「自分の居場所は自分で決めたい」この表題のみ2025年9月に下書きに入れていました。
その時何か強烈に思うことがあったのだと思います。それが何だったか今では思い出せない。その時の気持ちは、その時に書かないとと思いました。
今振り返ると2つ思うことがあります。
1つは、無理な場所に置かれることで、私がこの場を去る決断をさせようとしているのではないかと感じたこと。これは完全なる被害者意識でそうじゃないと感じています。しかし、あまりに辛くてこのように感じてしまいました。
私にとってはその場所は無理。仕事で無理という言葉をいうことは望ましくない。しかし、エビデンスとしても難しいとされたことに対しても、エビデンスの通りに理解してもらえない。
ここまで辛く追い詰められたのも、周りが余裕がないことも辛かった。返事は反応がない。加えて、人にどう思われても関係ないという人がいて、心無い(と私が感じる)対応をされたこともああったと思う。
神さまから「人は自分の思い通りにはならない。そして、他人に惑わされるよりも、自分の受け止め方を変える。相手にしないことが大事。」それを教えるためなにいろいろな面から気づきの機会があったのだと思う。
最近は周りの人たちを見て、正直に「怒り」を感じるようになった。そして、口には出さないが、こころの中で「馬鹿じゃない。」とか「馬鹿は相手にしない」と感じている。多分私の健全性が上がっているのだと思う。
また、ずっと胸の中にある思い。やってみたいと思うけど、壁が高くて一歩を踏み出そない。しかし、ずっと離れない思い。
