ずいぶんと前に職場を辞めた同期と今も働いている同期と食事をした。私と集まった人には差がある。それは入社した時の学歴です。私は短大卒、他は大卒です。
このブログを読んでくださっている人の中には、私が大卒であることをご存知の方もいらっしゃると思います。私は通信制大学を卒業したことを勤務先及び勤務先に勤める人には話していません。
このように自分が努力したことや自分の大切にしていることは、本来なら話したいことでしょう。勤務先には、話す必要ができたときに話すことになるかもしれない。
また勤務先で個人的な交流がある人に話そうと思わないことは、話したいと思わないから。
もう入社してからだいぶ時間が経っています。彼女たちが学歴で差別しているとは思いませんが(差別していたら呼ばれもしませんが)、そもそも会社に入ってからの処遇、教育、全て違います。個人の中身や努力ではなく、学歴で判断された序列で決まる世界。節々の発言にからは、私が感じたような仕組みの苦しさを持ったことがないことがわかる。私は悔しいし切ない思いをたくさんしてきた。
彼女たちは意識してはいないものの、私がこのような気持ちを持つような話題も気にならなかったことでしょう。私は見えない壁を感じながら、相槌と必要最小限の反応だけしていました。
楽しめなかった。疲れました。よくしゃべる人の話を聞くのも疲れました。自分のことを話したいとも思わない。
自分の趣味を勧められたけれど、結果、聞き流しました。ある種ありがたいことかもしれない。その人が勧められたを良いと思っていることはわかる。私は私がやっていることを話そうとは思わない。
一緒に学んだ講座のメンバーとの食事ややりとり、個人としての繋がりがある人との時間は楽しい。その時間を作る価値がある。自然と自分の話をすることもある。
こうやって考えると、私の世界は確実に広がった。楽しい、心地よいと思うことは変わった。
このまま行くと、私は自分のありたい方向に進んでいけると思う。今まで右側にカーブしていた道をまっすぐな道を歩くような感じ。
確実に変わった自分の波長に気付くために必要な時間だった。早く帰りたかったけれど、帰っていたら悪かったかなと思ったかもしれない。結果この時間を過ごしたことで確実に変わった自分の波長に気付いた。そのために必要な時間だったのだと思う。
