留学中に取り組んだ標題の研究に関する講演をする機会をいただいたので,要旨をまとめてみたい.
1)低脳温療法に関心を持った理由
大学院卒業後,それまで取り組んだ脊髄小脳変性症の研究を中断し,脳梗塞の治療研究を行いたいと思うようになった.その理由は,多くの脳梗塞患者さんを担当し,治療薬ができないものかと考えていた時に,医学生から血管が閉塞してしまう脳梗塞には根本治療などできないはずだと質問され,本当にそうなのか勉強してみたいと思ったことがきっかけだった.
しかし脳梗塞の治療研究など未知の領域で,何から取り組むべきか検討がつかなかったが,「最強の神経保護作用をもつ低脳温療法の作用機序」を理解すれば,治療標的分子が自ずと分かるのではないかと考えた.当時,低脳温療法の先端研究をしていたスタンフォード大学脳外科のGary K Steinberg教授の研究室に加えていただいた.
2)動物モデルの目的
低脳温療法は,心停止に伴う全脳虚血に対しては複数のランダム化比較試験があり,十分なエビデンスがある.一方,局所虚血(脳梗塞)ではこのような臨床試験はなく,エビデンスが欠如している.最適なプロトコールについても不明である.よって動物モデルを用いた研究の目的は,作用機序を明らかにすること,そして最適なプロトコールを検討することとなる.
一般的に用いられる動物モデルはげっ歯類を用いた虚血・再灌流モデルである.頸動脈から中大脳動脈に挿入したナイロン糸(塞栓糸)により一定時間虚血状態にし,その後引き抜くことにより再開通(再灌流)させる.よって100%の再灌流を保証するものである.しかし,実際の脳梗塞では,血栓溶解療法を行えたとしても,これほどの再開通は得られない.つまりこのモデルはヒトの脳梗塞とはかけ離れたモデルであり,このため部分的再灌流モデルなど,なるべくヒト脳梗塞に似せたモデルが開発された.
3)動物モデルから見た作用機序
低脳温療法は,動物モデルにおいて,血管閉塞(虚血)と同時に開始すると(intra-ischemic hypothermia),きわめて強力な神経保護効果を発揮する.ラットやマウスに対する低脳温療法をモデルとした作用機序の検討が行われ,低脳温療法は,エネルギー不全,グルタミン酸放出による興奮性神経毒性,炎症,アポトーシス,フリーラジカル産生,ミトコンドリア障害に対し,抑制的に作用することが報告された.私個人は,アポトーシスに関与する分子のAktや,protein kinase C(PKC)のアイソフォームであるPKC delta(dPKC),PKC epsilonが低脳温療法により,アポトーシスを抑制する方向に作用することを示した.とくにアポトーシスを促進するdPKCを治療標的分子と考えて,dPKC阻害剤が脳梗塞治療薬として有効かどうか検討したところ,実際に脳梗塞の縮小効果を示した(dPKCはその後,ベンチャー企業KAI社で心筋梗塞・脳梗塞への効果の検討が進められ,さらにmegapharmaに買収された).低脳温療法の機序の解明は治療薬の開発に有用であるものと考えられた.
4)動物モデルと臨床の解離
しかしintra-ischemic hypothermiaは血管閉塞と同時に低脳温療法を開始するものであり,実際の臨床ではありえない.つまり開始時間が実際の臨床と異なるわけである.さらに臨床応用を考えた場合,検討すべき項目として,脳低温療法の至適温度,持続時間,再灌流の有無がある.種々の実験から,至適温度は開始時間や持続時間に影響を受けること,therapeutic time windowは非常に短いこと,しかし持続時間を伸ばせはこれも改善しうることが分かった.また再灌流についてはあったほうがより有効であるが,再灌流のない永久閉塞モデルでも持続時間によっては改善の可能性があることが分かった.再灌流を考える場合,臨床的にはtPAによる血栓溶解療法と低脳温療法の併用という可能性が思いつく.動物実験の結果,危惧された体温低下によるtPAの効果減弱はなく,併用療法は予後を改善しうる可能性が指摘されている.またもう一つの検討項目として,復温があるが,最適化に関する基礎研究はほとんどない.
5)ヒト脳梗塞に低脳温療法は有効か?
最近の1H-MRSを用いた脳梗塞患者における脳温の測定にて,梗塞部では平均38.5度程度まで上昇していることが示されている(しかし脳血流の低下部位は上昇しうるという技術的問題もあるとご指摘を受けた).
脳の冷却法としては体表冷却,血管内冷却,また局所冷却としては冷却ヘルメットや経鼻冷却がある.体表冷却の合併症には悪寒,血管収縮,皮膚障害が,血管内冷却には感染,出血,DVTがあり,局所冷却には標的温度に達するまでの時間が遅いという問題がある.
既報の脳梗塞に対する低脳温療法の臨床試験を眺めてみると以下のことが分かる.
(ア) 脳浮腫ないし神経保護を目的として行われている.
(イ) 対照症例数は20名前後と少ない.
(ウ) 冷却方法は体表冷却から血管内冷却に移り,これに伴い標的温度に到達するまでの時間が短縮した.
(エ) 標的温度は33から35℃が多い.
(オ) 持続時間は12から48時間が多い.
(カ) primary outcomeはほとんどの試験で安全性の検証である.
(キ) 脳浮腫に対する検討で,速い復温は頭蓋内圧のリバンドを起こすことが分かっている.
(ク) 合併症対策として徐脈,不整脈,心筋梗塞,心不全といった心血管系障害,血小板減少,凝固能抑制による出血性梗塞の合併,低カリウム血症,感染がある.悪寒のコントロール法は近年発展してきたが,肺炎合併は依然問題となっている.
6)現在進行中の臨床試験
ICTuS 2/3(米国)とEuro-HYP-1(ヨーロッパ)が現在,進行中である.いずれも前向き無作為化試験で,tPAとtPAと脳低温療法の併用を比較するものである.特に後者は1500人を目標としたphase 3試験で,かつプロトコールも現実的なものである(tPA静注後1時間以内に開始,4℃の冷生食水を体重1kgあたり20ml,1時間で点滴静注し,その後,方法は問わず34~35℃のmild hypothermiaを24時間だけ行う).この臨床試験の研究結果が待たれる.