以下の内容はhttps://pikabia.hatenablog.com/より取得しました。


スーザン・ソンタグ『隠喩としての病い エイズとその隠喩』 病にまつわる物語に苦しまないために

癌とエイズについての古典的エッセイを併録

 

このほど岩波文庫から刊行された『隠喩としての病い エイズとその隠喩』は、スーザン・ソンタグの二つのエッセイを一冊にしたもの。「隠喩としての病い」は1978年、「エイズとその隠喩」は1989年に書かれている。前者は1982年に、後者は1990年に邦訳の初版が出ていたそうだ。二篇合わせても200ページ程度の、あまり長くない本となっている。富山太佳夫による翻訳。

 

先に書かれた「隠喩としての病い」は癌と結核についての文章で、著者本人が癌に罹ったことをきっかけとして書かれたという。そして、この文章の目的はとても明確だ。

それは、癌にまつわる隠喩と神話、つまり世間における、癌についての必要以上にネガティヴなイメージを払拭すること。

著者は自分が癌に罹患したことにより、癌にまつわるそのようなイメージ、あるいは物語が、患者をとても苦しめることを実感した。そして自ら、それらを批判するために筆を執ったのだ。

まずは冒頭に置かれた序文を見てほしい。この文章の簡潔さと明快さは、ソンタグの批評の真骨頂という感じがする。
 

病気とは人生の夜の側面で、迷惑なものではあるけれども、市民たる者の義務のひとつである。この世に生まれた者は健康な人々の王国と病める人々の王国と、その両方の住民となる。人は誰しもよいほうのパスポートだけを使いたいと願うが、早晩、少なくともある期間は、好ましからざる王国の住民として登録せざるをえなくなるものである。
私の書いてみたいのは、病者の王国に移住するとはどういうことかという体験談ではなく、人間がそれに耐えようとして織りなす空想についてである。実際の地誌ではなくて、そこに住む人々の性格類型についてである。肉体の病気そのものではなくて、 言葉のあやとか隠喩として使われた病気のほうが話の中心である。私の言いたいのは、 病気とは隠喩などではなく、したがって病気に対処するには――もっとも健康に病気になるには隠喩がらみの病気観を一掃すること、なるたけそれに抵抗することがもっとも正しい方法であるということだが、それにしても、病者の王国の住民となりながら、そこの風景と化しているけばけばしい隠喩に毒されずにすますのはほとんど不可能に近い。そうした隠喩の正体を明らかにし、それから解放されるために、私は以下の探求を捧げたいと考えている。

(「隠喩としての病い」冒頭部分)

上記の引用だけで、もうこれ以上なにも紹介する必要がないのではと思ってしまうけれど、とはいえもう少し詳しく内容を見てみよう。

著者が注目するのは、結核と癌という二つの病気にまつわる似通った隠喩と神話の数々、そしてそれらの辿った運命の違いだ。

結核と癌、それぞれについての迷信や「隠喩的使用」は、近代以前から同じように見られた。どちらの病も、情熱に関するものだと見なされてきたという。例えば結核は情熱の過多による病であり、逆に癌は情熱の不足による病だというように。内に激しい情熱を秘めた者は結核にかかり、情熱を過剰に抑圧した者は癌になる、という考えがあったそうだ。

それゆえ結核は、恋愛や芸術などに関わる、ある種のロマンティックな性格を与えられるようになる。これを読んでいる方も、昔の文学作品などで結核をわずらうキャラクターに触れたことがあるのではないだろうか。対照的に、癌の方は恥ずべき病気だとされ、またより大きな苦痛を伴うものだと考えられていた。著者は多くの文学作品から、このような観念が描かれた部分を抜き出し、当時の人々によっての結核と癌の神話を繙いていく。

また病気にかかることを懲罰として捉える考え方も根強くあり、特に癌についてはその傾向が強いという。人はしばしば、病を社会的・道徳的な不品行に対する罰だと見なすのだ。著者はこの側面についても詳しく分析する。

そして、このような結核と癌についての神話は、それらの病を隠喩として機能させるようになる。その際も、結核は情熱や創造性を表すポジティブな隠喩として、癌は端的に悪いものを表すネガティブな隠喩として使われる(「社会にとっての癌」「組織にとっての癌」などのように)。

 

ところが、結核の原因が細菌であることが解明され、また20世紀中葉に治療法が確立されると、結核についての神話と隠喩は雲散霧消してしまう。そういったものは結局、原因も治療法もわからないがゆえのものだったということだ。無知と恐怖が、病に過剰な物語を与えるということだろう。

そしてソンタグは、癌についての物語もまた同様だということを示していく。癌の根本的な治療法は残念ながら見つかっていないけれども、しかし、癌についての無根拠なイメージが生み出される機序は、結核の場合と変わらない。

著者は後半に収録された「エイズとその隠喩」の中でこの文章を振り返り、その目的は「無用な苦しみを和らげること」だったと簡潔に語る。癌患者を苦しめるイメージや物語を徹底的に解体し、それが迷信であることを示すこと。

ソンタグはまた、そのような神話は結局、人々が自分たちの生きる社会について感じている諸問題を癌に反映させたものにすぎないとも語る。問題は癌そのものではないのだ。

 

癌の隠喩が見事に映し出して見せた諸問題が解決されるよりずっと以前に、癌の隠喩の方が廃語になっているだろう。私はそう予言したいと思う。

(「隠喩としての病い」第9節より)

 

政治的に利用される疫病のイメージ 


自身の癌体験から書かれた「隠喩としての病い」から約10年後、エイズの流行に際して書かれたのが後編に収録された「エイズとその隠喩」だ。

80年代初頭に発見され、このエッセイの執筆当時には大きな社会問題となっていたエイズにまつわる言説に、ソンタグは再び癌や結核におけるような神話の発生を見出し、「最近では、癌の背負っていた重荷が、はるかに大きなスティグマを押しつけられ、しかもはるかに大きなアイデンティティ損壊力をもつ病気の出現によっていささか軽減された」と述べる。

著者がエイズに関する神話の形成において特に注目するのは、それが「恥ずかしさ」と「罪の意識」を植え付けること、そしてそれが、ある特定の社会集団や地域と結びつけて語られることだ。

エイズが性行為を通じて感染すること。そしてそれが男性の同性愛者のコミュニティにおいて発見され、特に流行したこと。これらの要素が、病気そのものに対する恐怖と結びつき、エイズにまつわる神話を苛烈なものとする。

 

セックスによるこの病気の伝染は、たいていの人が自業自得とみなしていて、他のルートによる場合よりも厳しい言われ方をする──とくにエイズが過剰なセックスの病気というにとどまらず、倒錯ゆえの病気と理解されているからである(断るまでもないだろうが、私は合衆国のことを念頭においている。この国では目下、異性間のセックスによる伝染はまれで、まずありえないと言われている──まるでアフリカなど存在しないかのように)。セックスが主要な伝達経路となる伝染病は、どうしても性的に活発な人々をよけいに危険にさらすことになるし、またその活動の罰とみられやすい。このことは梅毒にもあてはまったが、ただ単にでたらめな性ではなくて、自然に背くとされる特定の性の「あり方」がより危険と言われるエイズでは、よけいにそうである。ある種の性のあり方によってこの病気になるのはわがままで、だからよけいに非難に値する、と。
(「エイズとその隠喩」第3節より)

 

多数の犠牲をともなう新たな流行病が、そうした災厄は遠い過去の話と何十年来信じきっていたところに出現したとしても、その流行病を道徳絡みの「疫病」にまで復活、浮上させる力はないだろう。そのためには、その疫病のもっとも普通の伝達ルートがセックスであることが必要になってくる。
(同第6節より)

病を道徳的な罰だと見なす視線に対するソンタグの批判は、この文章ではより鋭く思える。

そして著者は、古来より疫病が「必ずどこか別の場所から来る(第5節)」と考えられていたことに注意を促す。エイズもまた、それが発見された同性愛者のコミュニティ、そしてその起源であるアフリカをそのような「別の場所」、社会にとっての外部と見なし、外部からの脅威、侵略として語られることとなる。

「非難屋のプロともなれば、セックス経由で伝わる致死の病気が提供してくれる修辞攻勢の機会には抗しきれないだろう(第6節)」と皮肉たっぷりに語りつつ、ソンタグはエイズの神話がどのように政治利用されているかを詳しく記す。それは保守的な道徳観の維持や、そして共産主義との戦いにおおいに利用されてしまう(執筆当時は冷戦のただ中である)。

 

権威主義的な政治のイデオロギーは、不安を煽ることで、異国人による乗っ取りが近いという意識を煽ることで得をする──とすれば、ほんものの病気は有益な材料なのだ。流行病は普通の場合、外国人の、移民の流入を禁止せよという声を引き出す。これまでも外国人嫌悪のプロパガンダでは、移民は必ず病気の(十九世紀の末にはコレラ、黄熱病、腸チフス、結核などの)運び屋とされてきた。(中略)さらに南アフリカの現政権にとっては、エイズが天の贈り物となる。その外相が、最近、周辺の黒人諸国から輸入した鉱山労働者の間にこの病気が広まっていることをあげて、「テロリストどもがマルクス主義よりも恐ろしい武器をかかえてやってくる。それがエイズだ」と高言しているくらいだから。

 

流行病としてのエイズは、第一世界の政治的パラノイアを投射するための理想のものとして機能するのである。いわゆるエイズ・ウイルスは第三世界からの典型的な侵入者であるにはとどまらない。さまざまの神話的な脅威をもあらわしうるのだ。(中略)当然ながら、流行病としてのエイズから道徳的な教訓を引き出すことに一番入れあげている公の声(たとえばノーマン・ポドーレツ)というのは、アメリカが戦闘意欲を、軍備支出を、確固たる反共姿勢を維持する意志があるのかどうか心配するのを主要な問題関心とし、アメリカの政治的、帝国主義的な権威の失墜の証拠をいたるところに見いだしてしまう人々のそれである。

(いずれも第6節より) 

 

ソンタグがエイズの流行をきっかけとしてここに書いたことは、残念ながら、現在の私たちにとってもあまりにも馴染み深い。

私たち自身がしばしば恐怖と不安によってとらわれてしまう神話、そしてその隠喩的な使用について振り返るために、今なお読まれるべき文章だと思う。

 

