同人誌『推しカプ遍歴インタビュー』も刊行から2年が経ちました。
この本は文フリでもめっちゃ目をキラキラさせて立ち読みしてくれる人が多かったりして、売ってて楽しい。私もいまだに読み返しながら爆笑してます。
明確にバズったわけでもなく、書店さんへの営業も控えめぎみだったのによく売れてる……。
【インタビュータイトル公開!】 14人が「カップリング観」に真面目に向き合った、各8000字超のインタビューです。 「カップリング遍歴」の個人年表もあわせて収録しています。#文フリ pic.twitter.com/mOHmRbMLjT
— いなだ易🪸 (@penpenbros) 2023年10月15日
14人の「推しカプ遍歴」インタビューを収録するにあたって、「単に並べるだけでなく、読んでもらうための補助線みたいなものもあったらいいな」と思って書いた論考を、このたび全文公開します。
あくまで「補論」なので、メインはそれぞれの「推しカプ観」を聞き取るインタビューです。ここでは、制作の際に「推しカプ」というものをどう捉えて編集したかを整理しています!
書籍には、インタビュー本文のほかにカップリング年表なども載せています。ご関心を持ってくださった方がいれば、ぜひお手元にどうぞ!(通販もやってます!)
『推しカプ遍歴インタビュー』補論
はじめに、この本で焦点を当てる「カップリング」概念について簡単に整理しておく。東園子は、〈キャラクターとその人間関係に関心を向ける〉*1物語の消費のあり方に目を向け、それを〝相関図消費〟と呼んだ。同じような意味で〝関係性消費〟という言葉が使われることもある。
まず、本書のインタビューにおいて「カップリング」という言葉は単に、関係性消費の対象となるキャラクターのあらゆる組み合わせのことを指している。キャラクターのジェンダー、人数、実在/非実在、〝受け攻め〟の観念を適用するかどうかなどは一切問わず、「推しカプ」すなわち「推し」のカップリングについて話を聞かせてもらった。
カップリングといえば二次創作文化の中で発展してきた営みとして想起されがちだから、その愛好者は「同人女」のような括りで語られることがある。しかし今回インタビューした人たちと二次創作との距離感はさまざまである。自ら書いたり発表したりする人、二次創作を読むけれど書かない人、二次創作にはあまり触れないけれど、ある関係性そのものをそのものとして好きでいる人など。
また「推しカプ」に対する個々のナラティブは、語り手のみなさん自身のジェンダーやセクシュアリティ、生育歴などの話題に及ぶこともあった。もちろんのこと、この本に収録した断片はその人自身のすべてではない。ひとりひとりの言葉はアイデンティティや属性と単純に結びつけたり、その人が抱く本質的な何かを〝分析〟する目つきで読まれるべきではない。私たちが他者と相対するときは常に断片にしか触れられないのだから、あくまで断片でしかない語りに、断片として価値を見出したい。
ただし、このような試みを着想した下地には、先人が積み重ねてきたジェンダー/セクシュアリティや関係性消費にまつわる言論の蓄積がある。そこで本稿では、インタビューの中で語られた言葉やこの企画自体の趣旨を理解するための補助線を、文献を参照しつつ示したい。
◇
さて、この本では「カップリング」を上記のように幅広く定義しているものの、我々がカップリングというものについて考えるときにまず参考になるのは、BL(ボーイズラブ)・やおいにまつわる言論の豊富さだろう(なお実際、インタビューでもBLへの言及は多い)。
冒頭の念押しとも関連するため、日本における「BL論」の視座の変遷について、2007年に雑誌『ユリイカ』に掲載された金田淳子の「やおい論、明日のためにその2」*2を参照して整理しておく。まず、1991年の中島梓『コミュニケーション不全症候群』を端緒として始まった初期の「やおい論」においては、〈「やおい好きの女性」(中略)は「なぜやおいが好きなのか」〉との〈心理学的〉な問いが立てられた。この問いの前提として、〈「やおい好きの女性」は、まずは「女性一般」から逸脱した特殊な存在として想定されがち〉であり、セックスを怖がる未熟さ、ミソジニーにとらわれている、男性になりたい、男性への復讐心などと〈ネガティブな解釈を与えられることが多かった〉。その後議論が深まるとともに、野火ノビタや齊藤環など〈やおい女性の欲望のあり方を「対象への欲望」ではなく、「関係そのものへの欲望」であると論じ〉る〈中立的あるいは肯定的〉な論者が増加したという。
