美術手帖の編集長が帰省中に『巨大なイオンモールだけが煌々と明るい地方都市に帰省すると、美術の「美」の字も見つけられないと』ツイートしたことが炎上していた。
調べるとどうやら編集長は私の地元・伊賀市のすぐ近くの鈴鹿市出身らしい。
鈴鹿の事情はあまり知らないが、伊賀で活動するアーティストは実際少数ながら居るわけで、それを思うと不用意な発言だと思う。しかし、編集長と同様に地方から関東の都市部に行き着いた者としては、ぼんやり共感せざるを得ない部分もある。"巨大なイオンモールだけが煌々と明るい"というのが大きなポイントだと思う。
私の住む伊賀市は6市町村が合併してできた市で、田畑しかない村部もあれば、イオンやゲーセン、ハードオフがある比較的栄えたエリアもある。栄えていると言っても都市ほどではなくて、「2021年にスタバが初めて出店され、初日に50人行列ができた」というニュースが物語っていると思う。あとは車前提で店が配置されているので、車がなかったら平気で30分ほど自転車を漕ぐことにはなる。完全に車社会です。
自分はどちらかと言えば栄えている側に住んでいたのだが、この中途半端さは意外とコンプレックスなのである。恥を忍んでそのしょうもない理由を述べると、マジで田んぼしかない清々しいぐらいの田舎だと強力な田舎ボースティングができるのだが、我が地元のような半端さだと田舎自慢でいつも負けてしまうし、当然都心のあらゆるアクセス性の良さにも負けるのだ。勝ち負けとかじゃないのは承知で、そういうことを思ってしまうのである。
美術館と言われて思い当たる場所は県立美術館かルーブル彫刻美術館ぐらいで、祖父が県展で賞を取った時ぐらいしか行った覚えがない。ルーブルは今となってはめちゃくちゃ行きたいのだが……。著名な出身画家に元永定正が居るが、それを知ったのはここ数年ぐらいだった。色々見たければ大阪か名古屋に車か電車で1〜2時間かけて行く感じだったと思う。でも美術に興味なんてなければ他のところに行くだろう、私も名古屋といえば婆さん家かポケモンセンターか大須だった……。なんで自分が今美術にある程度興味を持てているのかよく分からない、同郷で同世代のアーティストも若干名知っているが、なんで美術に興味を持ったのか聞いてみたい。。
地元に限ると、何も知らない学生が例えばコンテンポラリーアートに触れる機会などというのは、教科書・テレビ・インターネットぐらいだったように思う。
〜〜〜
これ以上美術の話は自分にはできないので、自分の話をしようと思う。
今、自分はいち小企業の会社員として(あんまり言ったらダメかもしれないが)業務以外の話をあまりしないドライな日々を過ごしている一方で、音楽をはじめとする制作活動の結果、幸いにも様々な人達との関わりの中でも暮らすことができている。
自分は中学生頃から音楽・映像制作を始めて今に至っている。だから、自分が大学進学のために地元を出るぐらいまでの話をしようと思う。
自分はそもそも結構な恥知らずだ。ピアノ男という名前は、小4ぐらいの時に電車男をはじめとする2ちゃんねる関連コンテンツにハマっていたのと、ピアノを習い始めた頃だったので、チャットサイトのハンドルネームとしてピアノ男と名乗ったのをずっと使い続けているだけというものだ。中学で吹奏楽部に入り担当楽器がバリトンサックスになった頃は、サックス男と名乗っていた。本当に恥知らずである。
自分はナードコアと呼ばれるような音楽を起点に種々の電子音楽を作っていくことになったのだが、そのきっかけの大部分はインターネット、特にニコニコ動画やツイッターがあったからであって、地元にはそうなるようなキッカケとがあると言えばビートマニアとハードオフぐらいだと思う。それがあれば十分か。クラシックや吹奏楽のコンサートはあるが、テクノというものは高校生の時に一度公園で「伊賀忍者音楽祭・IGA NINJA ROCK FESTIVAL」なるものがあったぐらいで(都合が合わず行かなかった)、クラブミュージックなどというのは当時は皆無だったように思う。せいぜいヤンキーのレゲエやダンス教室のヒップホップが限界だった。あとはブックオフによくあるジュリアナやダンスマニアのコンピ。トランス聴いてるヤンキーにはちょっとフィールした。
自分で言うのは恥ずかしいのだが、代表作に名張のマックスバリュでのライブがある。
未だにこの動画をこすられ続けるし、正直自分でもこれを超えるライブをできた自信はない、呪いのようなライブだ。
これは私が高校一年生の時のものだ。既に音MADをきっかけにパソコンで音楽を作りはじめていた頃だ。いわゆるトラックメイカーというスタイルのミュージシャンのライブは未だに謎が多い。一本wavを流すだけの人もいるし、なんかコントローラとかシンセとか触ってる人もいるし、歌う人もいるし、不定形で何をやったらいいのかよく分からない形式だ。
地元には音楽を作っている友達や先輩など全く居なかった。文化祭があったのでバンドはかろうじて経験したものの、一人でパソコンで作った音楽でライブする方法など知るわけがないし、できる場所も知らない。そんな中、学校から
「NABARIストリートフェスタというのをやります。ダンス、BMX、ライブ、何か発表したい人を募集します」
といった趣旨のチラシを配られて、私はとにかく恥知らずで自己顕示欲が強かったので、後先考えずに応募したのであった。
応募したはいいが、作った曲をどうやってライブするのか。手探りと言うと聞こえはよいが、これは多分かなり勢いでやっていて、ツイッターで「昔のガバの人はウォークマンで曲を再生してライブしていた」という謎情報を間に受けたり、Youtubeで見たYMOのボコーダに影響を受け中学の卒業祝いで買ってもらったmicroKORG XLを使ってみようと思い至ったりを経て、