次の一冊

pikabia.hatenablog.com

ソンタグの著書を過去にも紹介しています。こちらは2003年に発表された晩年の書。2001年の米国同時多発テロや90年代のボスニア・ヘルツェゴビナ紛争を経て、戦争や死のイメージとの向き合い方について考えたもの。

 

pikabia.hatenablog.com

こちらも過去に紹介した、ソンタグ入門。一筋縄ではいかないソンタグの批評の方法を読み解く。

 

エイズ流行時の社会情勢や、それに対する社会運動については本書に詳しい。

 

奈落の新刊チェック 2026年2月 海外文学・SF・現代思想・哲学・歴史・不死の島へ・キットラー・祈りのアナーキー・心の帝国・アヘンの近世・百合スタディーズほか

ほとんど週替わりでとんでもない出来事が起こり、乱世としか言いようのない今日この頃ですが皆様無事にお過ごしでしょうか。大変気持ちが忙しい状況ですが、こんな時こそ本を読むことで別の時間の流れに身を置くことは大事かと思います。というわけでお茶でも飲みつつ2月の気になる新刊をチェックしてみましょう。

 

英国のニューウェーブSFの旗手による1981年作の邦訳。「夢幻諸島」シリーズの一冊でもある。他の訳書に『隣接界 (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)』『夢幻諸島から (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)』『双生児(上) (ハヤカワ文庫FT)』(全て同訳者による)など。訳者の近訳書に『迷宮(上) (講談社文庫)』『バベル オックスフォード翻訳家革命秘史 上 (海外文学セレクション)』など。

 

数々の文学賞を受賞する現代オーストリア作家による最新短編集の邦訳。他に同訳者による『インディゴ』の邦訳あり。

 

英国において、伝統的な幽霊譚が徐々に洗練された小説となっていく過程をたどるアンソロジー。編訳者の訳書に『チャールズ・デクスター・ウォード事件(新潮文庫)』ほか新潮文庫のラヴクラフト各巻、『カーミラ レ・ファニュ傑作選 (光文社古典新訳文庫 K-Aレ 3-1)』『アーサー・マッケン自伝』など、近著に『文豪の食卓』『中華文人食物語 (中公文庫)』などがある。

 

短編の名手と呼ばれる作者のSF短編全集の刊行がスタート。近刊に『死の10パーセント: フレドリック・ブラウン短編傑作選 (創元推理文庫)』『不吉なことは何も (創元推理文庫)』などがある。訳者の近訳書に『失われた古代都市: 歴史に刻まれた記憶』『非在の街 (創元海外SF叢書)』『未来』など。

 

全米批評家協会賞を受賞している、波乱万丈の人生を送ったSF作家ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの伝記。訳者の近訳書に『ボーン・クロックス』『鳥の巣 (DALKEY ARCHIVE)』など。

 

ギリシアの三大悲劇詩人に数えられるエウリピデスの代表作が岩波文庫で。他に『バッカイ――バッコスに憑かれた女たち (岩波文庫)』がある。訳者の近著に『ギリシア古喜劇を読む』『ギリシア悲劇余話』など。

 

ブルックリン在住の、アメリカと日本にルーツを持つ新鋭SF作家のデビュー長編。訳者の近訳書に『絶滅の牙 (創元SF文庫)』『宙の復讐者』『超機動音響兵器ヴァンガード (創元SF文庫)』など。

 

ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい (河出文庫)』などで知られる作家の最新作にして日記小説。近作に『マリッジ・アンド・ゴースト・ストーリー』『7人の7年の恋とガチャ』など。

 

2024年のすばる文学賞受賞のデビュー作にして三島由紀夫賞受賞作。各界の話題をさらった一冊が文庫化。

 

ポストモダン人類学に関わりの深い著者がその方法を語った著書が邦訳。他の邦訳に、入手困難だが『解釈人類学と反=反相対主義』『ヌガラ――19世紀バリの劇場国家』(同訳者による)『バリの親族体系』などがある。

 

『グラモフォン・フィルム・タイプライター』で知られるメディア研究の巨人キットラーの理論を体系的に研究した博論本。著者の訳書に『メディア考古学とは何か?: デジタル時代のメディア文化研究』がある。

 

カルチュラル・スタディーズ、キリスト教思想、社会学を専門とする著者のデビュー作。ヒップホップやパレスチナを経由しながらヴェイユの思想を読み解く。

 

ウィトゲンシュタイン 論理哲学論考 シリーズ世界の思想 (角川選書 1003 シリーズ世界の思想)』ほかウィトゲンシュタイン関連書を多く刊行する著者による懐疑論入門。ほか近著に『すごい古典入門 ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』の基本 言語化できないことに意味はないの?』『言葉なんていらない?: 私と世界のあいだ (シリーズ「あいだで考える」)』『謝罪論 謝るとは何をすることなのか』など。

 

何も共有していない者たちの共同体』などで知られる現代アメリカの哲学者による、旅の哲学。2006年の単行本を文庫化復刊。ほか近刊に『わたしの声 | 水声社 Web Store』『暴力と輝き | 水声社 Web Store』『変形する身体 | 水声社 Web Store』など。訳者の近訳書に『ヤマケイ文庫 極北の動物誌』『あしながおじさん(新潮文庫)』などがある。

 

バトラーの翻訳等で知られる著者による権力論。著者の近訳書にジュディス・バトラーの『改訳決定版 権力の心的な生――主体化=服従化に関する諸理論』『新版 自分自身を説明すること――倫理的暴力の批判』『非暴力の力』、共編著に『ミシェル・フーコー『コレージュ・ド・フランス論集』を読む』、共著に『三つの革命 ドゥルーズ=ガタリの政治哲学 (講談社選書メチエ 664)』などがある。

 

物語化批判の哲学 〈わたしの人生〉を遊びなおすために (講談社現代新書 2782)』がベストセラーとなっている気鋭の哲学者による、日常の哲学。ほか近著に『性的であるとはどのようなことか (光文社新書 1390)』『なぜ人は締め切りを守れないのか』など。

 

英仏における、冷戦終結後の新たな植民地的思考についての本格的な論考。著者はオックスフォードで現代史を教える。訳者それぞれの著書に『植民地独立の起源: フランスのチュニジア・モロッコ政策』『移民を排除する安全保障: フランスにおける「つくられた脅威」』などがある。

 

  • 白水社

「望ましい身体」を創出しようとする作用に注目した、現代の〈帝国〉論を様々な分野から語る論集。編著者の他の編著に『憧れの感情史: アジアの近代と〈新しい女性〉』、著書に『「未熟さ」の系譜―宝塚からジャニーズまで―(新潮選書)』などがある。

 

  • 人文書院

単一の帝国ではなく、帝国の「はざま」から植民地主義を記述する論集。編著者の訳書に『近代科学のリロケーション―南アジアとヨーロッパにおける知の循環と構築―』など。

 

現代における差別と資本主義の関連を、ピケティをはじめとした論者が語る。ピケティの近刊に『エコロジー社会主義に向けて――世界を読む2020-2024』『平等についての小さな歴史』など。

 

カルチュラル・スタディーズの本場ロンドン大学ゴールドスミスカレッジで教える著者による、能力主義の観点からの新自由主義批判。役者の近訳書『ネオリベラル・フェミニズムの誕生』『民主主義』、近著に『ぼっちのままで居場所を見つける ――孤独許容社会へ (ちくまプリマー新書)』『はたらく物語: マンガ・アニメ・映画から「仕事」を考える8章』などがある。

 

大逆罪で逮捕され獄中死したアナキストの手記が普及版として登場。文庫版に『何が私をこうさせたか: 獄中手記 (岩波文庫)』がある。他に『わたしはわたし自身を生きる: 手記・調書・歌・年譜 (自由をつくる vol. 1)』。

 

2004年に邦訳された、英国の著者による啓蒙主義の入門書が文庫化。他の邦訳に『痛風の文化史』『イングランド18世紀の社会 〈新装版〉 (叢書・ウニベルシタス)』『身体と政治: イギリスにおける病気・死・医者,1650-1900 (叢書・ウニベルシタス 887)』などがある。訳者の近訳書に『身体の植民地化――19世紀インドの国家医療と流行病』、近刊に『コレラの世界史(新装版)』など。

 

ベストセラーとなった2023年の単行本が増補して文庫化。著者近刊に『棗椰子の木陰で: 第三世界フェミニズムと文学の力』『彼女の「正しい」名前とは何か ―第三世界フェミニズムの思想― 新装版』『ガザに地下鉄が走る日』『アラブ、祈りとしての文学 【新装版】』、近訳書に『見知らぬ人を認識する――パレスチナと語りについて』『なぜガザなのか: パレスチナの分断、孤立化、反開発』など。

 

  • みすず書房

チーズとうじ虫』などで知られるイタリアの歴史家が、自らの探求の方法を語る。近刊に『自由は脆い』『どの島も孤島ではない――イギリス文学瞥見』『恥のきずな――新しい文献学のために』(全て同訳者による)など。

 

17世紀以降、アヘン戦争以前における海域アジアのアヘン貿易についての博論本。

 

インド神話を中心とした様々な神話における動物の役割を探る。著者の他の著書に『世界の神々100 (ちくま新書 1774)』『災禍の神話学: 地震、戦争、疫病が物語になるとき』、訳書に『インド神話物語 ラーマーヤナ 上』『インド神話物語 マハーバーラタ 上』など。

 

分類学の祖リンネを中心に、18世紀に大流行した博物学の世界を描く。著者の近著に『チャールズ・ダーウィンの生涯 進化論を生んだジェントルマンの社会 (朝日選書) (朝日選書 857)』『ダーウィン前夜の進化論争』など。

 

西洋美術の大家による1983年の単行本が文庫で復刊。ほか近刊に『エラスムス 闘う人文主義者 (筑摩選書 271)』『ヨーロッパ近代芸術論 ――「知性の美学」から「感性の詩学」へ (単行本 --)』『カラー版 名画を見る眼Ⅰ 油彩画誕生からマネまで (岩波新書 新赤版 1976)』など多数。

 

手の倫理』などで知られる美学・身体論を扱う著者による、様々な苦境に置かれた11人による「居場所」の構築のドキュメント。近著に『感性でよむ西洋美術 NHK出版 学びのきほん』『体はゆく できるを科学する〈テクノロジー×身体〉 (文春e-book)』『きみの体は何者か ──なぜ思い通りにならないのか? (ちくまQブックス)』などがある。

