周りが自分をどう扱っているかではなく、自分が自分をどう扱うか。究極はそこだと思う。
周りはその人の知見、経験からこれがいいだろうとしてくれたのかもしれない。そこには悪意はないのかもしれない。
周りは私を大切に、その人の責任のなかでよかれと配慮したのかもしれない。その人の基準では良い扱いをしてくれたのかもしれない。大いにそう思うときもある。仲間として迎え入れ、配慮してくれているとも感じる。
しかしながら、うまくいなかい。私にとっては辛い。年齢に応じた体力や発達課題、心身のバランスを崩すことに対する知識があれば、こういう行き違いは起きないと思う。
仕事は代わりがいる。代わりにバトンタッチしたいがそうもいかない。
誰も悪意なくその人のベストな判断をしているのに噛み合わない。皮肉な状態。自分の想い通りにはならない。また、個人で思うことと組織で叶うことは違うということなのか。
明け方に仕事の夢を見る。昨夜は良く眠れなくて、非常に浅い眠りで足が痺れる。軽い金縛りのような感覚もあった。やっぱ気になったいるんだと思う。
全く仕事していないわけじゃない。仕事しているところもある。0、100ではない。白黒で判断しない。できていることもある。
また、不本意だとも感じる。そのような環境で、自分はもっとできるのにと思う気持ちもある。しかし、身体の無理ができないという優先順位から、もっとできるからこうしたいという気持ちは割り切ることになる。
とても切実な話です。「もっとできる」と思えるのは、それだけコンディションが戻ったということ。つまり、それだけダメージをうけていたということです。
起きている時間の半分以上を会社に費やす。時間を売ってお給料をもらっているとも言える。
朝起きて「もう無理だ」と思う日もある。何に対して「もう無理」なのかわかっている。しかし、それでもやろうと頑張っている。頑張ってきたのだ。
自分がやりたくないことを、やりたくないというよりは、やると自分の心身に影響を与える怖さから、能動的に身体もこころも動かない。怖い。恐れ。(②につづく)