しかし金田はこうした議論のなりゆきに対し、やおいが好きな理由を殊更〈素朴に〉問うことそれ自体が、その裏側にある異性愛の強制を温存する働きを持つことを指摘する。加えて、やおいを好むことと、女性が持つ何らかの心理傾向とを単純に結びつけるだけではなく、構築主義的ジェンダー論の観点から〈「制度的」な説明要因を解明してゆく〉検討の必要性を見出している。
こうした課題をふまえ、〈「やおいとは女性にとって、社会にとってなんなのか?」という問いが浮上し〉ており、そこでは特に〈やおいは異性愛秩序を再生産するものなのか、それとも異性愛秩序への抵抗や攪乱なのか〉という問いが次なるテーマとして示されていた。
金田の提案から現在までおよそ15年の間に、BLが持つ機能に対する検討はジェンダー・フェミニズム研究やクィア・スタディーズの文脈で深められてきた。ただしその多くがオリジナル創作の一ジャンルとしてのいわゆる「商業BL」を対象としており、既存のキャラクターどうしの関係性を愛好する二次創作的な相関図消費を射程に置いた論考はまだ少ない。そうした中で、東園子の『宝塚・やおい、愛の読み替え―女性とポピュラーカルチャーの社会学―』*3は、BL二次創作(※東はこれを「やおい」と呼ぶ)の機能を分析している点で参考になる。
その分析対象はあくまでBLであるため、カップリング一般にそのまま援用することはできないものの、同書を参照しながらカップリングの「二次創作」*4の過程で行われている操作を概説し、このインタビュー集の関心を示したい。
まず、いわゆる「カップリング二次創作」における相関図消費には二つの段階がある。第一段階として、特定のキャラクターたちの関係性に惹かれて選び出す段階。これを「カップリングの段階」と呼ぶことができる。次に第二段階として、カップリングの関係性を詳しく想像する段階がある*5。
今回のインタビューで主に焦点を当てたのは、このうち第一段階のカップリングの選好だ。私たちは、確かにそこに見えているがどのようにも名付けがたい関係性の表象に惹かれて「推しカプ」を見つけ出す。キャラクターがどのジェンダーであろうとその点に変わりはない。カップリングの組み合わせは無数にあり、また同じカップリングであれば誰にとっても同じに見えるわけではない。何より重要なのはキャラクター同士の間にある関係性をどのように読み取るかである。そして、そこには我々自身の批評的な思考が多分に反映されているはずでもある。だからこそ、他者に見えているカップリングが私には見えないのである。
また東は、BL二次創作における「カップリング」は男性キャラクター二人を組み合わせることに加え、「攻」と「受」の役割を割り振ることまで含まれると分析したうえで、〈攻が能動的な役割を、受が受動的な役割を担うのを基本形として、(中略)原則的にアナルセックスでペニスを挿入する側が攻、挿入される側が受だが、性描写のないやおいにおいても攻・受の区別は存在する。(中略)どのような特徴を元に攻・受の役割を振り分けるかは個人により異なり、やおい愛好者の間で絶対的な共通の基準が確立しているわけではない。(中略)やおいにおいては、その内実がどうあれ、男同士のカップルに攻・受という異なるジェンダー的な役割が付与されていることが重要なのである。カップリングとは、男同士のヘテロジェンダーな対を作る行為だといえる〉*6。
この定義は特に2010年代までのBLファンダムで形成されてきた最大公約数的な通念を説明している。また、〈受け攻め〉という枠組みの設定によって生じる効果を解き明かすうえで便宜な要約でもある。けれども、個々人が心に抱く「推しカプ」の〈受け攻め〉の観念が異なり、その人にとってそれがどのような意味を持つならば、具体的にどのように違うのか。それについてはまだ十分語られていない。