下記記事も参照ください。

伊藤亜紗『ヴァレリー 芸術と身体の哲学』 身体に直接作用する詩の機能とは? - もう本でも読むしかない

 

科学思想史の第一人者による、2010年に新書で刊行された生命論の名著がライブラリーで復刊。著者近刊に『人形論』『明治・大正期の科学思想史』『昭和後期の科学思想史』など。

 

1976年、1998年と版を重ねる文化史の古典が講談社学術文庫で。

 

テクノロジーに関する著作の多い社会学者による、アルゴリズム時代の親密性の様相。他の邦訳に『デジタル革命の社会学——AIがもたらす日常世界のユートピアとディストピア』『モバイル・ライブズ:「移動」が社会を変える』がある。

 

三人の著者による鼎談形式の、クィア/フェミニズム視点からの本格的な「百合」批評。著者それぞれの著書に『フェミニスト、ゲームやってる』『クィアのカナダ旅行記』などがある。

下記記事も参照ください。

近藤銀河『フェミニスト、ゲームやってる』 多様なゲームを楽しみ、同時に批評すること - もう本でも読むしかない

 

「ファイナル・ガール」という概念を提唱し、ホラー研究、フェミニズム批評、ファン文化研究に大きな影響を与えた一冊が邦訳。訳者はこれが初の単独訳書の模様。

 

2001年に刊行されたロック研究の書が決定版として復刊。著者の近著に『ライブミュージックの社会学』『私たちは洋楽とどう向き合ってきたのか――日本ポピュラー音楽の洋楽受容史』、編著に『音楽化社会の現在―統計データで読むポピュラー音楽』共著『メディア社会論 (有斐閣ストゥディア)』などがある。

 

ではまた来月。

90年代BUCK-TICK再訪 変化と進化の10年を楽しむ

新作が良かったので、改めて旧作を順番に聴いてみた


第2期BUCK-TICKの第1作となるアルバム『スブロサ SUBUROSA』が発売されたのは2024年11月だったのだけれど、その前年にボーカルの櫻井敦司が他界したことに関連して、このアルバムを聴く準備が自分の中で整っていない気がなんとなくしており、結局、聴いたのは2026年になってからだった。そして、蓋を開けてみればこれは本当に素晴らしいアルバムだった。

新たにメインボーカルを担う今井寿の歌も、はじめてボーカルを披露する星野英之の歌もどちらもとても良く、収録された17曲はどれも勢いと迫力があって、何より楽しそうだった。なんというか、「元気いっぱいだな~」という感じがした。(そして歌詞には、レクイエムと思える言葉がそこかしこに見出される) そして現在のバンドの姿に安心した私は、それゆえに、過去の作品を改めて聴き返したい気分になった。今回の記事は、そうした再訪の記録だ。

以前の記事でも書いたけれど、私はBUCK-TICKについては「わりと年季の入ったライトファン」というくらいの付き合いだ。なので、あまり厳密さや詳細さは期待しないでもらえるとありがたい。

以前の記事というのはこちらです。

pikabia.hatenablog.com


さて、今回は90年代のBUCK-TICKのアルバムについて、改めて順番に聴いてみた。もちろんBUCK-TICKは80年代も00年代も10年代も20年代も素晴らしいんだけれど、それでも90年代がとても重要な時期、バンドが徐々に変化し、1作を経るごとに常に新しい音と世界を見出し、私たちの知るBUCK-TICKとして蛹から蝶へと羽化していった時期だということにはあまり異論は無いと思う。例えて言えば、デヴィッド・ボウイにとっての70年代のように。

そのような時代のアルバムを、順番に紹介してみよう。

 

悪の華(1990)

惡の華 (2015年ミックス版)<プラチナSHM> - BUCK-TICK

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悪の華 - Album by BUCK-TICK - Apple Music

バンドが初のチャート1位を獲得した出世作。80年代の彼らの、いわゆるビート・ロック的な音(BOOWYみたいなやつ)を引き継ぎながらも、ゴシックでデカダンな雰囲気を全編にわたって展開し、バンドのコンセプトを強力にアピールするアルバムになっている。

というか、暴論を承知で言えば、一番大事なのはこのジャケットのような気がする。バンドの現実離れした世界観が一目で伝わるこのイメージが、当時の人々に与えたインパクトは私たちの想像以上だったのではないだろうか。いわゆるビジュアル系の源流のひとつとも目されるバンドゆえに、そのビジュアルイメージが果たす役割は大きいと思う。

改めて聴くと、冒頭に収録された「National Media Boys」の、戦前のヨーロッパ都市のデカダンスとファシズムの予感を思わせるそこはかとない政治性が、以降はほとんど感じないものなので気になった(ドイツ表現主義っぽいジャケットと曲名の含意も含め)。まあこれは深読みかも。

 

狂った太陽(1991)

狂った太陽 (デジタル・リマスター盤)

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狂った太陽 - Album by BUCK-TICK - Apple Music

打ち込みのビートを導入したシングル曲「スピード」などで前作よりもポップに振り切りつつ、一方では前作よりも重めのダークさも打ち出している。このアルバムをバンドの画期、あるいは最高傑作と考えるファンも多いようだ。後のBUCK-TICKはざっくり言うとゴシック要素とサイバー要素が共存するバンドになるのだけれど、その原型が現れたのが本作という気もする。

80年代の雰囲気を引きずりつつ、全体がわりとダマになって聴こえる前作と比べて、それぞれの曲の個性もより際立つようになり、音楽性の広がりと技術の向上を感じる。(事実、このアルバムの後、過去の代表曲を再録音した再録ベスト盤『殺シノ調べ This is NOT Greatest Hits』がリリースされる)

今の感覚で聴くと、「狂気」に関するいかにも90年代的に不用意な歌詞がやや気にはなる(これは以降しばらくも同様)。あとマンチェスター・ムーブメントの頃に流行ったリズムパターンが時々出てきてこの時代特有の雰囲気がある。

 

Darker than Darkness -style 93-(1993)

darker than darkness-style93- (デジタル・リマスター盤)

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darker than darkness style 93 ‑「Album」by BUCK-TICK | Spotify

Darker Than Darkness - Style 93 - Album by BUCK-TICK - Apple Music

タイトルの通り、ダーク方面に大きく舵を切った意欲作。前2作にあったようなキャッチーなシングル向けの曲がほぼなく、全体的に重い音像ではあるものの、音楽的にはむしろカラフルで、当時流行っていたグランジ的なロック、はたまたダブ、あるいはジャズやファンクなど、より多彩な曲調が採用されている。個人的には、前作よりもこのアルバムの方が「その後のBUCK-TICK」の姿がはじめて現れたアルバムという印象を受け、いま人に勧めるならこのアルバム以降かなと思った(初期のシングル曲は別途聴いていただきつつ……)。

このアルバムから次作にかけてが90年代BUCK-TICKのダーク&ヘヴィ期なんだけど、音楽性の多彩さという意味ではむしろ開放感を感じる時期だと思う。

後の櫻井敦司の書く歌詞に顕著な、あの「なんか悟った感じ」というか、一見暗いんだけど実はポジティブな感じ、捻くれてはいるけどいじけてはいない感じがこのアルバムあたりから出てきている気がする。

 

Six / Nine(1995)

Six/NiNe (デジタル・リマスター盤)

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Six/Nine ‑「Album」by BUCK-TICK | Spotify

Six / Nine - Album by BUCK-TICK - Apple Music

前作のダーク&ヘヴィ路線をさらに推し進めつつ、シングル向きの曲は皆無となり、ノイズと電子音で全編が埋め尽くされた、全キャリアの中でも屈指の意欲作。インストゥルメンタル曲に乗せたポエトリー・リーディングで始まり、中盤にも同様の曲が挟まり、最終曲もインスト曲という、いかにもコンセプト・アルバムという作りになっている。音楽性は前作以上に多彩になりつつ、全曲に音が分厚く重ねられていて、シンプルな音像の曲が1曲もない。極彩色の暗黒に満たされた、墓場鬼太郎みたいな楽しいサイケデリック地獄めぐり

初めて聴く人に勧めていいのかわからないけれど、90年代でいちばん好きなアルバムだ。以前の記事でも詳しく紹介しています。

BUCK-TICK『SIX/NINE』『十三階は月光』 コンセプト・アルバムという贅沢 - もう本でも読むしかない

 

COSMOS(1996)

COSMOS (デジタル・リマスター盤)

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COSMOS ‑「Album」by BUCK-TICK | Spotify

Cosmos - Album by BUCK-TICK - Apple Music

そしてこれは、90年代BUCK-TICKの中で最も愛くるしいアルバムと言える。先行シングル「キャンディ」が全てを物語っているのだけれど、驚くほどにポップでキュートなメロディとギターリフが飛び出す、タイトルの如く砂糖菓子のような1曲だ。前2作を経た後にこの曲が発表された当時のインパクトは想像にあまりある。とはいえ同じくポップな80年代の曲とは違い、この曲は全編がギターのフィードバック・ノイズで覆われている。ただそのノイズも、前作にあったような重厚でサイケデリックなノイズではなく、もっとエレキギターとエフェクターを初めて買った若者が無邪気に鳴らしてる感じの子どもっぽいノイズなのだ。

アルバム全体も、『Darker than Darkness』以降の多彩な感じがありつつも比較的シンプルな音作りで、ライトでノイジーにまとまった聴きやすいアルバムになっている。

 

SEXY STREAM LINER(1997)

SEXY STREAM LINER - BUCK-TICK

  • アーティスト:BUCK-TICK
  • UNIVERSAL MUSIC GROUP
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SEXY STREAM LINER ‑「Album」by BUCK-TICK | Spotify

Sexy Stream Liner - Album by BUCK-TICK - Apple Music

90年代のラストを飾るこのアルバムは、先述したBUCK-TICKのゴシック要素とサイバー要素のうち後者に振り切った作品。テクノ/ハウスの要素や当時流行していたドラムンベースを全編に取り入れた、デジタル・ロック(これも当時の流行語らしい)的なアルバムになった。一方で『Six / Nine』に萌芽があったようなアンビエントな曲も印象に残る。とにかく普通にギターで始まる曲がほとんどないので、一般的なバンドの音からの飛躍という意味では90年代において『Six / Nine』と双璧をなすと思う。

