9/14(日)に開催される文学フリマ大阪13に出ます。
ブース:た-31
出店名:前向きエスケープ!
2024年9月~2025年8月の思い出をまとめたエッセイ本で出る予定です。
エイトの現場の思い出はブログにも残しておきたいので、試し読みがてら全文公開します。
推敲・誤字修正はこれからします。
表紙はまだない。

この一年で最大のイベントとしては、やはりSUPER EIGHTの20周年を挙げたい。
Jr.の時期からデビューまでをまともに追った唯一のグループが20周年を迎えた。
旧名・関ジャニ∞の全国デビューは2004年9月22日。
高校一年生だった私は友人と南港で行われた握手会へ行き、炎天下に4時間並んだ。入った部活では偶然にも同じクラスから所属していた3人ともがエイターで、毎回楽しく過ごしていた。
翌年、高校二年生になった初日、新しいクラスで初対面の子に「エイターなんやろ?」と声をかけられ、その子と舞台やライブへ行くようになった。ここではビスコと呼ぶ。
彼女と初めて一緒に行った現場は、初めて大阪城ホールで行われた単独公演『前夜祭』だった。
座席はアリーナ最前列。それ以降のコンサートでは一度も当たったことがない。
私は内博貴の担当で、彼はその公演の2週間ほど前に不祥事を起こし不在になってしまったのだが、それでもコンサートは楽しかった。
メンバーの謝罪で幕を開けたライブは、始まってみれば元気いっぱいで笑いの絶えないエンターテインメントだったけれど、今思えばなかなかのプレッシャーだったのではないかと思う。
そのあとの松竹座での舞台、二度目の握手会、冬のライブは外れて、次に行ったのはゴールデンウィークの大阪城ホール公演。私はいつもビスコと行動していた。
2007年、大学受験の真っ最中に初の京セラドーム公演が決まり、まだ受験を控えていたビスコは私にチケットを譲ってくれて、私は別の友人と見に行った。
8月に大阪城ホールで行われたライブは一緒に行ったけれど、9月に内博貴が復帰したのを境に私が関ジャニ∞から離れてしまってそれっきり。
出戻りしたのは8周年にあたる2012年の∞祭。高1のときの部活の友人が誘ってくれた。
それからビスコとも年に1回ぐらいのペースでライブに行っていたものの、彼女は渋谷すばる担当だったので、2018年に彼が脱退したのを境に、二人でライブに行くことはなくなった。
アイドルの脱退は、目当てのメンバーがいなくなるというだけではない。
それがきっかけで繋がっていた交友関係の結び目がほどけてしまうことも意味する。
二年に一度会うかどうかというぐらいになった。
2022年の暮れにパーソナルカラーを診断してもらったのがかなり久しぶりの再会だった気がする。私の本を買い続けてくださっている方はお持ちかもしれないが、『華の休日』でこのときの話を書いた。(これだけの関係性の相手を、私は宗教かマルチの勧誘かと疑いました。)
こんな調子で、「ビスコと一緒にエイトのライブに行く」という選択肢が近年完全に消滅してしまっていた。だから私は初日の福岡のチケットを2枚で申し込んだものの、誰を誘うかと考えたときに、彼女を念頭に置いていなかった。
九州には、Hey! Say! JUMPファンの友人がいた。普段なかなか会える機会がないので、もしよかったら一緒に行って食事でもどうですか、ということで、彼女とライブに入ることになった。
「楽しそうだけど、私はエイトの歌をあまり知らなくて……大丈夫でしょうか? 何か予習した方がいいでしょうか?」と心配する彼女に、
「大丈夫! 周年ライブだからメジャーどころの曲やると思うし! JUMPに比べて掛け声も振付が多くて大変だと思うから、気軽に来て!」と私は伝えた。
当日はずっと気になっていたアサコイワヤナギのパフェを食べて、みずほPayPayドーム福岡へ。福岡のドーム、名前変わりすぎやろ。
最初の曲はデビュー曲『浪花いろは節』。きんぴかの袴に身を包んだ5人がビルを模したセットの屋上から登場する様は、まさにレコード会社の屋上でデビュー会見を行った関ジャニ∞の成人式。
