ブラックフライデーからのブラックマンデー、円の急騰とドルの暴落及び暗号資産の暴落、ニコニコ動画の復活未だログインできず
こんにちわ僕です
衰えを知らない令和ちゃんの暴威に我々は無力
ゲームをしたい、映画を見たいアニメを見たいと思っているのに最近はマインスイーパーをしています
見たこともない巨大なマップを複数人でマインスイーパーをしていく本作
マインスイーパーの地雷を見つけてしまったときの悔しさもありますが、それよりもジャキジャキと進めていく楽しさが新感覚
少し前にマインスイーパーオンラインにハマっていましたが、完全新作、現代のマインスイーパーが体験できるということ
windows95からのマインスイーパラーとしては、2024年に完全新作のマインスイーパーと出会えるとは思っていなかった
どれだけやっても全くの無意味であることも窓際族御用達の仕上がりである、現状約20時間ぐらいのプレイ、この夏は爆弾処理で終わらせてしまう可能性もある
みなさんも、みんなでマインスイーパー
夏のイベント
patoさんの『文章で伝えるときいちばん大切なのは、感情である。』を読んでいる、週末までには読了したい
いちいち感動しながら読み進めている
知ってのとおり僕の文章には脈絡がないし、特に目的もない
そういった文章を著者は明確に『書くな』と言っている
これについて僕はとても同意する
並行して読んでいる本として『暇と退屈の倫理学』をこちらも7割ほど読んでいる
本書は暇と退屈の相関について、たま哲学や歴史的な哲学との関連、人間として暇と退屈について書かれている本である
様々な哲学者の主張を著者が引用しながら『暇と退屈』側からの見解をどのページでも読むことができる
いま、幾百万の若いヨーロッパ人は退屈で死にそうになっている。彼らを見ていると自分はこう考えざるを得ない。彼らは「何としてでもなにかに苦しみたいという欲望」をもっている、と。なぜなら彼らはそうした苦しみのなかから、自分が行動を起こすためのもっともらしい理由を引き出したいからだ・・・・・・。(53頁より引用)
ニーチェの言葉を引用として本文に引用している
patoさんの本に戻ると、本文20Pでこのようなことを書いている
「文章を書くことにおいて絶望こそが信頼できる」
書こうとして絶望するのは当たり前であり、絶望しないことなどありえないのだ。そう、僕は絶望しながら22年間、1300万文字を書いていた。(21頁より引用)
19世紀の哲学者と21世紀のテキストサイト管理人がベクトルの違いはあれ同じような目線を持っていることは興味深い
そのうえでこのようなしみじみとした感動について『エモい』という表現を使うべきではないとpatoさんは書いている
どういうことか、これらをエモい、味わい深いと書いてしまうには、感情の深堀りができていない、感情を伝えることをやめている、という主張だ
ニーチェの生きていた時代にはコンピューターなんてものもないし、テレビもなければ電車も多分まだ一般的ではない
当然SNSなど無いし、紙の本だって高級品だろう、そもそも学問についても崇高なものではなく、趣味の一環として捉えられていたような時代なのではないかと想像する
どう考えても当時は現代よりも生きるために日々やることは多いことは想像をすることは難しくないだろう
例えば水を飲みたい場合はコンビニがあるわけではないので井戸から汲むとか瓶の水を煮沸するとか、パンを食べたい場合はコンビニがないと思うので、パン屋に行くとか自分で焼くとかしないといけない、全然暇ではなさそうだ
そのような状況で、ニーチェから見た若者は『退屈で死にそうになっている』ようにみている
その彼らはその退屈を打破するために「何としてでも苦しみたいという欲望」を持っていると考えている
現代の我々にぴったりではないだろうか
日々をテレビやSNSに取り上げられ、なんの生産性も持たない自分たちだが、世間に対しての倫理観だけはびっくりするほどに豊かに持っていて、不倫や収賄、ゲームのチートやアイドルの結婚に嘆き指摘をする
一切自分の人生に関係がないはずのことに心から怒ることができる
patoさんはテキストサイトの管理人を通じて1300万文字のテキストをアウトプットした
しかしそのテキストは『切望を信頼して書いた』と説いている
何かを夜にアウトプットするために、短絡的な成果物よりも自分の中で納得したものを世の中にアウトプットしろと書いているように見える
現代では悪口や小言に対してSNSでの短文の書き捨てが簡単にできる
匿名に近い形でこの世のものとは思えない嘘の塊を世間に問うことができる
それらのフィードバックとして、なんとなく共感したものを共有し、なんとなくいいなと思ったものにgoodをつけることが簡単にできる
思考していないとは言わないが、ほんとうに何かを判断したのだろうか
※これらについてブックマークとしてRTやgoodを使っている側にすると、使途が異なる為理解が難しくなるので、今回は見送りたい
わからないことや困難なことは怖いことであり、絶望である
それらはしかし本来する必要のないことである可能性もある、それは別の誰かがジャッジすればよいことであって、時間を使ってぼくや誰かが考えなくてもいいことである
これらとは相反するようにゲームなどを上達するには試行錯誤が必須になる
可能性として我々は知らないうちにこの困難な試練とも呼べる絶望を娯楽として取り入れているがゆえに、違反行動が許せないのかもしれない
オリンピックを見て過剰に怒るのは、共感できないことに対してのアレルギーなのかもしれない(つまり自分たちの知っている競技でないと受け入れないということ、野球ピッチャーが投げるたまは1球でなければならないし、国籍を変えて競技に出てはならない、・・・猫ひろしは・・・?)
オリンピックをまだ見ていない僕が言うことではないが、ニュースの記事などで見えるものについて言及するのは許してほしい
そのようなことで非常に高尚なpatoさんのトークライブイベントが8/10に東京カルチャーカルチャーで行われます
なんでパリなのだろうと思っていたが、オリンピックの開催地だ
ヌメリナイトはどんなイベントなのか、とてもきれいに21年開催の概要をもぐおさんが書いてくれているので紹介したい
記事を読むだけではさっぱりアングラ感は伝わらないと思う
僕も参加していたはずだが、内容は1ミリも覚えていない
ずっと笑っていたことだけを覚えている
非常に低俗なトークライブなので、逆に敷居が高いかもしれない、でも世の中のSNSなどで悪意に疲れてしまった人は来てみるといいのではないでしょうか
浴衣で来ると1ドリンクサービスらしいです!
チケットが未だあるのかは知りません
感情をテキストにすることが難しいので変わらぬ雑記として取り扱っていただけますと幸いです