教える仕事をしていると、ふと立ち止まって考えることがある。
「本当に伝わっているのだろうか」という、静かな問いかけが頭をよぎる瞬間がある。
準備して、練習して、いざ話し始めたとき——それでも届かないことが、実は多い。
そのもどかしさは、教える側に立った人間なら誰もが一度は経験することかもしれません。
伝えることの難しさを知れば知るほど、本当の意味でのコミュニケーションがいかに深いものかを痛感するようになりました。
ある日の講義中のことです。
スクリーンに映し出したコードを指さしながら丁寧に説明していたとき、受講者のひとりが「先生、それってつまりどういうこと?」と手を挙げた。
ベテランのエンジニアなら3秒で理解できる内容でも、初めて触れる人にとっては霧の中を歩くようなもの。
そのとき、自分の説明がまったく「届いていなかった」ことを痛感しました。
穴があったら入りたいくらい、恥ずかしかった。
何年も積み上げてきた経験が、その一瞬でぐらりと揺れた気がして。
それでも、あの手が挙がった瞬間こそが、大きな気づきのはじまりでした。
あなたは「伝えること」と「理解されること」の違いを、意識したことがありますか?
これはプログラミングの講義だけの話ではないと思います。
仕事でも日常会話でも、「ちゃんと話した」と「ちゃんと伝わった」は、まったく別の話です。
私がずっと心の軸に置いてきた言葉があります。
「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく」というフレーズです。
ある作家の言葉として知られるこの言葉に、出会ったときから何度も救われてきた気がする。
言葉はシンプルなのに、実践しようとすると途方に暮れる。
そのギャップが、また自分を鍛えてくれるとも思っています。
シンプルに見えて、実は底なしに深い。
むずかしいことをやさしく語るだけなら、ある程度の準備と経験でできます。
でも、やさしいことをふかく掘り下げ、そのうえでおもしろく届けるというのは、相当な技術と愛情が必要です。
これは頭でわかっていても、実践するとなると全然うまくいかない。
それでも、その「うまくいかなさ」と向き合い続けることが、成長の正体なのかもしれません。
実際に講義の現場で試行錯誤してきた中で、失敗した経験は数えきれない。
専門用語をそのまま使ってしまって受講者の表情が曇ったこと。
逆に、やさしく説明しすぎて「バカにされている」と感じさせてしまったこともある。
どちらも、伝える側の「配慮」がほんの少し足りなかった結果でした。
とはいえ、その失敗があったからこそ、今の自分がある。
失敗は資産だと、いまは心からそう思えます。
うまくいかなかった日の帰り道に考えたことが、次の講義を変えていった。
そういうことの積み重ねで、今があります。
さて、「おもしろく」という部分について少し掘り下げてみましょう。
おもしろさとは、笑いのことだけではありません。
「あ、そういうことか!」と腑に落ちる瞬間。
「え、そんなつながりがあったの?」という驚き。
それが本当のおもしろさだと思っています。
受講者の目がキラッと光る瞬間があります。
その瞬間のために、準備して、悩んで、工夫する。
それが教える側の醍醐味でもあるし、やめられない理由でもあります。
ITの技術は、確かにむずかしい。
コードを見ただけで「無理」と思う人も多いでしょう。
それでも、神奈川の片隅でプログラミングを学んでいた子どもが、大人になってその楽しさを伝える仕事をしているという事実は、何かを示していると思います。
一度うつ状態になって、何もかもが嫌になった時期もあった。
それでも、人に教えるという仕事に出会って、人生が180度変わりました。
むずかしいと思っていたことが、あるとき突然「おもしろい」に変わる瞬間がある。
その瞬間を、一人でも多くの人と共有したいというのが、今の一番の願いです。
実のところ、「わかりやすく伝える」ことは、相手への敬意の表れだと考えています。
相手がどんな言葉ならわかるか、どんな順番で話せば迷わないか、どんな例えなら笑ってくれるか。
そうやって相手のことを必死に考えることが、すでにコミュニケーションの本質なのかもしれません。
ITの現場でも、営業の場でも、子育ての中でも、本質はきっと同じはずです。
あなたの周りにも、むずかしいことをやさしく話してくれる人がいますか?
そういう人がそばにいるだけで、世界の見え方が変わることがある。
私は、その「変わる瞬間」を講義の場で作り続けることが、自分の使命だと感じています。
笑顔で帰っていく受講者の姿を見るたびに、ここに立っていてよかったと思う。
その積み重ねが、毎日の原動力になっています。
むずかしいことをやさしく。
やさしいことをふかく。
ふかいことをおもしろく。
この三つの言葉を、これからも大切にしながら、楽しく学べる時間をずっと作り続けていきたい。
まだまだ学ぶことは山積みだけれど、その道のりすら、おもしろいと感じています。