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暴露系エントリに見下し悪癖を語る天使との出会い

6月です、昼は晴れていましたが、結構蒸しっと暑く好きじゃない季節が来てしまいました
こんばんわ僕です

最近人と話をしていて結構見下していることがあり、悪癖だと思うのでエントリにしようと思いました
僕もそうなんですが割と解説系や暴露系の配信をぼんやりと見てしまいます
時間泥棒だなと思いながら、本当に意味のない時間だなと改めて思っています
なぜこんなに嫌悪するのに見てしまうのか、それについて考えることがたまにあるのです
※このエントリでは考えただけで結論を出すことはやめました、以下2000文字は意味がありません

説教系と言っていいと思うんですが、暴露や教育や解説系で物を教えてくる人たちです
コレの人もそうだしかなえ先生も、ナオキマンも及川幸久もマネーの虎ホリエモンも同じなんですが、まぁ、そういう人たちです、DJふぉいもけんきさんもたぬかなさんもそうですね
この人たちに共通して言えるのはシンプルに話が面白いということと、耳馴染みが良いということでしょうか、なんか聞き入っちゃうんですよね
同意は一切していないけれども、同じ空気を吸っている傍観者のカウントに自分が含まれている
驚くことなんですが、雄弁は銀沈黙は金といいますが、実際にはそもそも同じように喋れる場所にいないので、モルデカイザーのウルトの中を眺めている観客の一人に過ぎないということを忘れがちです

ある年齢を超えると説教するのもされるのも好きになるようなのですが、それがいつからなのかはわかりません
確実に言えるのは、どうも何かを諦めた時から、そのような状況を受け入れれている気がするということです
説教についてするのもされるのも好きじゃなかったと思いますが、小さき頃を思い出すと、確かに幼く責任を人になすりつけることが喧嘩の原因の一つだった気がします
幼い頃の同級生への説教は言いがかりやインネンだと現在考えていて、その目線で見るワイドショーやゴシップ誌の記事は本当にくだらないと考えていました

特に刑事罰に相当しないような出来事について、知ってもいいしなんか悪いことだねって話をしてもいいんですけど、全く関係ない他人が流布して回ることについて疑問がずっとあるのです
自分に近い人間が犯した悪いことは自身を守るためにそこから離れることは悪いことではなく、一人で離れるのは少し怖いからと行って周りを巻き込むのはまだわかるのです
でもそれを飯の種にして、笑ってマントを取ろうというのはなにか違う気がします

残念なことに現代における自分たちは小さな市立図書館の蔵書すら生きているうちに読み切ることは出来ないと考えています
知りたいという欲求と、理解できることは異なっていて、その厚みをなんとか形にしようとした結果の一つが辞典や六法や数式だったりするわけです
それは別物に見えますが、一般化する際に応用次第で無限の時間を溶かしていくので、ある人がこうだといったことも原初は良いも悪いもなかったりするわけです
演出に踊らされているのです

自分の人生に全く関係のない人間によって自分の時間が消費されている、しかしそれは不思議なことでなく、関西人であれば土曜日の昼は新喜劇で笑うことは日常ですし、映画や観劇でも集中して自ら2時間を差し出しています
面白いものやエンタメとして受け入れているものについては嫌悪しないのです
個人的に好きな説教はたくさんあります
ただ、暴露系の人たちや週刊誌の人たちがやっていることについて、ちょっと意味がわからない
100歩譲ってそれらも報道の自由だとして、それらを非難することも自由なのですが、声がよく話がうまいとその嘘が本当であることがベースにシナリオが進んでいってしまう
その嘘ホント?という言葉がありますが、子どもの気持ちになって、それは本当なのか自分の気が済むまで問うことを求められているのかもしれません
しかしわたしたちはとても忙しく時間を切り売りすることに嫌悪しますから、やはりまとめ動画などで編集されたものが欲しくて仕方ないのです
パフォーマンスが大事ですから

さて、関係ないのですが、契約書について眺めることがよくあって、読み物として受け入れることは到底出来ないものなのです
みなさんも契約書を読むことはよくあると思うのですが、なぜこんなに読みにくく出来ているのだろう?と思ったことはないですか?
生きることの大前提を考え見てほしいのですが、生きていることって不思議じゃないですか?
生きていることを放棄することのみが自分の自由だということを考えてしまうのが中二病だとして、そのあとそれらについてきちっと考える機会はあまりないかもしれません
生きることを強要する要素の一つは社会であり、社会というのは構造を支える一部です(コレは逆でも構いません
そして現代日本で社会を成立させている大きな要素の一つとして契約があります
憲法や法律もそうですが、生まれたときに名前をつけられることからすでに契約ははじまっており、生きることはリコールできないのです

社会と自分をつなぎとめる契約の裏側にはびっちりとしたバックグラウンドを支える法律や条例があり、それを紙一枚で支えるためにとても読みづらい方程式が書かれているのです
数式と同じようなものです
誰かと契約を結ぶ際にはできるだけ自分が有利なように書面を書きたいですね
例えば、眼の前に無名なHIKAKINを好きなYouTuberと、HIKAKINがいた時、どちらでも好きなようにマネジメント契約できますよ?と言われたら、HIKAKINと契約をしたいじゃないですか
しかし、HIKAKINの事情もありますし、そもそも競争相手は一人ではない可能性もある
そうなったときにしかし最大限のHIKAKINから受けられる利益は受けたいと思う
もしくは、なんの実力もない人と契約したくないというネガティブな側面もあるかもしれない
そうしたときに「私はHIKAKINとしか契約しません」みたいな強固な姿勢ではなんの利益ももらえないようにおもいます
なので、一度HIKAKINを緩衝材にして各々がどうやって利用するかということをHIKAKINを抜きに共闘出来そうですね
そのうえで、HIKAKINを敵にして反勢力をつくることで利益を作れるかもしれません
そこにHIKAKINの意思がなくても成立はするとおもいますが、HIKAKINにも当然主張がありますので、それを汲まないことにはすべてが成立しない
なぜならHIKAKINがHIKAKINをやめたらその助平心は全部おじゃんだからです
「HIKAINは俺のもの」とかくのは得策ではなく、「HIKAKINに案件をふることができる」にすると随分マイルドだし受け入れてくれそうじゃないですか?

そろそろ何の話をしているんだ?と思ってきたと思います
僕も肩こりがまずいことになってきました
友達が、「天使が現れるときに時代が変わってきた」みたいなことを言っていたことを思い出しました
説教系のコンテンツを消費するのは楽しいですが、用法用量を守りたいので、押し付けてこないでほしいともいますね
ただでさえ不安定な中年の心が乱れるので、穏やかに生きていたのです
ところで今年の7月には何があるんですか?
アンゴルモアの大魔王がようやく到来するのですか?

梅雨がきそうなのでとても憂鬱ですね
次回は新宿のジンギスカンについてお話をする回でお愛しましょう、でわまた




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