ちなみに、今作で一番印象的かもしれないと思うのは「ジャケットが白い」ことだ。並べて見てもらうとわかるけど、基本的にずっと黒かったジャケットデザインが、いきなり真っ白になっている。個人的には音の変化よりもむしろこちらのインパクトが強かった。ここまでずっと黒BUCK-TICKだったものが、一転して白BUCK-TICKに変化したアルバム。あと曲名にやけに漢字が多く、それも相まって、なんとなくサイバーパンク的アジア感が漂う。

今井寿メインボーカルの「MY FUCKIN' VALENTINE」は、後の第2期BUCK-TICKを予言する曲となった。

 

 

この次の『ONE LIFE, ONE DEATH』は2000年なので、ここまでが90年代となる。思いつくままに書いてきたけれど、こうして順番に聴いてみると、それぞれのアルバムの良さとは別に、一作ごとの変化を追っていくのがとても楽しかった。

なかなか贅沢な楽しみだと思うので、興味を持たれた方はぜひ試してみていただきたい。

 

(それにしても、普段はわりと真面目に本を紹介などしているけれど、こうやって単に好きなものを好きなように語るというのは大変に息抜きになります。本の紹介も好きでやっているのですが……)

 

 

デヴィッド・ボウイ関連の過去記事も貼っておきます。

pikabia.hatenablog.com

『ポピュラー文化がラディカルな思想と出会うとき──マーク・フィッシャーとイギリス現代思想入門』ポピュラー文化とともにある階級闘争

初めての「イギリス現代思想」ガイドブック

 

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今回紹介するのは、仲山ひふみ+ele-king編集部監修による論集、『ポピュラー文化がラディカルな思想と出会うとき──マーク・フィッシャーとイギリス現代思想入門』だ。

副題が示す通り、本書はマーク・フィッシャーという思想家を中心に「イギリス現代思想」について紹介するものなのだけれど、実はこのカテゴリーはあまり一般的なものではない。これは、本書が新たに提示しようとしているカテゴリーなのだ。

ではそのイギリス現代思想とは、いったいどんな思想なのか? ここで本書の表紙と全ページに掲げられている英語タイトルを見てみよう。

 

Critical Theory, Marxism, Cultural Studies in the UK

 

批評理論、マルクス主義、そしてカルチュラル・スタディーズ。イギリス現代思想とは、これらの理論を主軸にした思想潮流だということのようだ。

上記の他に本書に登場する思想的なキーワードとして、「加速主義」「ゼノフェミニズム」「サイバーフェミニズム」「思弁的実在論」などが挙げられている。またマーク・フィッシャー以外にも、『ブラック・アトランティック』などで知られるポストコロニアルの思想家ポール・ギルロイ、カルチュラル・スタディーズに関わりの深いレイモンド・ウィリアムズスチュワート・ホール、思弁的実在論の一角を担う哲学者レイ・ブラシエほか、とても多くの思想家や研究者が登場する。

 

そして本書によれば、イギリスにおいてこれらの批判的理論はアカデミックに研究されるだけではなく、ポピュラー文化とともに、ポピュラー文化の中に現れるという。それが本書のメインタイトル、「ポピュラー文化がラディカルな思想と出会うとき」の意味だ。本書はいわゆる「現代思想」だけではなく、世界の変革を目指す「ラディカル」な思想が、大衆文化と地続きになっているというイギリスの文化のありかたを紹介するものなのだ。

本書の冒頭に収められた野田努による文章がその具体例を多く挙げている。ビートルズやデヴィッド・ボウイから続く、労働者階級によるポピュラー文化は、左派的なメッセージを歌ってヒットを飛ばしたポール・ウェラーザ・ジャム、政治とロックが深く結びつくポスト・パンクバーミンガム学派によるサブカルチャー研究の伝統などに結実する。

ここでまとめられる、イギリスにおけるポップ・カルチャーと政治理論の結びつきはとても刺激的だ。そして本書の主役であるマーク・フィッシャーもまた、音楽や映画などのポピュラー文化の批評から出発した思想家なのである。

 

また本書には多くの論文やコラムに加えて國分功一郎、毛利嘉孝、田崎英明、宮﨑裕助へのインタビューが収録されている。いずれも現在の状況に対する危機感と、それに対抗する思考の手がかりを示してくれ、大変に読みごたえがある。

なお本書を監修する仲山ひふみは様々な媒体に原稿を発表している批評家で、本書でも取り上げられているレイ・ブラシエの初の邦訳書『解き放たれた無』(2026年3月刊行予定)の翻訳も担当している。共同監修者として記載されているele-king編集部は、野心的な音楽メディア『ele-king』およびele-king Booksの刊行を手掛ける。

 

新しい「文脈」による、思想との出会い

 

さて、本書は論文、コラム、インタビュー、書籍ガイドなどで構成された論集あるいはアンソロジーなのだけれど、冒頭から読み始めたところ、なんとそのまま最後まで通読してしまった。個人的にはこのような体裁の本は、だいたい拾い読みくらいで終わってしまいがちなので、自分でも驚きの出来事だ。それだけ、自分にとって吸引力のあるテーマと魅力的な内容だったのだと思う。

そして本書のような、新しいカテゴリーを提示する本の魅力を解き明かしてくれる言葉が、収録されているインタビューの中に見つかった。

 

現代のような情報社会では、たしかに情報それ自体は即時流れているのかもしれませんが、きちんと文脈をつくらないとその情報は受容されないように思います。思想がしっかり受け止められるためには、あるいは思想がしかるべき人に伝わるためには、 文脈づけが必要です。そしてそれはアナログな作業です。その思想に着目する人間がいて、それをつなげていく人間がいる。イギリス現代思想をいま語れるような求心力があるのは、そういう人たちがしっかりいるということではないでしょうか。

(「宮﨑裕助インタヴュー 私たちの世界には根本的に幽霊がいる──デリダ研究者から見たマーク・フィッシャー」より)

 

そう、本書は様々な思想や理論、著者やグループを、「イギリス現代思想」「ポピュラー文化とラディカルな思想との出会い」という、新しい「文脈」のもとに見せてくれるのだ。そのことが、私たちに新しい受容を、新しい出会いをもたらすことになる。編者たちによって構成された「文脈」の力が、本書のわくわくするような魅力になっているのだと思う。

 

 

 

この後は、本書に登場する人物やキーワードを、いくつか選んで簡単に紹介しよう。

 

マーク・フィッシャー

批評ブログ「k-punk」で注目され、2009年に刊行された『資本主義リアリズム』によって一躍その名を知らしめたものの、2017年に自死してしまった批評家。資本主義リアリズムとは、私たちが資本主義以外の世界を想像することすらできなくなっている状態を指す言葉で、同書は現代社会の苦しさや、逃げ場のない搾取の形を鋭く描き出した。

こちらの記事で詳しく紹介しているので参照されたい。

pikabia.hatenablog.com


他にも『我が人生の幽霊たち』では、過去が文化の中に亡霊のように回帰することを示す「憑在論」が語られ、中断された最後の講義録『ポスト資本主義の欲望』では、資本主義の外部を考えるために私たちの欲望そのものを捉えなおすことを目論む。

 

カルチュラル・スタディーズ

労働者の文化について論じていたマルクス主義者、レイモンド・ウィリアムズリチャード・ホガードの影響を受け、バーミンガム大学の現代文化研究センター(CCCS)のセンター長であったスチュアート・ホールらによって1970年代頃に始まった文化研究の一派。ドイツの批判理論やフランスのポスト構造主義、記号論などの影響を受けつつ、様々な分野を横断した理論が展開された。

本書では『ブラック・アトランティック』『ユニオンジャックに黒はない』などで知られる、ポストコロニアルを代表する理論家の一人ポール・ギルロイが一章を割いて紹介されるほか、カルチュラル・スタディーズがイギリス現代思想に与えた影響が度々言及される。

日本におけるカルチュラル・スタディーズの第一人者である毛利嘉孝のインタビューも収録されている。

 
思弁的実在論

2000年代に起こった哲学的潮流である「思弁的実在論」の呼称は、2007年にロンドン大学ゴールドスミス・カレッジで開催された同名のワークショップに由来する。「もの自体は捉えられない」とするカント以来の相関主義を批判し、「もの」が実在するということを新しい視点で主張する潮流だ(かなり適当にまとめています)。

このワークショップに登壇したのがフランスのカンタン・メイヤスー、アメリカのグレアム・ハーマン、そしてイギリスのイアン・ハミルトン・グラントレイ・ブラシエ。本書の監修者である仲山ひふみは、ブラシエの初の邦訳書となる『解き放たれた無: 啓蒙と絶滅』の翻訳を担当しており、本書でも一章を割いて論じている。

当ブログでも以下の関連書を紹介しています。

pikabia.hatenablog.com

 
加速主義

マーク・フィッシャーとも関連するこの用語は現在ほとんどミーム化しており、その定義を確定することは難しく、またこの言葉が含意する政治的な主張や立場もまた多岐に渡っている。

本書に収録された幸村燕の論考では、ミーム化する以前、加速主義というものがそもそも何だったのかという起源がまとめられている。現在は右派の論客と見なされているニック・ランドが1995年に設立したサイバネティック文化研究ユニット(CCRU)がその主な発信源となり、もともとはこのユニットに集まった人々の議論を揶揄する意味で「加速主義」という言葉が使われたとのこと。

ドゥルーズ=ガタリに影響を受けたランドが提唱した加速主義とは、資本主義の革命は「資本主義に内在するプロセスによって資本主義自身が自己を乗り越える」(同書より)ことによって起こるとする立場だ。ただしその理論はネオリベラリズムやテクノリバタリアニズムとも相性が良いものだった。

一方マーク・フィッシャーはマルクス主義者の理論に依拠しながら同様のコンセプトを考え、フィッシャーの教え子であるニック・サーネックアレックス・ウィリアムズが発表した「#加速派政治宣言」によって、加速主義を左派的なものとして再発明したという。

