めっきり寒くなってきました
こんにちわ僕です
まだ11月初旬ですがもう2024年が終わりそうな感じがします
急に寒くなって、もしかするともう紅葉の時期は終わり冬が到来しているのではないかと思い散歩をしました
結果まだまだ紅葉には程遠く銀杏も青々としていました
踏まれた銀杏のにおいは結局慣れることはなく、これからも慣れないでしょう
小学校への通学路、少しほかの子たちと違うルートが設定されていました
完璧に舗装された国道沿いの道を歩いていたのです
学校から見て北側の自宅は学校を見て下手にあり、同級生の家は上手に多くありました
そのことから僕(と兄弟や斜め向かいの女の子)だけが国道沿いの通学路を使っていたので、小学校を出てすぐの陸橋でサヨナラをしなければならなかったことがさみしかったです
よく遊びに行っていたのでランドセルを置いてからは公園に行ったりしていたのですが、当時の時間感覚では通学路を一緒にできなかったことが悔しかったような記憶があります
僕の歩かなかった通学路には銀杏が道路わきに街路樹として植えられており、この季節になると銀杏を拾うおばあさんたちの姿がありました
コインランドリー、銭湯、駄菓子屋やたばこや、自分の通学路とはずいぶんと違う風景があったように思います
銀杏について母親に聞くと、困ったような顔をして「かぶれるから触っちゃダメ」と言われた気がします
今考えると死んだ父親は銀杏が好きでもおかしくなさそうだったのに、一切話題に挙げなかったのは少し不思議です
父はかっこつけで、今でいうウマぶってる人だったと思うのです
多分銀杏がおいしいことも知っていたはずなのに
僕は父に似たのか偏食ですが、今考えると僕のほうがかたくなに食べないものを決めつけているので父の偏食はそこまでひどいものではなかったのかもしれません
喫茶店に入ってコーヒーを頼んだ後で遅い昼食としてピザトーストをオーダーしました
ずいぶんと長い時間をかけて出てきたピザトーストは懐かしい味がしました
きっと、幼いころ、まだ昭和だった時代に食べたそれとそんな変わっていないのではないでしょうか
もちろん全く
違うものだとは思うのですが
ぼくたち兄弟は父のことが苦手でした
よき理解者だったことは多分なかったのです
でも彼が背負っている何かについてほんの少しだけ触れる機会がありました
高校3年生の冬、上京する直前で父の会社の工場で現場作業のアルバイトをしたのです
確か時給で700円ぐらい
朝早くに起きないといっしょに行けないのです
ひと月だけでしたが、彼らの仕事を見せていただいたわけですが、当時から会社がうまくいっていないことはわかりました
もし自分がいまの知識のまま当時に戻れるとしたら何ができるだろうと考える時間があります
でも何もやらないしできないだろうと思うのです
父の孤独と会社との断絶、現場と経営の断絶、押し寄せる不況
父には理解者が必要だったのだと思います
もしくは商才のようなもの
努力はしていたようですがうまく周知することができなかった
ぼくもほかの人同様に父のことはよくわからなかった
彼が何が好きだったのだろうかそんなことすら、彼の残した本を目の前にしても何の感情も持つことはできなかったのです
秋という季節は好きです
寒い季節のほうが好きだということもありますが、いつかのエントリでも書いたかもしれませんが町がキラキラしてくる時期にも思えて
そういう意味ではお正月までがマックスで元旦の次の朝には随分と気持ちが落ち込んでいます
気持ちの上では誕生日からクリスマスまでの時間が一番幸せな気がします
今年は誕生日が日曜日(42さい)
まだ何も決めていないですが、お昼ごろに秋HUBに行ってすいていたら座ってようかな
散歩してコーヒー飲んでとぼとぼと歩くだけでこんなに感傷的なテキストになると思っていなかったので驚いています
今年は特にせわしなかったですね
あっという間の2024年、皆様にとってはどんな年だったでしょうか?
まだいくつかエントリ書く気もしますが、よかったら今年やってよかったこと、今年買ってよかったもの、今年言ってよかったところを教えてください
ほしいものりすと
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