さらに東は、カップリングの関係性を詳しく想像する第二段階では、「性愛要素の取り入れ(恋愛化・性愛化)」が行われると述べている。さらに付け加えて言うならば、あるカップリングの関係の展開を想像し、それを特別なものとして示す方法論は「恋愛化・性愛化」に限られない。そもそも、必ずしも「恋愛」として表象されていない関係性に我々が惹かれること自体、この社会において「恋愛」関係だけが最上位の排他的な関係と見なされる規範自体の綻びを示唆している。
ただ確かにそれぞれの中で、「推しカプ」は他のあらゆる関係性を差し置いて〈特権的な関係性〉*7とされている。だから『推しカプ遍歴インタビュー』のクエスチョンはこのように言い換えられる。どのような関係性こそが、あなたにとって特別に浮かび上がって見えるのか。
◇
人が選び出す関係性の形は無限である。ただ、特にBLの「カップリング」――男性同士の関係性について考えるときに、ホモソーシャルという概念が重要なキーワードとなる。ホモソーシャルとは、イヴ・K・セジウィックの『男同士の絆――イギリス文学とホモソーシャルな欲望』*8の中で用いられた概念で、同性間の親密な関係を指すが、それが性的な関係として認識されるか否かによって、ホモセクシュアル(同性愛)と区別される。ホモソーシャルはミソジニー(女性嫌悪)とホモフォビア(同性愛嫌悪)によって成り立つ。つまり、男性同士の〝非性的〟な親密さを強化するうえで、女性を性的客体とみなしてそこから排除する反面、男性が性的に客体化されることを顕わにするホモセクシュアルは排除されるのだ。
他方、女性同士の親密さを捉えるとき、ホモソーシャル概念を単純に援用できるだろうか。前述したホモソーシャルは、男性同士の絆と異性愛主義を基盤として家父長制――シスヘテロ男性による社会支配が支えられていることを暴くうえで有用な道具である。しかしながら、女性はジェンダーにより権力や利益からむしろ遠ざけられる立場にある。また社会の中で制度化された、男性との恋愛を強制する規範――〝強制的異性愛〟に晒されるため、結果として女と女の絆はどれほど重要で代えがたいものであっても、認識されにくい。さらに、性的主体とみなされない女性の同性愛は〝タブー視〟というよりは無化され、しかし常に性的なまなざしを向けられる二重の抑圧の下にある。こうした点においてホモソーシャル概念の射程には留保が必要でありつつも、さればこそ女性同士の絆や愛について語る言葉は一層必要であろう。
またこのことは、BLを念頭に置いた言説をGL・百合にそのまま転用できない理由とも繋がっている。BLにおける男性同性愛という他者表象の位相についての議論を受けた、堀江有里の指摘が参考になるだろう。
「『百合』と『レズビアン』の関係を考えようとするとき、ヤオイの中で描かれる男性同士の関係と、それを創作・愛好・解釈する人びとの群れが、おもに異性愛の女性たちで構成されていることを踏まえると、単に反転させて援用することはできない。そこにはジェンダーの非対称性の問題が横たわっているからだ。客体として置かれた女性たちが、『主体』となるために男性同士の『関係性』を生み出し、読み解くことと、同じく客体として置かれてきた女性同士の『関係性』を生み出し、読み解くことは、性の配置が決定的に異なる」*9。
ざっくりとした説明だが、これまで示してきた思考枠組みはいずれも「推しカプ」について聞くうえで大切な物差しになるはずだ。しかしこのように俯瞰すると、男女二元的なジェンダーに則らない人間の関係性のありかたや、一対一の二者関係で閉じない絆について語る言葉を我々はどれほど持っているだろうかという問いにも直面する。
◇
溝口彰子はこう述べる。〈「現実/表象/ファンタジー」の三者は、おたがいに関係し、影響しあっているが、その関係はイコールではなく、また、一定でもない〉*10。私たちの現実がジェンダーという重力から自由ではない以上、カップリングへの希求もまたその影響を避けられないが、我々は現実への願いをそのままファンタジーとして抱き、また表象として描くとも限らない。