「iPodで曲を再生しながらmicroKORGのボコーダで歌う」という形式に至ったのだった。
当日。こういうスタイルのライブで出ようとする人はやはり私しかいなくて、周りはBMXやダンス・バンド・弾き語り・高校生と市長の座談会だった。普通なら不安になるのかもしれないが、自分はとにかく恥知らずだったので何も怖く無かった。
今や高校生はおろか小中学生でもアプリで音楽を作って発表できるわけだが、当時は全国的に見てもかなり少数派だったわけで、幸いにもTwitterなどで知り合った4人の大先輩が、私は何も頼んでないのに遠くからかけつけてくれて、衣装を提供してくれたりUstream配信なりYoutubeへのアップロードなりをして広めてくれた。おかげでいろんな繋がりができて、高校生のうちから滋賀や名古屋・大阪のクラブ、果ては東京のリキッドロフトなんかでもライブをやらせてもらえたし、同じように各地方で曲を作ってる同世代たちともネット上で交流ができた。
しかし、やはり地元にはありがたいことに友達こそいたものの、やはり自分の好きな音楽の話を深くできる友達は全くできなかったなと思う(音ゲーの話をできる友達はいたが)。その後は地元で活躍することもなかった。文化祭にソロで出たり自動車学校でやってた謎イベントに一度出たりしたことはあったが、その頃にはスカムミュージシャンの動画の影響を受けてこじれた方向にいっちゃって、あんま理解されてなかったと思う。それに、コンスタントにライブできそうな場所も地元には見つけられなかった。電車で2時間かけて大阪なり滋賀なり名古屋なり行けばいいし、話の合うやつはネットで探してOFFすればいいのだから、もはや地元を開拓しようという気持ちもなかったのだと思う。
そういうわけで、NABARIストリートフェスタのような機会があったことにすごく感謝するし、地元の人々のフッドを盛り上げようという気概に大変頭が下がる思いではあるが、結局インターネットが自分には一番フッドに感じてしまう。インターネットが無かったら音楽活動を続けてたか、そもそもやっていたかも怪しいと思ってしまう。だから今のTwitterをはじめとするSNSの惨憺たる状況は悲しいし、かと言って見捨てることもできないままなのだ。
そして、自分が実は美術に近いことをやりたかったっぽいことに当時気づくことができず、ただパソコンが好きだからという理由でコンピュータサイエンスの学部を選択、大学進学とともに京都に移り、深い考えもないままそのまま10年間京都に居続け、成り行きで今は神奈川に居る。でも美大じゃなくて理工学部だったことは意味があったと思うし、それはすごく贅沢でありがたいことだと思うし、京都での経験は何物にも変え難いものだったし、なんだかんだこの道のりで良かったと思えている。
〜〜〜
ここ1年ぐらい、祖父が亡くなったので都度帰省している。私が地元で暮らしていた頃は10万ほどだった人口も、今や8万人台になってしまった。イオンに行けば、本当に老人しかいなくて面食らう。かといって若者が全くいないかと言うとそうでもなくて、調べてみると、若者主導で音楽イベントを定期的にやっている動向もあるようだ。地元の情報誌でも私より若い人とかが色々やってる情報を見る。
でも、そう言うところに自分が入っていけるかというと、高校生の頃の恥知らずな態度があれば行けるのかもしれないが、30歳になった今は色々考えてしまって難しい。都心では自分は全然はみ出し者ではないのかもしれないが、伊賀のイベントのメンツを見ると、中学の吹奏楽とかダンスとか弾き語りとかが並ぶ中に自分というのは、やはり相当にはみ出し者だと思ってしまうし、自分の家族やその友人の顔がチラついてしまう。普通に恥ずかしくなってしまう。流石に高校生の時の私でも親は呼ばなかった。
今は全国的に音楽が訳わからない状況になっているので、もしかしたら自分のようなはみ出し者でも優しく受け止めてはくれるのかもしれない。ただ、ロン毛の男が、ローカル鉄道の駅前の駐車場で、難しい顔でパソコンを触りながら、ドナルドikedaだとかよく分からないことを言ってピーピーブーブーと鳴らしているのを、コンスタントにやり続けているビジョンを描くことを、自分はどうしてもできない。ウケるウケないとかもあるけど、それより同じようなことをやっている・やろうとしている人の潜在的な数にかなり厳しいものがあると思う。
なにより、ロン毛の男が伊賀で平穏に暮らせるビジョンを、今はあんまり描くことができなかった。それは家族や親戚、地元の人とのわずかな関わりの中で感じたことだ。それでもそこを突き抜けてやれる人は、相当素晴らしい人だと思うし、なんか大事にしたほうがいいと思う。地方の問題というより自分のコミュニケーション能力の問題なのかもしれない。
同級生の連絡先も正直あんまり知らず、知ってたとて伊賀を出ている人が多い。新しい友達を探せる自信もない。あらゆる方向に申し訳ないけど、伊賀に戻って住むことは今後10年はない気がする。
でも、やっぱり未だに忍者に頼りすぎてる地元はどこか愛らしいし、かた焼き好きだし、榊莫山はマジでリスペクトしているし、同郷の人は応援したい。夢眠ねむさんが伊賀出身でよかったと思う。
〜〜〜
自分のような態度の人間は、地元や同様の地域に暮らし続ける人から見たら、感じが悪く見えるところがあるかもしれないと思って、このことを公開で書くことにはちょっと迷った。でも書かずにはいられなかった。とりとめもないのだが。