以下の内容はhttps://plagmaticjam.hatenablog.com/entry/2025/01/19/145725より取得しました。


石丸伸二と無人社会

石丸伸二(敬称略)の記者会見とリハックの対談動画を見たのだがなにか妙な違和感を覚えたので熱が冷めやらぬ内に言語化したく記事を書いてみる。


石丸伸二を見ていて思うのは石丸伸二が石丸伸二である必要が果たしてあるのか、ということだった。
石丸伸二はよく分析やアルゴリズムという言葉を使っていて、どこをどういじったら社会はこうなるといった計算に長けている人物だという印象を受ける。
政治的な課題にたいして適切なアーキテクチャーを構築して実装すれば人々や経済はこう動くという分析的な発言がしばしば見られる。
例えば都知事選の時には東京一極集中を是正して多極分散すべきと主張していたことがわかりやすい。
東京は地方から若者を吸い込むブラックホールになっていて東京の人口過密+低い出生率があわさって人口動態にネガティブな影響を与えている。したがって東京一極集中を是正するべきだ。そのように主張していた。
政策のみならず話を聞いているだけでもなにかやたら論理的に話す人だという印象を受ける。

元銀行員でアナリストだったという経歴ゆえか論理的な人物であることは間違いなく、これまでの政治家と違うタイプであることも間違いないのだが、同時に思うのがこういう既存の政治的価値観や属人性から離れ客観的かつ論理的に喋る人物はけだし現代らしいということである。
民主主義社会において政治家は常に世相を映す鏡であり、石丸伸二が支持される今の世相の背景にあるのは「無人志向」ではないかと思うのだ。

 

政治に限らず生活していても思うのはこの社会は人がいなければいないほうが良い社会になってきているように感じることがある。
無人レジ、自動運転、タブレットでの注文はわかりやすいが購買行動に関しても個人商店のような人と関わり合う可能性がある場所を避けて
スーパーやコンビニのような人と関わらない場所で買うほうが安心したりする。
飲食店は接客がマニュアル化され半無人化されたファミレスやチェーン店を選好する。
日高屋なんかに行くとあの「なんでもない空間」に妙に安心したりするのである。
そうした人と関わらないことを選好する消費行動が積み重なった結果、商店街はシャッター街に姿を変えてしまったわけで個人的には寂しく感じたりする時もあるのだが僕の個人的な哀愁はさておき、ここで書きたいのは人と関わらないという選好が政治やSNSにおいても強くなっており、それが石丸伸二の支持母体になっているのではないかということである。


石丸伸二は人っぽくない、というと妙な誤解を与えてしまうかもしれないが、石丸伸二を支持している意見を見たり聞いたりしていて思うのは石丸伸二が石丸伸二である必要は必ずしもなさそうに見えてしまうのだ。客観的かつ論理的に、エビデンスをもとに話す人物であれば誰でも良いのではないかと。

彼らにとってみれば既存の保守やリベラルを纏った人達は昔ながらの商店街の組合に属している野暮ったく思想が強い集団であり、人々の消費行動や購買行動を分析して最適な内装を設えた店内で適切な価格で提供されるメニューを揃えたお店のほうが「正しい」のである。
政治的な言葉で言えば彼らは是々非々で物事を考えていると見られており、それが理想市民として考えられているむきもある。
デジタルに精通し、分析的に政策を考え、それこそ官僚がそうするように政治を捉える政治家。それが無人社会において好まれる政治家の姿なのであろう。
政治的価値観や属人的な執着、既存政党のしがらみは是々非々で物事を考えられなくなる枷でしかなく、石丸伸二の言葉で言えば政治屋のそれであり、現代のトレンドはできる限り人の執着を排した分析と無人だというわけである。

ただし、何故僕達が分析や無人を支持しているのかに関しては誰も考えていないと言っても差し支えないであろう。
僕達が分析や無人を選好するのは単に今そのように生活しているから、ということに過ぎない。日常で接するサービスはできるだけマニュアル化され効率的に提供されたほうが良い、のと同じく政治もマニュアルに従い効率的に政策を実行する。それが無人主義者の思想なき思想なのである。
しかしながら無人主義者がそのような思想に至る理由は単に生活実態がそうなっているだけであり、それは他の思想、保守やリベラルが生活に根差していることと変わりはしない。
今の社会を見渡せば人を排して分析的に政治を行うべきだという思想こそが最もポピュラーであるというだけであるが、しかしながら資本に最適化されたサービスに適応しそれを選好し政治にまでその思想を持ち込むということになると無人やデジタルと謳いながら弱く脆い人間臭さを感じずにはいられないのである。


僕達は無人が好きである。ゆえに人がいないでも駆動する政治に憧れる。それがデジタル民主主義という言葉で理想として志向されている。
言い換えればデジタル民主主義を代行する人であれば政治家は誰でも良い。
政治家の資質として問題になるのは政策の遂行能力のみであり、その遂行能力(弁の上手さ)を買われて石丸伸二は無人主義者・デジタル民主主義者の票を集めるようになった。


思いかえせば民主主義はデジタルによって再起動するといった話はネット黎明期からあった。しかし結局起きたのはSNSが陰謀の温床と化し、エコーチェンバーが強化されたことによる政治の混沌である。
そのような現実から逃避するかのように僕達はいまだ無人・分析・是々非々を渇望しているのだが、結論から言えばインターネットが政治にもたらしたのは
「人間が人間社会をつくる以上、人間が人間である必要がなくなると人間が剝ぎ取られ社会それ自体が宙に浮くようになる」ということ、それだけが唯一確からしい共通項である。

フェミニストとアンチフェミニストの争いはもはや現実の人間を対象としていない。性それ自体の傾向をチェリーピッキングすることで友敵理論の触媒、対立煽り、非モテビジネスになっている。
陰謀論は現実の地球ではなく空想の地球の話をしている。
保守は敵国を想像させることで愛国論を展開し、リベラルはフェミニズムに飲み込まれた。なによりこれらの主張のほとんどが一部のインフルエンサーによって展開されており、現実の肌感覚からは年々乖離していっている。

 

事ほど左様に政治や社会は宙ぶらりんとなっており、デジタル民主主義が実現すると期待されていたSNSで現実に起きたことは一部の人間が社会を宙空にぶら下げるようになっただけであり民主主義とはむしろ逆の方向に向かっていっただけである。その現状から再度逃避するかのようにもうそういう人の諍いはしょうもないからとできるだけ人を排した無人主義によるデジタル民主主義2.0を掲げているのが今の状況であり、石丸伸二はそれを象徴する政治家なのであろう。


なんというか人間が人間臭さをいかに脱臭しようとも人が人をやめることなんてできない、なんて壮大な問いを考えてしまったけれどまあでも自分で書いておいてなんですが
そんな大層な話ではない気もします。終わり




以上の内容はhttps://plagmaticjam.hatenablog.com/entry/2025/01/19/145725より取得しました。
このページはhttp://font.textar.tv/のウェブフォントを使用してます

不具合報告/要望等はこちらへお願いします。
モバイルやる夫Viewer Ver0.14