このインタビューで聞き取った言葉の中にも、「現実/表象/ファンタジー」への言及は混在していて仕分けが難しい。例えば「推しカプ」の関係性の読み解きを、まさにクィア・リーディングそのものと呼べる場面もあろう。クィア・リーディングとは、異性愛規範や男女二元論、シス・ノーマティビティ(人がすべてシスジェンダーであることを前提とする規範)などに積極的に抗って物語を読むことだ。
溝口彰子は2000年代以降の商業BL作品に「現実のホモフォビア、異性愛規範、ミソジニーを認識したうえで、それらを克服するヒントとなるキャラクター造形や世界観を、現実よりも進んだ形で示す作品群」が増加したことを論じているが、そのような想像力はカップリング的な関係性消費の場でも用いられている。私たちは世に満ちる関係性の表象からクィアな愛の形を〝あたりまえ〟のこととして読み取り、また上記のような規範が働く社会の中で焦点化されづらい人々の関係性に自ら光を当てることができる。
しかし他方で、現実に抗う最善の理想といえるような幸福な関係性だけが我々を癒やすとは限らない。自分ひとりで心に抱くカップリングには、むしろ大きな声で他人に言えないようなものもある。そうしたカップリングに向ける感情は、必ずしも「大好き」だけではないのかもしれない。
◇
「はじめに」で引用したよしながふみの発言に立ち返って本論を締めたい。〈女性の場合は生育歴のなかで、どういう強制力や抑圧を受けているかというポイントが非常にバラバラなので(中略)それが萌えポイントの分かれ方にもなっている〉。
たとえカップリング観を知ったからといって、その人が受けてきた〈抑圧〉のしこりを探り当てられるわけではないし、なにか社会問題を直接導けるわけでもない。そうではありつつ、人が受ける〈抑圧〉の形が社会経済的条件に左右されるのも事実だ。
例えば80年代以降、思想においてはフェミニズム運動やゲイ・リベレーションの成果とその後のバックラッシュ、経済的にはグローバリゼーションの進展と産業空洞化を受けた雇用流動化によって、人生は〝多様化〟ないし分断されている。私たちは社会構造の中で異なる形の抑圧と、異なる形の恩恵を浴びる。
もし、よしながの指摘が正鵠を射るものだと感じるならば、私たちのわかりあえなさを「人はそれぞれみな違うから」という単純な相対化のみで捉えるべきではないはずだ。
私たちが生きる社会は、私たちは複雑で、わかりあうことが難しいからこそ、あなたが見てきたカップリングの歴史に耳を傾けたい。きっとまだ語られていない、あなただけの目に映る関係性について。
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どのような「関係性」を「推しカプ」として選んできたか、どのような二次創作をしたい/読みたいと思ってきたかに着目した、14人の「カップリング観」や「カップリング遍歴」を深掘りするインタビュー集『推しカプ遍歴インタビュー』を11/11に発行します。#文フリ
— いなだ易🪸 (@penpenbros) 2023年10月15日
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*1:『思想地図vol.5』「妄想の共同体ーー「やおい」コミュニティにおける恋愛コードの機能」日本放送出版協会、2010年、253頁。
*2:『ユリイカ』2007年12月臨時増刊号、青土社、48頁〜。
*4:〈二次創作とは、(中略)実在・非実在を問わず、社会的に何らかのイメージが共有されている人物を登場人物に用いるものであり、(中略)二次創作の元になる対象を、それが実在の人物であっても一括して「原作」、二次創作で取り上げられている人物全般を「キャラクター」と呼ぶ。〉(前掲東、162頁)本書もこの考え方を採用する。
*5:前掲東、176頁以下参照。ただしBL以外のカップリングにも当てはまるよう、筆者が一部要約や省略を行なっている。
*6:前掲東178頁ー189頁。
*8:イヴ・K・セジウィック(上原早苗・亀澤美由紀訳)『男同士の絆――イギリス文学とホモソーシャルな欲望』名古屋大学出版会、2001年(原著1985年)。
*9:『ユリイカ』2014年12月号、堀江有里「女たちの関係性を表象すること レズビアンへのまなざしをめぐるノート」青土社、83頁。