『NOROSHI』、『キングオブ男』と熱い曲が続き、『無責任ヒーロー』、『あおっぱな』、『ズッコケ男道』と、エイト初心者の友人にも馴染みがあるであろう曲が続いて、私は安堵した。
映像が始まり、「冷蔵庫に入れていた横山裕のプリンを誰かが食べてしまった」という過去の事件が描かれる。エイトの古典落語やなぁと笑っていたら、だんだん様子がおかしくなってくる。かっこいいBGM。鳴り響く黒電話。並んだ黒いスーツ。丸山君が頭上にかぶっていたお面を降ろして、顔を覆う。かつて彼らがアルバムのコンセプトにした始末屋・∞UPPERSのアイテムだ。
「これは、あの、同じ孤児院育ちの、始末屋で……!」
初心者の連れにどうにか説明しようとするも、それどころではない。
私が離れていた期間に作られた∞UPPERS。
リアルタイムで見られなかった、めちゃくちゃかっこいい映像作品とコンサート。
それが突然目の前に蘇ったのである。
「ギャーーーーーーー!?」
ドームにおたくの悲鳴が響き渡る。スーツに着替えた5人が登場する。横山君が煙草に火を点け、それを床に叩きつけると、特効の火柱が上がった。
「ギャーーーーーーー!?」
かつて錦戸君が行ったあまりにもかっこいい演出が再現され、みんな叫ぶことしかできない。
火の演出に合わせ、デビュー会見を再現したビルまで映像の中で燃え上がった。
バチ当たらんか?
ちょっとおもろくなってしまったが、曲はひたすらにかっこいい。
続く『浮世踊リビト』も大好き。何度も繰り返し繰り返し見た∞UPPERSのライブDVDで、この2曲が続くところが本当に好きだった。
次は後方ステージで『アカイシンキロウ』、『モノグラム』、そして『夢列車』。
最近あまりしなかった曲が続いて嬉しい反面、私はかなり心配になってきた。
おそらくこのライブのテーマは「おたくの夢叶えたろかスペシャル」……あまり披露されないけれど人気の高い曲をバンバンやって、ファンを喜ばせようとしているのだと察した。つまり、初心者の友人にとっては全く知らない曲が続く可能性大。
誰やねん、「周年ライブだからメジャーどころの曲やると思う!」とか言ったヤツ……。
しかし始まったからにはできる限り楽しんでもらえたほうがいい。私はなるべく簡単な説明を挟むように徹した。
Jr.コーナーが終わったあとは、横山君と安田君のユニット曲『Kicyu』。
「音源化されていない人気曲です」
続いて、パジャマを着た大倉君が巨大なクマのぬいぐるみとともに歌う『だってアイドルだもん!!』。
「大倉君のソロコンでやった曲で、音源化されてない曲です。私も初めて聴く」
この曲が見られるなんて!と驚きつつ、冷静に邪魔にならないように気を付けて解説を挟み続ける。未音源化曲2連続、楽しめているか気が気でない。
Jr.時代に初めて当時8人でバンド演奏をした『Do you agree?』が続く。
そしてずっと大好きで、いつかやってほしいと思っていたのに長年披露されてこなかった『強情にGO!』が来て、私はもうワケがわからなくなった。
「これ! めっちゃ好きなやつ! 何やったっけな!」
まったく無意味なコメントをしていたら、安田君が「ご唱和ください!」と特にご唱和する記憶がないパートで煽る。
「私も知らん!」と大混乱。
人気の高いカップリング曲『Heavenly Psycho』のあと、シングルの『ワッハッハー』、『イッツマイソウル』と来て、「よかった……やっとメジャーどころに戻ってきた……」と安心する私。
しかし『Cool magic city』が来て、「これカップリング曲でめっちゃ人気のやつ~!」と大興奮しながら解説を挟む。
MCではおしっこの話題になり、「JUMP担の前でおしっこの話をするのはやめてくれ……」と祈った。山田涼介、絶対そんな話せんやろ。翌日会った友人にも「え、昨日JUMP担と一緒だったんですか? あのMC大丈夫でしたか?」と心配された。