この後、加速主義からは新反動主義、新合理主義、ゼノフェミニズム、リビドー唯物論など、様々な思潮が派生しているとのこと。

こちらはニック・ランドを中心に加速主義を紹介するもの。同著者の本を下記で紹介しています。

木澤佐登志『闇の精神史』 目指すべき「未来」のイメージを、失われた過去の中に探る遍歴 - もう本でも読むしかない


田崎英明インタビュー「ジェンダーも人種も、階級とセットで考えよう」

批評家である田崎英明へのインタビューでは、アイデンティティの問題について考える際に、「階級」というファクターを意識することの重要さが語られる。

カルチュラル・スタディーズの項でも触れたスチュアート・ホール「ジェンダーや人種とは、階級が生きられる様式である」と主張し、アイデンティティとは階級を生きるやり方だとした。こうした考えは「アーティキュレーション」と呼ばれ、マルクス主義とラディカル・フェミニズムが分離した日本ではあまり議論されて来なかったものだという。

スチュアート・ホール以後も、イギリスでは、フェミニズムにラカンやアルチュセールの議論を導入して論じるアーティキュレーション論の蓄積がある。

フィッシャーへの応答としても読める、田崎英明の近著はこちら。

pikabia.hatenablog.com

 

國分功一郎インタビュー「今こそ階級闘争を仕掛けるとき」

國分功一郎へのインタビューでは、イギリス滞在時の経験や日本の大学の状況を述べつつ、現在は富裕階級の方が階級闘争に勝利している状況だということが述べられる。

富裕層は「頑張った人が報われる社会が必要だ」「開かれた社会が必要だ」等のイデオロギーによって闘争に勝利し、福祉国家を否定して社会構造を変化させた。この富裕層によるイデオロギー闘争の勝利は、「競争力や生産性が道徳的な性質として見なされるようになった」「資本主義の側が道徳的な性質を簒奪した」とも表現されている。

國分功一郎はその著書である『暇と退屈の倫理学』を、社会が一元化することへの危機感に基づいた「僕なりの階級闘争の目論見」だったと語る。

 

サイバーフェミニズム

アメリカのダナ・ハラウェイ『サイボーグ宣言』の影響を受け、1990年代に提唱され始めた。加速主義の項で触れたサイバネティック文化研究ユニットのメンバーだったサディ・プラントがそれを理論化した一人で、97年の著書『Zeros + Ones』では女性とコンピュータやテクノロジーとの関係を再編成し、資本主義と家父長制を攪乱する契機をテクノロジーの内部に探った。他に同研究ユニットに所属していたルチアーナ・パリシもプラントの議論を継承・発展させている。

また2015年には左派加速主義の影響を受けた「ゼノフェミニズム宣言」が匿名のコレクティヴによって発表され、加速主義にフェミニズム的介入を行い、ポスト資本主義の状況をより交差的に思考することを主張しているという。

 

本書の目次(出版元サイトより転載)

【インタヴュー】
國分功一郎 今こそ階級闘争を仕掛けるとき──イギリス滞在時に感じたこと
 ▶イギリスと日本の違い│社会の幼年期に注目する必要がある│こちらから階級闘争を仕掛けなければならない│自然と満足できるように│新しい病としての「うつ病」│今こそフィヒテを読みなおすとき

毛利嘉孝 自分たちの知をつくること──大衆文化にラディカルな思想が流れこむ
 ▶イギリスだからこそカルチュラル・スタディーズは生まれた│知をアカデミズムに閉じこめない風土│スチュアート・ホールの功績│ストリート出身のポール・ギルロイが変えたこと│ヨーロッパの理論はイギリスでどう受けいれられたのか│マーク・フィッシャーが残したもの

田崎英明 ジェンダーも人種も、階級とセットで考えよう──アイデンティティ・ポリティクスが批判される背景
 ▶加速主義を切り捨ててはいけない│なぜ労働はなくならないのか│イギリスとフランスは交流が盛ん│イギリスにはアルチュセール派の影響が大きい│マルクス主義とフェミニズム/クィア理論は共闘できるか│シニシズムに陥らないために

宮﨑裕助 私たちの世界には根本的に幽霊がいる──デリダ研究者から見たマーク・フィッシャー
 ▶デリダ研究を牽引していたのは英語圏だった│ロンドンは世界各地から知が集まる場所│亡命知識人たちがつなぐ世界│ポップ・カルチャーに思想が侵入する│もともとの憑在論の意味について│イギリス現代思想の未来

【マーク・フィッシャー著作案内】
『資本主義リアリズム』(仲山ひふみ)/『わが人生の幽霊たち』(平山悠)/『奇妙なものとぞっとするもの』(大岩雄典)/『K-PUNK』(宮田勇生)/『ポスト資本主義の欲望』(安藤歴)/その他のテクスト(仲山ひふみ)/ゼロ・ブックスとリピーター・ブックス(仲山ひふみ)

【ポール・ギルロイの功績】
黒い大西洋(鈴木慎一郎)/ポストコロニアル・メランコリア(有元健)

【コラム】
道は一本ではない、とマーク・フィッシャーの音楽批評は示している(イアン・F・マーティン/青木絵美訳)
ポピュラー文化との共鳴にこそ興奮するイギリスの論客たち──レイモンド・ウィリアムズからバーミンガム学派へ、そしてフィッシャーへ(野田努)
成人教育はポストフォーディズムの侍従か──マーク・フィッシャーのカルチュラル・スタディーズ的出自(河野真太郎)
レイ・ブラシエと哲学の未来(仲山ひふみ)
加速主義以後の加速主義と加速主義的なもの(幸村燕)
憑在論的メランコリアを超えて──マーク・フィッシャーとサイバーフェミニズムの行方(清水知子)
月曜の朝のかすかな光──マーク・フィッシャーと加速主義(水嶋一憲)
鬱病リアリズムという提案──生き延びることの肯定に向けて(杉田俊介)
『ポスト資本主義の欲望』講義の続き──欲望の向きをいかに定めようか(大橋完太郎)
旅をして夢をみる──《消滅していく土地について》とふたつの「イーリーなもの」(原塁)
亡霊の足跡(あるいはDo It With Style)(飯田麻結)
イギリス現代アートにおけるマーク・フィッシャーの影響──オトリス・グループとスペキュラティブ・テートを中心に(山本浩貴)
オーウェン・ハサリー──闘争するモダニスト(星野真志)
馬鈴薯と袋と資本とその主義(ファシズム)(長原豊)
ぎょっとするホブゴブリンがブリテンのあちこちではびこっている──イギリスにおけるマルクス主義の大雑把な見取図(小林拓音)

 

 

 

 

 

奈落の新刊チェック 2026年1月 海外文学・SF・現代思想・哲学・歴史・光と糸・鋭い断片・図書館旅団・知の革命家たち・地球共同体・実験音楽ほか

衆院選直前となりましたがみなさまいかがお過ごしでしょうか。何が起こるか全く予想できない状況でまさに乱世という感じがしますが、当ブログとしては少しでも良さそうな本を世の中に紹介し、少しでも世の中が明るくなることを願うばかりです。無力ながらもめげずに今月の新刊チェックをどうぞ!

 

2024年ノーベル文学賞受賞作家の、受賞後初の単行本が早くも邦訳。受賞記念講演、エッセイ、詩などを著者自らが編纂したアンソロジーとのこと。近刊に『かみなりせんにょと いなづませんにょ』『涙の箱』『別れを告げない』など。訳者の近訳書に『声を出して、呼びかけて、話せばいいの』『誰でもない (河出文庫)』『ピンポン (白水Uブックス/海外小説の誘惑)』、近著に『「なむ」の来歴』『増補新版 韓国文学の中心にあるもの』などがある。

 

赤く染まる木々』『ジェイムズ』と邦訳刊行が続いている作家による、「黒人らしさ」をめぐる小説。映画「アメリカン・フィクション」の原作。訳者の近訳書に『天才たちのしくじり』『Hマートで泣きながら (集英社クリエイティブ)』など。

 

 

同訳者による『HHhH: プラハ、1942年 (創元文芸文庫)』で知られる作家の、2020年の単行本の文庫化。事故死したロラン・バルトの手から消えた文書をめぐる言語・記号学ミステリという野心作。他の邦訳書に『文明交錯 (海外文学セレクション)』がある。訳者の近訳書にトリスタン・ガルシア『7』、『認知アポカリプス――文明崩壊の社会学』『編集者とタブレット (海外文学セレクション)』など。

 

映画化もされたベストセラー『アメリカン・サイコ』の作者による13年ぶり小説が邦訳。80年代を舞台にした自伝的小説? 多の邦訳書は残念ながら軒並み入手困難の模様。訳者の近訳書に『わたしたちが起こした嵐 アジア文芸ライブラリー』『蜘蛛の巣の罠(上) (扶桑社BOOKSミステリー)』『ポール・ニューマン語る ありふれたの男の驚くべき人生』など。

 

2018年に発表されたブラジルの新鋭のデビュー作にしてベストセラーが邦訳。リオのスラム街を舞台とした「新リアリズム(ノーヴォ・ヘアリズモ)」の作品とのこと。訳者は他にクラリッセ・ リスペクトル『星の時』『ソフィアの災難』『水の流れ』などを手掛ける。

 

占領下パリの図書館員たちを描いた『あの図書館の彼女たち』(同訳者による)の作者による、こちらは1918年と1987年の物語が交錯する図書館小説。訳者の他の近訳書に『罠 (新潮文庫 ハ 59-3)』『ロンドンの姉妹、思い出のパリへ行く』『リスボンのブック・スパイ』など。

 

2015年に『地の底の記憶』デビューした作家の芥川賞受賞作。他の作品に『改元』がある他、各種SFメディアにも寄稿。

 

こちらも芥川賞受賞作。雑誌掲載作品はいろいろあるものの、単行本化された作品はこれだけのよう。

 

わたしたちの怪獣 (創元SF文庫)』『七十四秒の旋律と孤独 (創元SF文庫)』などで知られる創元SF短編賞出身作家の新作は、銃乱射事件のその後が題材。

 

国書刊行会の伝説的な編集者による、様々な幻想作家たちの肖像。他の著書に『龍彦親王航海記:澁澤龍彦伝』がある。

 

comet-bc.stores.jp

水声社による、全250巻予定という圧倒的な叢書「知の革命家たち」の刊行がスタート。各巻で一人の人物を扱い、初回配本は、ドゥルーズルネ・シャールブルデュー。次月にはガルシア=マルケスシュトックハウゼンが控えている。

blog 水声社 » Blog Archive » シリーズ:《知の革命家たち》

著者それぞれに近刊に『ドゥルーズ 思考の生態学』(ドゥルーズ)、『地面の底のわれわれの顔-わが近未来近代』『萩原VS西脇-二十世紀日本語詩の可能性』(ルネ・シャール)、『リベラルアーツと芸術 | 水声社 Web Store』『リベラルアーツと民主主義 | 水声社 Web Store』(ブルデュー)など。

