「嫌なことはやらなくていい」
①では、同じやらなければいけないでも、根っこに自発的な愛情があるもの、嫌だと思っても他人との兼ね合いでやらなければないと思うことは全然違うということを書きました。
自分の気持ちよりもその人との関係性だったり、仕方ないと思うことを引き受けてしまうというのは、深層心理で「嫌だ」と思っている気持ちに封をしているということなのです。本人自体も自分が嫌な気持ちを持っていることすらわからない場合もあると思います。
私は「嫌なことはやらなくていい」と言われたことの意味がよくわからなかったのはこの「嫌だ」という深層心理の気持ちに自分が気が付けていない。自分と自分の心がつながっていないことによることだと感じました。
自分の深層心理とつながってきてからは、頼んだ仕事をやらない人や明らかに失礼だと思う言葉を言ってくる人に対して、合わせることなく対応を変えることができてきたのだと思う。
これは、頼んだ仕事をやらない人のしりぬぐいをするのは「嫌だ」と思ったら、それはやらない。明らかに失礼なことを言ってくる人に対して、相手にしないということができるということです。
相手にしてみれば、今までコミュニケーションが取れていたと思うのに急に嫌われたとか、何か態度が変わったと思うでしょう。それまでの間に表立って傷つけられるようなことを言われたとは思っていませんが、おそらくずっとうまいこと押し付けていれたことができなくなった。自分の思い通りに動かなくなったと思うことでしょう。
そうするとそういう人たちは「利用する」という意識をもってきたのに「利用できない」ことがわかると、別の「利用する」人を探します。そうやって離れていきます。
私のこころの成長としてはこれで良かったのです。以前の自分では嫌なことをやらなかったら、自分が嫌だという気持ちより、断ったら相手が困るから自分を犠牲にしてやらなければいけないと思い込んでいました。今は自分が嫌だと思ったら、やらない。相手が困っても何とも思いません。
(ここまでは2025年2月の下書きから)
2025年10月となり、4月に生活が激変し、嫌なことはやらなくていいというよりも、体力的に難しいことはできない。やれないということが私の課題となりました。
もしですが、私が「嫌なことはやらなくていい」ということがわからなかったら、嫌なことというよりも、体力的に限界がある事を、無理して笑顔でやろうとして、そしてある日突然病気になったかもしれません。
体力的に難しくてできないということを受け入れるには、嫌なことはやらなくていいという気づきが必要だったように思います。そして、やはり、「嫌なことはやらなくていい」も「体力的にむずかしいことはできない」ということも私が学ぶべきことだったように今は思います。(ここまでは2025年10月の下書きから)
そして、11月になり、私はとある人ととある出来事から、我慢して嫌なことを頑張っているこ戸を感じました。それはまた書いていきます。