ちなみにこのあと2公演入ったが、2公演ともおしっこの話だったので、SUPER EIGHTは毎日おしっこの話をしているのかと思った。
アコースティックバージョンの『10年後の今日の日も』はクリスマスなので、12月のライブにぴったり。
デビューから現在までのCDジャケットを振り返る映像のあとで披露されたのは、メンバー紹介ソングの『SUPER ∞o'clock』だ。
続く『〝超〟前向きスクリーム!』では、メインモニターにこれまで関わってきた有名人やアーティストの方々が躍っている映像が流れており、私は目頭が熱くなった。
関西ローカル番組で結成された彼らが、この20年でたくさんの人たちと出会って、愛され、このような映像をお願いして引き受けてもらえたのだと思うと、すごいなぁと思った。ヘトヘトのうんざり顔でも踊ってくれているマツコ・デラックスが一番泣けた。
三十路男性ネタの『三十路少年』がリニューアルされた『四十路少年』では大笑い。
「足つってもうて戻ってこれへん四十代」と「メールはキモい絵文字打つけど」がツボだった。
こんなノリの曲のあとに突然の『YOU CAN SEE』で、観客はパニック。これまた音源化はされていない、村上君と丸山君の妖艶なユニット曲である。
もう人生で、生で見られると思ってなかった。
水のトンネルで踊る『Water Drop』も、私が行かなかったライブでの演出を再現しており、DVDでしか見たことがなかったものをこの目で見られて感激した。
ダンスで見せる『WASABI』に『Sorry Sorry Love』はかっこいい。
村上君のピアノ演奏を囲んで始まる『大阪ロマネスク』では、モニターに映る村上君の指が震えているのがわかった。あれだけ人前に立つことに慣れている人でもまだ緊張ってするんだなと思った。
バンドコーナーの『ツブサニコイ』では横山君が号泣。『High Spirits』、『象』と続く。『象』には「10年後またここで会おうよ」というフレーズがある。次の三十祭が無事に楽しく開催されることを願う。バンドバージョンでもう一回『ズッコケ男道』がきて、『〝超〟勝手に仕上がれ』で盛り上がった。『LIFE~目の前の向こうへ~』のあとメンバーそれぞれの熱い挨拶を挟み、『LIFE GOES ON』で本編が終了。
紙吹雪の舞う中で寄り添いあいながら歌う5人が「すごくいいもの」に見えた。
エモいとか感動とか愛おしいとか、どれもぴったりとは当てはまらない。
涙を流す人もそうでない人も、真ん中のステージに仲睦まじく集まっていた。
みんな清々しい顔をして、お互いや客席を見ていた。
決してメジャーではない曲を詰め込んで、過去のファンが気に入っていたもの、あとから好きになったファンが自分も見てみたかったと思うようなものをいくつも再現して、これでもかというぐらい「ファンが喜ぶモン思いっきり見したるぞ!」というパワーを感じた公演だった。
全員、すっかり満足して、もういなくなっちゃうんじゃないかと思うほどだった。
幸いそのようなことはしばらくなさそうだけど。
20年以上いいことも悪いこともバカなことも悲しいこともたくさん一緒に経験して、友達であり同僚である彼らのような関係が、私はとても羨ましい。
力強くて、愉快で、かっこよくて、おもろくて、この世に存在する褒め言葉をひとつひとつ書いていっても到底足りない量の紙吹雪の中で、彼らは輝いていた。
アンコールは『パノラマ』、『なぐりガキBEAT』、『へそ曲がり』、『Wonderful World』、『T.W.L』、『関風ファイティング』、『旅人』、『DREAMIN' BLOOD』、『大阪レイニーブルース』、『CloveR』、『がむしゃら行進曲』、『急☆上☆Show!!』、『軌跡とキセキ』という、盛りだくさんぶりだった。
JUMP担の友人は「公演時間ってどれぐらいですかね? 2時間半ぐらいだと思うんですけど……」と終電時刻の相談をしてきたので「たぶんエイトは3時間ぐらいやるよ」と言っていたのだが、予想を上回る3時間20分となった。