 

ネクロポリティクス: 死の政治学』『黒人理性批判 (講談社選書メチエ)』とすごい勢いで邦訳刊行が続くカメルーンの哲学者による著書。中村隆之・平田周共訳

 

昨年刊行された『斜め論 ――空間の病理学』が話題のラカン研究者による、新書のラカン入門がついに登場。ほか近著に『人はみな妄想する 増補新版:ジャック・ラカンと鑑別診断の思想』『心の病気ってなんだろう? 中学生の質問箱』、訳書に『情動と精神分析 ラカンが情動について語ったこと』『ハンズ 手の精神史』『現実界に向かって: ジャック=アラン・ミレール入門』などがある。

 

物語論でも知られる20世紀フランスの哲学者による、イマジネーションについての講義録。近刊に『有限性と罪責性: 過ちやすき人間/悪のシンボリズム (シリーズ 宗教学再考 7)』『聖書を考える』などがある。訳書の著書に『対話の思考法 相手とぶつからないコミュニケーション (角川新書)』『20代からの文章読解~人文学的思考を鍛える「読み方」10講』『VTuberの哲学』など。

 

現代の物理学と哲学を架橋する、新鋭の著書。本書が初の著書となる。

 

哲学者ライプニッツの人生における7日間を取り上げてその哲学を再構成するという野心的な一冊。著者はハノーファーにあるライプニッツ研究所の所長とのこと。訳者の近訳書には『ドイツ戦後史 1945–1955──瓦礫の上の民主主義 (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズV)』『満足できない脳: 私たちが「もっと」を求める本当の理由』『遥かなる山に向かって――日系アメリカ人二世たちの第二次世界大戦』などがある。

 

イメージ人類学・表象文化論の大家による、フラ・アンジェリコを手掛かりに壮大なキリスト教イメージの世界を辿る大著。他の著書に『イメージの地層―ルネサンスの図像文化における奇跡・分身・予言―』『キリストの顔 ――イメージ人類学序説 (筑摩選書)』、訳書に『キマイラの原理:記憶の人類学』などがある。

 

批評誌『アラザル』に参加し、様々な媒体に映画批評を発表していた著者による初の著書。

 

作曲家・電子音響アーティストでもある著者による音響の哲学の試み。訳者の小嶋恭道は『ユリイカ』『現代思想』などに翻訳論文を発表している。

 

完全な経済的自由を求めて民主主義から脱出しようとする動きについて。著者の邦訳には他に『グローバリスト:帝国の終焉とネオリベラリズムの誕生』がある。訳者は他にクライン『ブランドなんか、いらない 新版』などを手掛ける。

 

2024年刊『ロシア宇宙主義』の監訳者による、同テーマの入門書。他の著書に『ロシアあるいは対立の亡霊 「第二世界」のポストモダン (講談社選書メチエ)』、訳書に『コサック: 1852年のコーカサス物語 (光文社古典新訳文庫 Aト 3-6)』などがある。

 

同訳者による『グアヤキ年代記 ――遊動狩人アチェの世界 (ちくま学芸文庫ク-38-1)』の文庫化に続き、2003年の単行本が平凡社ライブラリー入り。ほか近刊に『国家をもたぬよう社会は努めてきた: クラストルは語る』など。いずれも入手困難ではあるものの、訳者は他に『ブックマップ 現代フランス哲学』『ドゥルーズ/変奏』など手掛ける。

 

政治思想史の大家による2011年の著書が文庫化復刊。ほか近著に『スネーク・ピープル: ジグザグデモ、あるいは戦術の系譜』『グレーバー+ウェングロウ万物の黎明を読む: 人類史と文明の新たなヴィジョン』『賢人と奴隷とバカ』、訳書にグレーバー『啓蒙の海賊たち あるいは実在したリバタリアの物語』『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論』、『四つの未来 〈ポスト資本主義〉を展望するための四類型』などがある。

 

右翼の巨頭と言われる頭山満昭和天皇との密かな繋がりについて。他の著書に『頭山満・未完の昭和史: 日中不戦の信念と日中和平工作』、共著に『福岡県の近現代』など。

 

想像するのも難しい、文字を使用しない社会についての入門書。著者はシベリア少数民族文化研究を専門とする。

 

アナール学派を代表する歴史家の2004年の単行本が文庫化復刊。ほか近刊に『比較史の方法 (講談社学術文庫)』『奇妙な敗北: 1940年の証言』など。訳者の他の訳書は『ヨーロッパとは何か 増補 (平凡社ライブラリー)』などがあるが、入手困難のものが多い。

 

中央公論新社より平易な古典入門シリーズが刊行開始。それぞれの著者の近著に『13歳からの概念思考』『別冊NHK100分de名著 集中講義 三大哲学書: カント純粋理性批判ヘーゲル精神現象学ハイデガー存在と時間 (教養・文化シリーズ)』『責任と物語』(アーレント)、『民主主義と東京大学 大学の自由と使命を考える』『選挙、誰に入れる? ちょっとでも良い未来を「選ぶ」ために知っておきたいこと (新時代の教養)』『実験の民主主義-トクヴィルの思想からデジタル、ファンダムへ (中公新書 2773)』(ルソー)などがある。

 

これは珍しい切り口のキリスト教史。著者の他の著書に『創造論者vs.無神論者 宗教と科学の百年戦争 (講談社選書メチエ)』『宗教と日本人 葬式仏教からスピリチュアル文化まで (中公新書)』、共著『日本の聖地 解剖図鑑』になどがある。

 

あの世界最古の建築理論の書が持ち運べるサイズに。訳者の近刊に『建築論 (講談社学術文庫 2904)』など。

 

1990年の単行本が文庫で復刊。訳者の近刊に『犯罪学と精神医学史研究』全3巻など。

 

2006年の旧版を増補復刊。『「奇譚クラブ」の絵師たち (河出文庫 ぬ 2-1)』と合わせてどうぞ。

 

作曲家でもある著者による、実験音楽の本格ガイドブック。500名以上の作曲家を紹介。杉本拓監訳・若尾裕訳

 

イギリスのジャーナリストによる、182人のインタビューで辿るボウイの人生。菅野楽章監訳・安達眞弓訳。

 

2017年のちくま新書が文庫化。著者は他に『野中モモの「ZINE」 小さなわたしのメディアを作る (シリーズ日常術)』などの著書があるほか、『危険なトランスガールのおしゃべりメモワール (I am I am I am)』『読書と暴動 プッシー・ライオットのアクティビズム入門 (ソウ・スウィート・パブリッシング)』『音楽のはたらき』『NAÏVY』など訳書多数。

 

ではまた来月。

 

福尾匠『置き配的』 ポジションばかりが問われる社会で、「書くこと」の意味を取り戻すこと

『非美学』の著者による、社会批評エッセイ

 

今回紹介する『置き配的』は、これまで主にジル・ドゥルーズに関する著書を発表してきた福尾匠による、雑誌『群像』に掲載された連載批評をまとめたもの。

当ブログでは以前、著者の代表作と言える『非美学 ジル・ドゥルーズの言葉と物』を紹介しているものの、こちらは博士論文を書籍化した重厚な哲学書だった。それに比べてこの『置き配的』は、もっと気楽に読める批評エッセイだと思う。

pikabia.hatenablog.com

 

ただ、気楽にとは言っても、ここに書かれていることはけっこう複雑で、その「密度」と「速さ」のようなものに振り落とされそうになることはある。でも本書は基本的には短いエッセイの集合であり、その議論は時には抽象的な概念を扱うこともあるけれど、基本的には私たちの生活や社会がテーマとなっている。

そして何より、ここで考えられていることは、私たちの現在の生活や社会にとってとても切実な問題だ。多少歯応えを感じたり、飲み込めない部分があっても、多くの人の心に働きかける文章なのではないかと思う。

 

「置き配的な社会」とは何か?

 

では本書のコンセプトがまとめられた「序文」の内容を紹介してみよう。なるべく簡単に紹介しようと思っていたものの、本書は二段構え、三段構えの話をしているので、けっこう長くなってしまった。(でも「批評」の本というのは、そう簡単に要約できないものの方が面白いと思います)

著者は本書の議論が始まる日付をコロナ禍の2020年3月23日と定める。それはアマゾンジャパンが「置き配」を標準の配送手段とすることを発表した日付で、著者はこれを2020年代の日本におけるコミュニケーションの変化を象徴する日付とする。

著者は置き配というシステムは単なる配送手順の省略ではなく、ひとつの発明であり、それは「手渡しや伝票へのサインとはまったく異なる手段で、「物が確かに配達された」という事実を確定し共有する仕組み」だという。配達員は荷物をドアの前に置いて写真を撮り、システムにアップロードする。受け取り手は送られて来たその写真付きの配達通知を見て、荷物が配達されたことを確認する。

著者はこの写真と配達通知を「配達に関するメタデータ」として捉え、置き配を「物そのものの受け渡しによってではなく、届ける側と受け取る側で同時にメタデータを共有することで、「物が確かに配達された」という事実を共有する仕組み」と説明する。

 

一体それが何なのだと思う人がいるかもしれない。でも著者はここで、それは「物を届ける」こととは全然違うことですよね?と言っているのだ。確かに、昔ながらの手渡しでも、置き配でも、同じように荷物は届く。でも、違うと言われれば確かに違う。この、手渡しと置き配の間にある微妙な違いを、時代を画する根本的な変化だと捉えること。本書の企みと魅力は、まずここにある。

著者はこのような仕組みを「置き配的なもの」と名付け、まずはシェアバイクのサービスやウーバーイーツ配達員の雇用形態、さらにはコミュニケーション全般にまで敷衍する。現在では、私たちのコミュニケーション全般が「置き配的なもの」となっているというのだ。

 

