「自分は人を見る目がない」と言われたことそして、理不尽だと感じたことから、価値観の異なる人に、自分を必要としてもらうことは難しい。それよりも、相手が自分を必要としていないということを受け入れること、なかなかできなかったことができるようになりつつあるということを書いてきました。
私はこの人は自分をそう見ている(と私が感じる)ことを受け入れました。そしてそこから考えました。
その人に受け入れられていないということが私という人間に対してどのような影響があるでしょうか。
そうやって考えると今の私の働くことの目的、優先順位、位置づけを考えると影響はないのです。相手に私を理解してもらおうと働きかけるのではなく、私が相手に対して、関わり、関心の向け方を変えればいいのです。
相手がどう行動するか、それは相手が決めることです。最終的には事実と異なった説明をされたことで、吹っ切る引き金にはなりました。
そう思うと、周りに期待しないで自分の対処を変える。それは私にとってずっと課題で、なかなかできてこなかった大切な学びを深めることでにあります。
私は、自分のひいた線以上、本来の自分の役割以上に関与しないということをしてきましたが、ひいた線以上の関与をしてしまったところもありました。しかし、線を引くということをしたから、こうやって気付く機会があったのだと思う。
今は心理的に離れるフェイズで、心理的に問題と感じなくなる日は近い。私の認知と行動が変わっていっているということ。物理的には、心理的に離れることができてくるとおのずとできるようになる。
そしてふと気がつきました。体調不良を繰り返してきたこと。年齢もあるのだと思います。無心に資格試験にチャレンジしていて気を張って時間もやりくりして取り組んでいることで疲れが溜まっているのだと思っていた。
もちろんそれは大きい。働きながら勉強する等、2つのことを両立するのはとても大変です。私の場合は、通信制大学の編入から数えて3月で3年。ずっと走り続けてきました。
心身のバランスを崩してから、自分の中での優先順位、そして他人や環境のために自分の身体を削る必要はないという新しい価値観。それは、それまでの自分とは真逆となる生き方です。
きっと、私の潜在意識では、こうやって自分を違う方向に変えていこうと凄い力を送ってくれていたのだと思う。私の心も体もとても大きなエネルギーを使っていたのではないかと思う。
自分の変わる力、変わろうと準備を重ねて自分を大切にしてきた。最近、自分の価値観の変化と対処が変わったことに気付く機会が増えた。それに、自分の気持ちに反する行動をとったときの違和感は明確になってきた。これは確実に変わった自分へのサイン。道はまだ半ばだと思うけれど、大分生きやすい方向に進んでいるんだと思う。
痛みもある。でもそれは自分が前に進むための痛み。そして、新しい自分となるための脱皮の痛みなのかもしれない。頑張れ自分!この勢いで生きます。