友人はわからない曲が多いなりに周りの反応を受けて「これはみんな嬉しい曲なんだな」と思いながら見ていたらしい。楽しんでもらえたようでよかった。
「JUMPの20周年もエイトのように素敵なものになってほしい。そのときのライブを、ぜひ華さんにも見てほしい」と言ってくれた。こんなに嬉しい感想があるでしょうか。
夢のような時間だった。
今まで、どのライブももちろん楽しかったし大満足してきたけれど、今回の二十祭はそれらのライブの最高の部分ばかりを集めて詰め込んだ集大成のような公演だった。
私は「ビスコともこのライブを見たかったな」と思った。
断じて、今回一緒に入る相手が違えばよかったのに、ということではない。
彼女がエイトから離れて何年も経つ。
だから、現在もこのライブを一緒に楽しめるような状況だったら、きっと昔を懐かしんで盛り上がれただろうなと思ったのだ。
すばらしく楽しかったライブの余韻と寂しさに浸って数日後、ビスコの誕生日を迎えたのでお祝いのLINEを送ったところ、返信が来た。
「久しぶりにエイトのライブ行きたい」
ネットでファンの感想を見て、懐かしい曲や演出に興味が湧いたらしい。
私が取れたチケットはすでに終わった福岡公演しかなかったが、当然こう返した。
「行こう!」
この時点で、東京公演も大阪公演も一般発売はすでに終了していた。
だけど行く。行くっつったら行くのだ。
私は毎日チケットぴあを確認し続けた。一般発売は完売したとしても、たまに「戻り」が出てくる。入金期限を過ぎてキャンセル扱いになったチケットが復活するのだ。
それを狙い続けたところ、ついに月曜の東京公演を2枚確保することができた。
年末年始休みが迫る平日だが、繁忙期だが、仕事は休めばいい。
久しぶりにビスコがうちに泊まりにきた。
「うちらも二十祭や」と高校時代のライブ感想を書き綴ったプリクラ帳を出して見せ、あまりにも若々しいノリに悶えつつ思い出話に花を咲かせた。
衣装と同じTシャツを作って着ていったこと。
初めてのタイアップ曲目当てで映画を観に行ったこと。
名古屋公演ついでに名物をたらふく食べたこと。
月曜の朝に東京へ向かい、とらやカフェでお茶を済ませて、東京ドームへ。
一般発売のチケットなので、そんなにいい座席は期待できない。
だけどそんなことはどうでもよかった。案内されたゲートは案の定2階席だ。
表示に従って、客席の細くて急な階段を上がっていく。
自分たちの座席にたどり着いて、私たちは大笑いした。
ステージ正面の一番上の席。天井が近く、後ろには壁しかない。文字通り最後尾だ。
私たちはペンライトを灯した。ビスコは渋谷すばるの赤で、私は内博貴のピンクだ。
どちらの担当も、もういない。
しかしそんなことは全く気にならないほど、二十祭はあまりにも楽しかった。
初めて一緒に入ったライブではアリーナ最前列だったのが、久しぶりに一緒に入った20周年ではステージから最も遠い場所で、見事な結末を迎えた気分だった。
しかしライブにはアンコールがある。
東京公演を終えて年を越し、1月の大阪公演の直前、制作開放席の申込案内が届いた。
機材等の配置が確定したあと、見切れる部分があることを承知の上で開放される座席のことだ。
この抽選に申し込み、なんと当選した。
ビスコを誘うとまた行きたいと言ったため、もう一度一緒に入ることになった。
今度は正面ステージが見えないほど真横の席だ。位置的にはアリーナ最前列より前。
全てが極端である。
私たちはまた、赤とピンクのペンライトを振った。
最後の挨拶では安田君が、いないメンバーの色もつけてと提案してくれたため、順番に赤、ピンク、黄色とそれぞれの色に染まるドームの景色を見ることができた。
なんと感動的なこの瞬間、ビスコのペンライトの電池が寿命を迎えた。
慌てて鞄の中の替えの電池を探し始めると、今度は私の足がつった。
出会った頃には高校生だった私たちもエイトと同じように年を重ね、「足つってもうて戻ってこれへん四十代」に近づきつつあることを実感した瞬間だった。