つまり、狭義の置き配が「届ける」ということの意味を変えたのだとすれば、置き配的なコミュニケーションにおいては「伝える」ということの意味が変わってしまったのだと言えます。
そして現在、もっとも置き配的なコミュニケーションが幅を利かせている場所はSN S、とりわけツイッター(現X)でしょう。
(中略)
相手の言葉尻を捉えて、それを言質として引用して、相手を特定のポジションのもとにラベリングする。それがはたして言論だと言えるのか。
発言の内容がメッセージであるのに対して社会的属性やポジションを「メタデータ」だとすれば、このような論争で起こっているのも、置き配的な、メッセージのやりとりよりメタデータの共有が優先される事態だと言えます。
とうぜん、ひとりの物書きとして僕自身は自分の書いたものの意味がたんなる社会的属性やポジションに回収されてしまうことはとても嫌ですし、それだけならわざわざ時間をかけて文章を書く意味もありません。
つまり、置き配的な社会を問うことは、書くことの意味を立ち上げなおすことにも直結するはずです。
(「序文」より)

 

これは大変に耳が痛い指摘なのだけれど、確かに自分もSNS、特にXで何かを発言する際、その内容よりも、「このポストによって自分はどのようなポジションの人間だと見なされるだろうか?」ということを気にしている気がする。そして著者はそのことを、「書くこと」そのものの危機だと捉えている。誰かのポジションを確定すること、「メタデータ」をやりとりすることだけが目的なのであれば、文章を書く意味などないのだと。

もちろん、SNS上で、自分や相手の社会的属性やポジションを問う言説が時に必要であることはわかっている。それを問わなければ意味をなさないメッセージもあるだろうから。

ただやっぱり、そのような言説(まあ、つまり、「政治」のことだと思う)だけで構成された空間では、「書くこと」の意味は確かに失われてしまうだろうとも感じる。(「書くこと」の意味や価値、などというものにかかずらっていられる気楽な立場(ポジション!)の人間と唆られるかもしれないわけだけれども!)

 

「言葉」と「物」の間で生み出されるもの

 

本書の基本的なテーマを紹介したところで、ここからは理論編。

本書のもとになった連載は「言葉と物」というタイトルで、これはミシェル・フーコーの著名な本のタイトルをそのまま借用したものだ。

フーコーの議論についてざっくり解説された本文を、さらにざっくり解説してみよう。

 

近代以前の西欧世界において、「言葉」と「物」という二者は、同じルールで秩序づけられていた。それは例えば、聖書に書かれていることと現実世界とがぴったりと一致する、というような世界観だ。しかし近代が訪れると、言葉と物の間は遠く離れることになる。物は言葉から離れて分子や原子、あるいは宇宙に還元され、一方の言葉は、どんなに尽くされても物自体と一致することはできなくなる。現在の私たちにとっては当たり前のことながら、近代になって初めて、言葉と物は別の秩序をもつものということになったのだ。

フーコーによれば、「知」というものは「言葉と物の結び目」に生み出されるものだという。近代以前の世界では、言葉と物はぴったりと結びつき、そのまま知となっていた。しかし近代以降、言葉と物は「原理的な不一致」の中に置かれてしまう。そしてフーコーは、「人間」とは、決して一致しない言葉と物の間を、どうにか架橋しようとする存在であるとした。「言葉と物」を軸にして、「人間」の定義を書き換えたのだ。

この定義こそが、フーコーの『言葉と物』のもっともセンセーショナルな部分だ。私たちが当たり前のように「人間」と呼んでいるものは、近代において初めて発生した、言葉と物の間で引き裂かれた不自由な存在なのだと。(これは、「自由で主体性を持った人間」という近代の理念を覆す定義だった)

 

そのようなものとしての人間は、「記述する者」であると同時に「記述される者」でもある。言葉と物の間で生み出した様々な「知」によって、人間が人間自身を定義するのだ。

そして人間は人間についての新たな理論を生み出すために、人工的な閉じた環境を必要とするという。それが例えば学校、病院、監獄、工場といった施設であり、そこで人間を統治する方法が見いだされ、実装される。このように「知」の産出は必然的に権力を伴い、時にそれは、戦争や虐殺など恐ろしい結果をもたらしもする

 

悲観的な議論だけれど、本書の著者である福尾匠は、ここにポジティブな契機を見出そうとする。フーコーが言っていることは、「内面的な諸価値の拒否」とまとめられる。人間にとって内面的なものだとされてきた多くのことは、実はすべて、外在的なものに由来するのだ。つまり、外側が変われば、内側も変わるかもしれない。

 

われわれが本来的で内面的なものだと思っているものが最初にあるのではなく、むしろ外在的な言葉と物の秩序として編まれた社会がまずあって、それらがわれわれに「内面らしきもの」を埋め込むのだ。この認識がフーコーの批判と創造を同時に可能にしています。なぜなら、「人間性」がわれわれの内面性の名ではなくそれが永遠のものでもないことを示すことは、別なる知、別なる思考、別なる生の可能性を開くことでもあるからです。
(同上)

 

ここでようやく、話はもとの場所に戻ってくる。著者がフーコーの議論を参照して行おうとしているのは、私たちの社会そのものを構成する「言葉と物」の関係を吟味することによって、「別なる知、別なる思考、別なる生の可能性」を探ることだ。

つまり著者は、現在の私たちは「置き配的な社会」──荷物ではなくそれが配達されたというメタデータを、誰かの伝えたいことではなくその人のポジションをやり取りすることに終始するような社会──に取り巻かれているとし、それとは別の可能性を探るために、「言葉と物」の関係について再考しようと言っているのだ。

 

著者はそれを、「一方でわれわれの社会における言葉と物を統御する置き配的なシステムを分析し、他方でその端々に残された空隙をテコにして、それを内側から読み替えていく可能性を示す」と表現する。

この「空隙」、後に「疎」という言葉でも表現されるある種の隙間こそが、本書において探求されるものだ。私たちが「書くこと」の意味を取り戻す手がかりも、その隙間にあるのかもしれない。

 

このような問いについて、本書では明快な結論が出されるわけではない。「置き配的な社会」というものはすでに不可避的に訪れてしまっており、それを覆すことができるわけではない。

その代わりに、著者はその社会の隙間を探す。そして、「書くこと」あるいは「作ること」の意味を取り戻そうとする。

 

ちなみにこの「書くこと」や「作ること」、つまり制作や創造は、本書においては具体的な作品を作ることに限定されない。著者は「おしゃべりも部屋の片付けも、体の外で言葉や物を形成するという行為は広義の制作行為です」と注意を促す。これは作家や芸術家の話ではなく、言葉と物を形成しながら生きる私たち全員の話なのだ。

 

以上のような前提を確認して、いよいよ本書の全11回の探求が始まる。それは一続きのものではなく、あちらに行ったりこちらに来たりと、フラフラした道程だ。

扱う話題もとても多様だ。批評・哲学・言語の問題など固いものから、現代の社会や経済、そしてコミュニケーションのあり方といった身近な問題、そして現代美術や村上春樹の小説、日記を書くことや犬の散歩についてまで。最初から通して読まなくても、興味のある部分から読んでもいい。

そして最終回では、そのような行ったり来たりの、時に抽象的で時に身近な探求、息苦しい置き配的な社会の中にある隙間を探す旅の果てに、著者はささやかながらも力強く、「公共性」あるいは「公的なもの」を打ち立てる展望を示す。

ポジショントークを離れて「書くこと」「作ること」を取り戻すことは、決して社会に背を向けて引きこもることではないのだ。その結論がどのように導き出されるのか、ぜひ読んでみてほしい。

 

次の一冊

『置き配的』を面白いと思った方に、やっぱり読んでほしいのがこの『非美学』。言葉と物の関係と、そこから見いだされるポジティビティを深く追及した本です。

 

こちらは短い批評/エッセイをまとめた本なので、通読する必要もなく、ある意味一番読みやすいです。『非美学』はちょっと重い、という方はぜひ。

 

こちらは著者のデビュー作となるドゥルーズ論。文庫になってます。

 

言葉だけでなく形やリズムに着目する批評という点で、どこか通じるものがあると思うのが、ベストセラーとなっているこちら。下記もおすすめです。

千葉雅也『現代思想入門』 圧倒的読みやすさの工夫と、その切実さ - もう本でも読むしかない

 

そのうち読みたい

 

まあ、いつかは読んでみたいと思っているのですが……

奈落の新刊チェック 2025年12月 海外文学・SF・現代思想・哲学・歴史・溺れる少女・おふとんの外は危険・隠喩としての病い・イギリス現代思想入門・脱走論・クィアな時間と場所で・沖縄社会論ほか

月初恒例と言いつつ最近はすっかり中旬更新となったこちらの新刊チェック、今月はぎりぎり上旬かと思いきやもはや中旬でしょうか。まあとにかく今月も面白そうな本が目白押しです。この記事を作っていて楽しいのは個々の新刊だけでなく、やはり各著者や訳者の過去の刊行物を拾っている時です。みなさまもどんどんリンクをクリックしてもらえればと思います。(ちなみにアフィリエイトではないです)

 

2012年に発表され、ブラム・ストーカー賞ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア賞を受賞したサイコロジカル・ホラー。アイルランド出身でアメリカ在住の作者は他にローカス賞世界幻想文学大賞も受賞している。入手困難だが他に『ベオウルフ: 呪われし勇者 (小学館文庫 キ 2-1)』の邦訳あり。訳者は他にスラデックチク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク (竹書房文庫)』を手掛ける。 

 

様々なジャンルで活躍する韓国の作家による奇想短編集。本作が初の邦訳となる。訳者は同文庫より刊行のチョン・ボラ『呪いのウサギ』、『ポン・ジュノ映画術: 『ほえる犬は噛まない』から『パラサイト半地下の家族』まで』など手掛ける。 

 

韓国の新世代作家によるクィア短編集。本作が初の邦訳となる。訳者の近訳書に『巫女 配信者シャーマンとハヨンの悪霊事件簿』『カウンターウェイト (ハヤカワ文庫SF)』『極めて私的な超能力 (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)』など。 

 

詩人としても活躍するアメリカの作家による、2017年に邦訳が刊行されていた長編が白水uブックス入り。やはり詩人を主人公とした小説。訳者は2025年に計5冊も訳書を刊行しており、他にパワーズプレイグラウンド』、カウフマン『アントカインド』、ララミ『ムーア人による報告 (エクス・リブリス)』、エヴェレット『ジェイムズ』。 

 

