開された作品ではなく、あくまで私が昨年観た作品なのでご了承ください。私はもう10年以上、映画館に足を運んでません。常時加入してるWOWOWか、ときどき加入するネットフリックスなどの動画配信を利用して、もっぱら家で観ています。

『月』(日本映画)
 衝撃度の高さでいえばこれしかありません。約10年前に起きた、重度障害者施設での大量殺人事件をモデルにした小説『月』を映画化したもので、原作もあくまでフィクションですし、映画は現実と原作を踏まえた上で、事件や犯人像にさらに独自の解釈をほどこしているようです。
 これは気力の充実したときでないと観られないです。私も最初観たときは、あまりの陰鬱さに途中でやめてしまったくらいです。でもどうしても気になったので、後日再チャレンジして最後まで観ました。
 コミュニケーションを取るのも難しい重度の障害者に対して社会は、そしてわれわれ個人は、どう向き合えばいいのか。きれいごとでは済まない現実を突きつけられます。この映画に出演してる障害者は役者ではなく本当の障害者です。彼らの姿を最初目にしたときにはゾワッとしてしまいました。そう感じてしまう自分がいるという事実も正直に認めなければいけません。
 監督と制作陣が、事件そのものをホラーのように描くだけでなく、障害者のきれいごとでない現実と向き合う覚悟を示したからこそ、障害者の出演を、家族のみなさんも認めてくれたのでしょう。
 犯人像も実際とは変えてあるはずです。映画では、彼は誰よりも障害者のことを思いやっていたし、耳の不自由な彼女と同棲までしてる設定です。なのにその彼が次第にゆがんだ優生思想みたいなものに取り憑かれていき、凶行に及ぶ経緯は、常識的な倫理では理解不能です。でもこれに類したことは現実に起きたわけです。原作者も監督も理解はできてないでしょうし、誰にも理解はできないでしょう。われわれにできるのは、現実から目を背けないということくらいなのかもしれず、どうしても無力さを感じてしまいます。宮沢りえさんとオダギリジョーさんが演じる夫婦が、最後まで事件と関わろうとする姿に一縷の希望を見出すのみです。

『お坊さまと鉄砲』(ブータン映画)
 ブータンは王様が自ら、国を民主化するから選挙をやりなさいと命じて民主化が実現したんですね。選挙が行われると聞いたお坊さんが、弟子に銃を見つけてこいと命じる冒頭からして不穏な雰囲気ですが、この映画はコメディです。たぶん監督の演出意図で、役者たちにはコメディ演技をさせてません。みんなマジメに芝居をしていることで、逆に自然な笑いが生まれてます。ラストはすべてが丸くおさまり、みんなが幸福になります。何だか奇跡のようなエンディングですが、全然わざとらしくないんです。これがブータン流なのか。

『型破りな教室』(メキシコ映画)
 貧困層が暮らし、ギャングが幅をきかすメキシコの町。そこの小学校に赴任してきた教師が通常のカリキュラムを無視したまさに型破りな授業をしたことで、やる気を失っていたこどもたちが学ぶ意欲を取り戻したという実話ベースの物語。
 この先生が教えるのは科学と哲学です。正しい思考力を養う上で、この二つを学ぶことが非常に重要なんですよね。これらを教えず妙な思想を吹き込む教育は最低です。
 希望に向かって歩き始めたこどもたちですが、才能を見出されて進学の道が開けた子がいる一方で、貧困家庭にとらわれて進学をあきらめる子もいるし、命を落とす子も出てきます。現実がきびしいからこそ、教育の理想は高くあらねばならない。とても誠実な映画です。

『動脈列島』(日本映画)
 ネットフリックスのリメイク版『新幹線大爆破』は、近頃珍しくなったパニックムービーの秀作でした。私がこどもだった頃は、『タワーリングインフェルノ』とかパニック映画がテレビでしょっちゅう放送されてました。
 それにあわせてWOWOWで放送されたのが、オリジナル版の『新幹線大爆破』と同じ年(1975年)に公開されたもうひとつの新幹線爆破映画『動脈列島』。こちらはパニックムービーではなく社会派ミステリです。同年の公開なので、どちらかが企画をマネしたというわけじゃなく、たまたま同じ新幹線テーマで企画が同時進行していただけでしょう。
 開通を急いだこともあり、新幹線は当初、騒音や振動の対策がおざなりなままでした。沿線住民は騒音振動に悩まされ、健康被害も続出、各地で訴訟が起こされていたという事実を私はこの映画を観るまで知りませんでした。
 健康被害に苦しむ沿線住民たちを治療してきた若き医師が、新幹線の騒音対策を求め、爆破予告をします。その医師(犯人)を演じるのが近藤正臣さん。犯人を追うエリート捜査官が田宮二郎。この二人の丁々発止の駆け引きが見どころです。
 田宮演じるエリート刑事が、アメリカで学んできたプロファイリングを駆使して、姿なき犯人を追い詰めていくのに驚きました。おそらくまだこの当時、プロファイリングなんてものを知ってる日本人はほとんどいなかったはずです。日本映画で最初にプロファイリングを使った作品かもしれません。
[ 2026/01/18 20:50 ] 未分類 | TB(-) | CM(-)



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