11月17日、43歳になった。本当に可愛くない数字になってしまった
ハッピーバースデイ to Me おめでとう、僕
今日のエントリはほとんどAIに書いてもらいました
世の中には、不幸の兆しを集めることを生きがいにしている人たちがいる。
巨大地震の予兆、戦争の連鎖、疫病の再来、そして3I Atlas──世界が落ち込む方向へと舵を切る材料を探し出しては「ほら見たことか」と言いたいのだろうか。
こういう時代だ、気持ちは分からなくもない。流行りの冷笑界隈というものだろうか。
確かに悲劇はあるし、無視はできない。
だけど、未来を暗く塗ることを前提に生きはじめると、人はあっという間に現在を見失ってしまう。
気づけば「世界が終わる理由」ばかりが増え、「世界がまだ続いている事実」には誰も触れなくなる。
その一方で、僕は家では今日も晩酌を欠かさない。
健康診断に行けていないにも関わらず、日々の不摂生は律儀に続けている。
そして最近は、体のあちこち、末端にチクチクを感じている気がする。
痛風という単語がリアリティを持って迫ってきているし、スマホの文字も急に小さく感じる。老眼の始まりだ。
人類滅亡論より先に、自分の身体が黙って滅びへ向かっている。
勘違いだと思いたいが、涙もろくもなっている気さえする
それでも、人は生きるらしい。
朝マックのクーポンでソーセージエッグマフィンを買い、洗濯を回し、どうでもいいスマートニュースを眺めて、誰かの誕生日を祝って、また夕方にディスプレイに向かって乾杯をする。
世界の終わりを予想する動画を開く人間は似たような生活をしているのだろう。
だから、この文章は“アンチテーゼ”というほど大げさなものではなく、
ただの 「暗さに巻き込まれないための、ささやかな逆走」 のようなものだ。
世界が暗いほうへ滑っていくとしても、僕は非凡に憧れながら、凡であることを恥じつつも受け入れることにしよう。
晩酌も、朝マックも、身体の不調も全部抱えて、それでも明日の予定は抽象的なスケジュールに則ることにしよう
この生活は、楽観的なものだ。
43歳になった自分へ。
特別な言葉はいらないが、随分と頑張っていることを誇らしく思う。
それだけで、たぶん充分だ。
来月はおでんをたくさんつくろうと思います