振り返れば「私はダメじゃない。なのに、なんでこんな扱いをされるんだ」、「私は足りない、認められるように努力しなければならい」、「自分と意見が違う周りはおかしい」特にそれが上司なら、「この上司はおかしい」と思うことを何回か繰り返してきました。そのたびにやりきれない気持ちに苦しんできたように思います。
職場でその人が「自分には人を見る目がない」といったことに対して、私はその通りと思いました。そして、すべてが立派な人などいないということを①では書きました。その続きです。
私はこの人と見ている視点と根底にある価値観が違う。だから分かり合うのは難しいということなのだと思う。
人それぞれ価値観や見方は異なる。何を問題とみるか、その問題の大きさをどのように判定するかは異なります。ここで一つ確実に言えることは、その人と私の価値観は大きく違うということです。
決定的な見方の差としてのエピソードです。
仕事というのは目立つ仕事、地道な仕事、両方あります。そして、自分以外の人は他の人が何をしているかわかりません。管理職が部下の仕事を正確に把握ができているとも思いません。その様な中で、役員がこう見ているから、それがすべてなんだというような論調でした。
私はこれを聞き、本当にこの人はそう思っているということがわかりました。だから役員に「こういう実態なのですよ」と言えない。それが自身の保身なのか、問題を問題として捉えていないのか。私はどちらもだと思いますが、真のところはわかりません。というより、わかる必要もないとも思い始めました。
私の考えは、役員が正しい判断ができるように情報を伝える必要があると思います。その情報をどう判断するかは役員が決めること。役員の仕事は判断して責任を持つ事です。
その下にいる管理職が、状況を正しく伝えられないのであれば、役員は自分が見えている世界で判断します。反論されなければ、そういうものだろうとおもうでしょう。このような状況で正しい決断ができるでしょうか。
中間管理職ではない私は、中間管理職の辛さ、苦しさはわかりません。私から見える世界です。
以前のわたしであれば、この自説を理解してもらおうと必死に資料も作って訴えたこともありました。
結果が変わったこともありましたし、変わらないこともありました。しっかりと聞いてくれた上司、役員もいました。仮に通らなかったことでもフィードバックもしてもらえたように記憶しています。
コミュニケーションが成り立っていました。(③につづく)
