なにやらボッチザ・ロックの脚本家を降板させようとする署名が話題になっている。
ミイラ取りがミイラになるじゃないがフェミもアンチフェミも結局なにも変わらないのではないか。
数年前にリベラルがキャンセルカルチャーの猛威を振るっていたころにカウンターとしてアンチフェミが台頭してきて主にXで論争が繰り広げられていたことを記憶している。当時、僕もいくつか記事を書いたが、それからあまり関心がなくなってしまった。結論として男女論はチェリーピッキングの域を出ず、お互いがお互いにとって叩きがいのある敵をピックアップして政治的な触媒として利用しているだけなのではないかと。ピックアップしたおかしな発言を敵陣営の思想として喧伝することで対抗言論が売れる。おかしな発言には簡単に正論をつきつけることができるからだ。そしてその正論の通りの良さゆえにファボやリツイートが伸びてなにかおおごとかのように見せかけられている。
つまり男女論は粉飾決算みたいなものなのだが、それを無限に拡張してオーバーラップするとフィクションが現実を覆うようになって区別がつかなくなる。SNSで目にする「これ」は現実の話なのか釣りなのかネット上で錬成された虚無なのか判断できなくなり、ついには僕がそうであるようにどうでもよくなってしまう。そんなどうでもよくなった自分から見ると男女論の問題点は個別の男女がどうこうという話ではなく「性というアテンションを集めやすい話題とSNSの相性が良いこと」と「個々人の経験をSNSに書き込むとファボが集まって一般化し、さらにはその一般化の過程を経ると個別と一般・現実とフィクションの区別がつかなくなること」にある。
男女論にはそうした混沌が渦巻いているだけで現実を反映していることは、昔はまだしも今はほとんどないのではないか。それは弱者男性という言葉が示す意味の推移を見ればわかることだ。弱者男性はもともとケアを必要とする男性を指す言葉だった。生活保護、精神・身体障害、離別、離婚、経済的困窮などの現実に困っている男性を指す言葉が弱者男性であったが、それがいまや弱者男性はチー牛とほとんど区別なく使用される蔑称になっている。もともとはケアを必要とするマイノリティーのための言葉だったものがネット上で擦られ一般化されると一般のマス層にとっての弱さ、つまりはモテるかモテないかというくそどうでもいい指標をあらわす言葉へ変化する。弱者男性の変遷ひとつとってもそうであるのだが、フェミニズムに関してももともとは女性を自由にするものだったはずが一般に流通し、女性の権利が叫ばれるようになると権威主義的になり、ついにはパターナリズムへ変化していった。
ようするにSNSでなにかを主張するとそれが一般化し、権威が付与され、もともとの意味が剥がされて政治闘争の具と化していく。そして闘争それ自体が売買されるようになる。男女論はその最たるものであり、そうした闘争に付き合ってもしょうがないのではないか、というのが長年見てきた僕の結論だ。
もうすこし踏み込んで書くと、そもそもだが、「女性は」「男性は」と言ったところでどうしようもないではないか、とごく普通に思うわけだ。ごく普通に、という言い回しがリベラルからすれば暴力的だという批判があることは承知しているが、このごく普通にという考えが不可能になったことが男女論の根底にある。ごく普通にという考え方、いうなれば常識が通用しなくなり個別の話をすべて拾うことがすなわち多様性を実現すると信じられてきた。今でもそうだ。すべての話を聞き、つぶさに、漏れがないかチェックし、陳列する。それが正しいと信じられてきたし、理想として目指すものなのは間違いないと僕自身そう思うのだが、そうした「すべて」に耐えられるほど僕達は強くないのだろう。強くないからなにがしかのごく普通という足場を必要とする。しかしながら「すべて」はその足場が存在すること自体を許さない。なぜなら、その足場は偏見であるし差別の温床であるしフラットに話を聞くという態度にとって邪魔だからだ。足場はどうしても先入観を生むし、先入観は話を歪ませ自らに都合の良いように解釈することになる悪癖であるというわけだ。ただ、もうそのような理想は実現不可能なことがここ数年でよくわかったのではないだろうか。
人は足場を失えば簡単にインフルエンスされて虚無を現実だと誤認したり陰謀を現実にあてこもうとする。足場を失えばアイデンティティークライシスが起こり、アイデンティーを付与することが政治活動として有効になり、あなたはこんなに搾取されているんだと吹聴してまわるアイデンティティーポリティクスが幅を利かせるようになる。さらには足場を失えば唯一の足場である国民国家に実存を取り込まれ、海外との些細な文化的差異に憤慨するようになる。
男女論も同じである。男(アイデンティティー)は違うアイデンティティーを持つ女が許せないという文字通りクソミソのような話がまかり通るようになる。女から男も同様だ。
おそらくこの「売買」は終わらないだろうと思う。むこう10年は同じ話をこすり続け、そのたびに一般的になっていき、権威が強くなり、なにか巨大なものが建築されていくのではないか。そうして出来上がった象牙の塔と交信し続けなければならないことを考えるとそれこそ虚無であるわけだが・・・