資格って、本当に必要なのでしょうか。
プログラミングを教える立場になって、もう何年も経ちます。
最初の頃は「資格がなければ信頼されない」と思い込んでいて、がむしゃらに試験勉強をしていた時期がありました。
基本情報技術者試験の参考書を何冊も買い込んで、夜中まで暗記に明け暮れていた日々です。
勉強自体は嫌いではなかったけれど、どこかで「これで本当に良い講師になれるのだろうか」という疑問が、ずっと頭の片隅にありました。
あの頃の自分に、いまの自分が何を伝えられるか、ふと考えることがあります。
さて、正直に言います。
資格は確かに役立ちます。
基本情報技術者試験やJava資格を持っていると、初対面の受講者の方に一定の安心感を与えられるのは事実です。
「ちゃんとした人が教えてくれるんだ」という最初のハードルを下げてくれる、そういう意味での効果は否定しません。
履歴書に書いたとき、あるいは初回の講義で自己紹介をするとき、資格の名前はひとつの道標になってくれます。
知識の体系が整っているという証明にもなるし、受講者の方に「この人はちゃんと勉強してきた人だ」と伝わる効果もある。
それは実際のことです。
でも、それだけで十分かといえば、そうではありません。
実際に講義の場で起きたことをお話しします。
以前、あるプログラミング講座で、資格を持たない状態で教壇に立ったことがありました。
正直、内心はドキドキでした。
「大丈夫だろうか」「信用してもらえるだろうか」と、始まる前から頭の中がぐるぐるしていたのを覚えています。
ところが、講義が進むにつれて、受講者の方の表情が少しずつほぐれていくのがわかりました。
難しい概念につまずいたとき、一緒に「なぜそうなるのか」を考え、自分自身が昔挫折した経験を正直に話したら、笑顔が返ってきたんです。
あの瞬間に気づきました。
安心感を生み出しているのは、資格証の文字ではなく、目の前の人への熱意だったと。
とはいえ、誤解しないでほしいのですが、「資格は要らない」と言いたいわけでは全くありません。
資格取得のプロセスそのものには、大きな価値があります。
体系的な知識を身につける機会になりますし、自分の理解の穴を見つけられます。
試験という締め切りがあるからこそ、集中して学べるという側面もある。
それでも、資格はあくまでもスタートラインのひとつに過ぎないと、私は考えています。
資格を取ることがゴールになってしまうと、本来大切なものを見落としてしまうかもしれません。
では、資格の代わりに何が必要かというと、それは情熱と実践経験の積み重ねです。
まず情熱について。
受講者の方は、思っている以上に敏感です。
講師が本当にプログラミングを好きかどうか、楽しんでいるかどうか、そういうものは言葉の端々ににじみ出ます。
「これ、すごく面白いんですよ」と言ったとき、目が輝いているかどうか。
そこに嘘はつけません。
神奈川で育ち、小学校の頃からパソコンに触れていた身としては、プログラミングへの愛着は理屈ではなく体に染み込んでいる感覚があります。
その感覚を伝えることが、どんな資格よりも受講者の方の心を動かすことがある。
それを、長年の指導経験を通じて何度も実感してきました。
大げさに聞こえるかもしれないけれど、情熱というのは伝染するんです。
次に実践経験です。
教科書に書いてあることを読み上げるだけなら、誰でもできます。
本当に価値があるのは、自分が実際につまずいたこと、失敗したこと、それでも乗り越えた経験を語れることです。
かつてITエンジニアとして働いていた頃、うまくいかない時期が続いて、精神的にもかなり追い詰められていました。
そのとき感じた「わからない」という苦しさ、「できない自分はダメなのか」という焦りは、いまの講義の中で生きています。
受講者の方が壁にぶつかったとき、「そのしんどさ、わかります」と言える根拠が、そこにあるからです。
経験から生まれた言葉には、重みがあります。
それは資格証には書けないことです。
実際に講義をしていると、受講者の方から「先生の話は共感できる」という感想をいただくことがあります。
おそらくそれは、私が資格を持っているからではなく、同じように迷ったり、つまずいたりしてきた経験を隠さず話しているからだと思っています。
失敗談は恥ずかしいものではなく、共感を生む材料です。
むしろ、完璧に見える講師より、「自分も昔はそうだった」と言ってくれる人の方が、受講者の方の心には響くことが多い。
資格は信頼の一助になる。
でも、受講者の方に本当の安心感を与えるのは、その人への熱意と、積み上げてきた実体験です。
あなたは、資格と情熱のどちらを信頼しますか。
もし今、何かを人に教える立場にいるなら、持っている経験や感情に、もう少しだけ自信を持ってみてください。
資格がないからと遠慮することはありません。
あなたが歩んできた道のりそのものが、誰かにとっての一番の教材になるはずです。
それに気づいたとき、教えることの楽しさが、もうひとまわり大きくなるかもしれません。