すべての見えない光 (ハヤカワepi文庫)』(同訳者により邦訳)でピュリッツァー賞を受賞した作家の2021年の長編。歴史と場所を超えて語り継がれる本の物語とのこと。訳者の近訳書に『ブリス・モンタージュ (エクス・リブリス)』『物語ることの反撃 パレスチナ・ガザ作品集』『ハーレム・シャッフル』『アクティング・クラス』など。 

 

カフカベケットと並び称される20世紀ロシアの「幻の作家」の選集が刊行開始。『ポトゥダニ川 (群像社ライブラリー)』『幸福なモスクワ (ロシア語文学のミノタウロスたち)』『チェヴェングール』などの邦訳が近年刊行されている。工藤順・古川哲編訳。 

 

19世紀ドイツで発見された謎の人物カスパー・ハウザーを題材にした小説が岩波文庫から。訳者の近訳書にシーラッハ『午後』、ヘッセ『シッダールタ (光文社古典新訳文庫)』、ラーベ『19号室 〈刑事トム・バビロン〉シリーズ (創元推理文庫)』『17の鍵 〈刑事トム・バビロン〉シリーズ (創元推理文庫)』、ホフ『牡猫ムルの人生観』ほか多数。 

 

ブローティガンが生前最後に残した、1985年に『ハンバーガー殺人事件』として邦訳されていた小説が改訳して文庫で復刊。近刊に『ここに素敵なものがある』『ブローティガン 東京日記 (平凡社ライブラリー)』など。訳者は他に『リー・ミラー: 自分を愛したヴィーナス』を手掛ける。 

 

かぐやSFコンテスト出身、吉川英治文学賞新人賞受賞、芥川賞候補作家の新刊。他に『箱庭クロニクル』『海岸通り (文春e-book)』『嘘つき姫』がある。 

 

創元SF短編賞出身作家の、同賞優秀賞受賞作を含む作品集。他の作品に『ギークに銃はいらない』。 

 

ハヤカワSFコンテスト特別賞受賞作『ここはすべての夜明けまえ』でデビューした作者の二作目。 

 

8人の主人公を描いた2022年の単行本が文庫化。近刊に『ピエタとトランジ (講談社文庫)』『私は幽霊を見ない (角川文庫)』『ぼくは』『来世の記憶 (角川書店単行本)』など。下記記事もご覧ください。

藤野可織『ピエタとトランジ』 無敵の二人は変化に抵抗する - もう本でも読むしかない 

 

長編でも短編でもなく、コント、掌編、ショートショートなど様々な名前で呼ばれる「ごく短い小説」から日本近代文学史を考察する試み。他の著書に『小説家、織田作之助 (阪大リーブル71)』など。 

 

ソンタグの代表作が文庫化。近刊に『ラディカルな意志のスタイルズ[完全版]』『写真論』『イン・アメリカ』など。訳者の近訳書に『チャーチル――不屈の指導者の肖像』『新装版 放浪者メルモス』、著書に『シャーロック・ホームズの世紀末』『文学の福袋(漱石入り)』など。 

 

資本主義リアリズム』で知られるマーク・フィッシャーを中心に、大衆文化と関わりの深いイギリスの現代思想を紹介する論集。レイモンド・ウィリアムズ、ポール・ギルロイ、レイ・ブラシエなど登場。
フィッシャーについてはこちらもどうぞ。

マーク・フィッシャー『資本主義リアリズム』 資本主義の外部はどこにあるのか? - もう本でも読むしかない 

 

イタリアのアクティビストは、「脱走こそ、唯一可能な倫理的選択にして合理的戦略である」と唱える。訳者は他に同著者の『フューチャビリティー: 不能の時代と可能性の地平 (叢書・ウニベルシタス 1101)』『大量殺人の“ダークヒーロー"――なぜ若者は、銃乱射や自爆テロに走るのか?』『第三の無意識: ウイルス時代の精神空間』も翻訳。ほか近刊に『蜂起』など。 

 

生誕100年を記念した?新たなドゥルーズ入門が平凡社新書より。著者の近刊に『ミルトン・エリクソン〈新装版〉: 魔法使いの秘密の「ことば」』『オッペンハイマーの時代 核の傘の下で生きるということ』『絶滅の地球誌 (講談社選書メチエ)』など。もあるので注意。 

 

こちらは単行本で刊行のベルクソン入門。著者の共著に『ベルクソンー諸学と協働する哲学 (ワードマップ)』『人生の意味の哲学入門』など。 

 

フーコーの初期に見られ、後に退いた「狂気」のテーマを追求する。他の著書に『危険な人間の系譜-選別と排除の思想』『司法精神医学と犯罪病理』など。精神医学関連の共著・編著多数。 

 

デュシャンの作品をタロットカードに当てはめて語っていくという異色のデュシャン論。写真家でもある著者の近刊に『ヒルマ・アフ・クリント』『写真論――距離・他者・歴史 (中公選書)』『現代色彩論講義 本当の色を求めて』など。

 

ベンヤミン関連書を複数刊行している著者による本格的な論考。近著に『燃エガラからの思考 記憶の交差路としての広島へ』『断絶からの歴史 ー ベンヤミンの歴史哲学』『ヴァルター・ベンヤミン: 闇を歩く批評 (岩波新書 新赤版 1797)』など。 

 

言葉では捕捉できない「情動」をキーワードに、脱構築精神分析を駆使してモダニズムのテクストを読む。他の著書に『情動とモダニティ: 英米文学/精神分析/批評理論』『日本表象の地政学: 海洋・原爆・冷戦・ポップカルチャー (成蹊大学アジア太平洋研究センター叢書)』『死の欲動とモダニズム―イギリス戦間期の文学と精神分析』、訳書に『心の革命――精神分析の創造』など。 

 

日本を代表するカント研究者による『判断力批判』の考察が文庫化(単行本は2017年)。近刊に『哲学史にしおりをはさむ』『極限の思想 サルトル 全世界を獲得するために (講談社選書メチエ)』『源氏物語=反復と模倣』など。訳書に作品社の『純粋理性批判』ほか三批判書、岩波文庫の『存在と時間』『全体性と無限』『物質と記憶』など。

 

80年代より活躍する批評家の選集が2冊同時刊行(1月に第3巻も)。近刊に『〈真理〉への勇気 現代作家たちの闘いの轟き』『ドゥル-ズ・映画・フ-コ-』『三島由紀夫とフ-コ-〈不在〉の思考』、訳書にシェフェール映画を見に行く普通の男 (エートル叢書 20)』など。 

 

映画監督2人と批評家による、演出をめぐる対話。濱口竜介の近著に『他なる映画と 1』『他なる映画と 2』、三浦哲哉の近著に『自炊者になるための26週』『サスペンス映画史 新装版』など。下記記事もご覧ください。

三浦哲哉『映画とは何か フランス映画思想史』 映画そのものの感動とは何か - もう本でも読むしかない  

 

「大都市規範(メトロノーマティヴィティ)」、「クィアな時間性」などの概念を提示したクィアスタディーズの重要著作が邦訳。他の訳書に『失敗のクィアアート 反乱するアニメーション』がある。訳者は他に『感情のアーカイヴ トラウマ、セクシュアリティ、レズビアンの公的文化』『柔らかな舞台』を手掛け、著書に『クィア・シネマ 世界と時間に別の仕方で存在するために』『クィア・シネマ・スタディーズ』がある。

 

ゴダールヒッチコックの作品を分析しつつ、フェミニズム映画批評の可能性を探る。他の著書に『映画と身体/性(日本映画史叢書 6)』、共著に『映画女優 若尾文子【新装版】』『男たちの絆、アジア映画 ホモソーシャルな欲望』など。 

 

イタリアの歴史学者が現在のガザについて語る。他の訳書に『一人称の過去 歴史記述における〈私〉 (ポイエーシス叢書 76)』『ポピュリズムとファシズム: 21世紀の全体主義のゆくえ』『ヨーロッパの内戦 炎と血の時代1914-1945年』など。訳者の著書に『ふたりの世界の重なるところ (シリーズ〈哲学への扉〉)』がある。 

 

  • 大月書店

ドイツ-イスラエルパレスチナ関係についての論集。浅田進史・板橋拓己・香月恵里編著。 

 

2024年に急逝した著者の遺稿集が一周忌を期して刊行。他の著書に『ヤンキーと地元 ――解体屋、風俗経営者、ヤミ業者になった沖縄の若者たち (ちくま文庫)』、共著に『〈生活-文脈〉理解のすすめ:他者と生きる日常生活に向けて』『地元を生きる―沖縄的共同性の社会学』『最強の社会調査入門』などがある。 

 

2017年に刊行された単行本が、書きおろしを加えて文庫化。他の著書に『海をあげる』がある。 

 

美学者による、「性的である」ということの分析。他の著書に『なぜ人は締め切りを守れないのか』『物語化批判の哲学 〈わたしの人生〉を遊びなおすために (講談社現代新書)』がある。 

 

本来は別のものである「議会」と「民主主義」がいかに結びついたのか、その起源となったイギリスの事例から読み解く。著者の近著に『世界史のリテラシー イギリス国王とは、なにか 名誉革命』『君主制とはなんだろうか (ちくまプリマー新書)』、共著に『帝国で読み解く近現代史 (中公新書ラクレ 827)』など。 

 

古代からルネサンスまでの歴史を建築学の視点から語る。他の著書に『世界の夢のルネサンス建築』『盛期ルネサンスの古代建築の解釈』、訳書に『イタリア・ルネサンス建築研究』がある。 

 

ビザンツ帝国とその周辺についての2006年の単行本が文庫化。入手困難だが訳書に『ビザンツ帝国史 (文庫クセジュ 870)』などがある。 

 

講談社選書メチエより、ケルト研究の現在を知らせる一冊。他に『民衆画と詞書』『民衆画の世界: 欧州と東アジアを比較する』『ケルトの解剖図鑑』『興亡の世界史 ケルトの水脈 (講談社学術文庫)』など。 

 

2010年の単行本が文庫化。訳者は他にカルロ・ロヴェッリ『時間は存在しない』『世界は「関係」でできている: 美しくも過激な量子論』『規則より思いやりが大事な場所で 物理学者はいかに世界を見ているか』など手掛ける。 

 

2009年の岩波新書が文庫化。近著に『物語伝承論』『物語の近代――王朝から帝国へ』『後醍醐天皇 (岩波新書)』、編著に『説経節 俊徳丸・小栗判官 他三篇 (岩波文庫)』など。  

 

 

ではまた来月。




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