夏の終わり、というか近年の場合いつが夏の終わりだかさっぱりわからなくなっているのだが、8月末に引っ越しをしてから、1ヶ月半ほどはわりあい落ち着いて過ごしていたのだが、10月半ばからまた忙しく出張をしていた。
今回はまずイスタンブールでワークショップがあり、そのついでに、と言うとどういう地理的観念を持っているんだと言われそうだが、まあ西方に行ったついでにロンドンに寄って、前回滞在時にあまりできなかったブックトークと資料収集をちょっくらやってこようということで2週間弱ほど行ってきた。これが思いの外タフな出張になった。
腹痛とdisorder
イスタンブールのワークショップは、ケンブリッジのポスドク以来散々お世話になっているAyşe Zarakol先生がPIになってBritish Academyから得たグラントを使って開催されているもので、orderとdisorderというのをテーマにしているらしい。これまでフィレンツェとかケンブリッジでワークショップを開催してきて、前回は19世紀、今回は17世紀、次は20世紀という感じで毎回メンバーを入れ替えつつ別の時代を扱うのだそうな。私は今近世日本のことを少しやっているのと、次のワークショップを東京でやることになり、そのホストを務めることになっているので、呼んでもらったというわけである。
行く前からビビっていたのは、Ayşe自体もビッグネームなのだが、参加者にはその指導教員だったMichael Barnettとか、Christian Reus-Smitとかの、まあ国際関係をやっている人なら誰でも知っているような研究者がいて、全体的に最低でも私+10歳くらいのかなりadvancedな面々だったことである。私みたいな駆け出しヒラ教員がいてもいいのだろうか、という感じだった。
自分の研究内容を発表するのはまあさすがにどんなシニアな研究者がいてもそんなにビビることはないのだが、テーマがあって自由に討議しろ、みたいなワークショップはなかなか難しい。特にヨーロッパ系のIRの人たちは、かなり抽象的な議論を好むので、disorderとcrisisの違いは何かとか、international systemとは何かみたいな話が延々と展開され、付いていくのがけっこう大変だった。面白いのは面白いのだが、empiricalな政治学からの「転向組」には、なかなかこの手の抽象的な議論は厳しい。イギリス後期から比較政治学→IRへとシフトしていたつもりだったのだが、バランスをまた若干戻してもいいのかな、という考えが浮かび、自分でも少し驚いた。

そういう意味でもまあ「タフ」な出張ではあったのだけど、どちらかというと本当にタフだったのは体調面で、ワークショップの1日目の途中から、どうもお腹の調子が悪くなって、腹痛が起きた。ディナーはボスフォラス海峡のクルーズだったのだが、イスタンブールの美しい夜景もあまり目に入らず、早くホテルに帰って寝たいとずっと思っていた。2日目も一応ワークショップは完走したものの、倦怠感があったり相変わらず腹痛がしたりということがあって、ディナーやらをキャンセルし、症状が去年少々大事になった時のものに似ていたので、夜に思い立って現地の病院に行くことにした。

東京海上の旅行保険を契約していたので連絡をすると、夜でもやっている病院をすぐ紹介してくれ、キャッシュレス受診やトルコ語通訳も手配してくれて非常にありがたかった。やはり持つべきものは海外旅行保険。旅行保険なしで海外に行くのは命をリターンのない賭けに出すようなものである。私はだいたい東京海上のMarine Passportというやつをいつも契約している。
かつてカタールで1ヶ月ほど入院を余儀なくされたこともあったので、その再来を恐れつつ病院に行ったのだが、結局胃腸から来る風邪だろうというような結果で安心した。Acıbadem Hospitalというところに行ったのだが、めちゃくちゃ豪華で高級感のある病院で、事務員も看護師も医師も非常に親切で英語での会話にも問題がなかった。ドーハの時も思ったが、平均水準はどうあれ、やはり駐在外国人が行くような高級病院のレベルは非常に高いのだろう。

懐かしくないロンドン
受診前はもしかするとイギリスへ行くのをやめて帰国すべきかな、などと心配していたのだが、無事医者のお墨付きが得られたので翌日ロンドンへと渡航した。イギリスへ行くのは7月以来だからたった3ヶ月ほどしか経っておらず、正直懐かしいとかいう気持ちは皆無であった。なので特に色んなところに行ってとか色んな人に会ってというような予定は入れずに、わりとゆったりした旅程を組んでいた。相変わらず本調子ではなかったので、緩めの旅程が功を奏した。
今回はロンドンの中心部ではなく、郊外のEalingに滞在していたのだが、これがなかなか悪くなかった。西ロンドンで、日本人がたくさん住んでいるActonなどとも近いエリアだが、ちょうどよい都会と自然のミックスで、落ち着いている。ロンドンに住んでいたときはIslingtonという、King's Crossからほど近いエリアに住んでいて、良いエリアで気に入ってはいたのだが、別にロンドン観光を今さらするわけでもないので、ストレスの少ない場所に滞在したいと思っていた。地下鉄のエリザベス・ラインができたおかげで、Ealingはヒースローから20分以内、Paddingtonからも10分以内と、移動が多い場合には非常に便利である。エリザベス・ラインを使えば中心部にもすぐ行ける。仲の良い友達がこのあたりにフラットを買ったということもあって、今後もロンドン滞在時はEalingに宿を取ろうかと思っている。
資料収集ということで、久しぶりにKew GardensにあるThe National Archives(TNA)に行ってきたのだが、やはりここは居心地がいい。まずいる人々が研究者か学生かリタイアした老人がほとんどで静かであり、落ち着いていて不快になることがない。そしてここの1階にあるカフェテリアは、意外にもけっこう美味しいランチを提供しているのだ。TNAの近くには、有名な王立植物園があるわけだが、TNAを使う研究者あるあるとして、植物園には行ったことがないというものがある。TNAが開いている時間は文書館にこもりきりになるので植物園の開館時間に間に合わず、TNAが休みの日はわざわざ遠いKew Gardensまで来たくない、ということで、実際私も1度しか植物園には行ったことがない。今回も行かなかった。

ロンドン滞在の一番の目的は、ロンドン大学のクイーン・メアリー校でブックトークを行うことだった。同校でポスドク時代の同僚が上級講師になっていて、トークを企画してくれたのだ。今回は討論者を彼も含めて3人も呼んでくれて、突っ込んだ議論ができてすごくありがたかった。リップサービスもあるだろうが、3人ともかなりポジティブな評価をくれて嬉しかった。内容もさることながら、文章がよく書けているとか、分かりやすいということを言ってもらえると、非ネイティブとしては特に嬉しく感じる。こちらに留学している日本人の友達や、ケンブリッジで在外研究中の知り合いの研究者なども来てくれて、まずまずの客足でもあった。学部生で質問をしてくれた子がいて、終わった後で話を聞いてみると、ソマリランド出身、一緒に来ていた友達は(イラク)クルディスタン出身ということで、国家形成などをやっている身としては面白い(と言ってはいけないのかもしれないが)場所の出身者に会えて非常に新鮮だった。目をキラキラさせて色々と聞いてくれるので、嬉しくなって2人に著書を1冊ずつプレゼントした。
しかし今回の出張、波乱なくしては終わらないもので、滞在中の夜、友人と食事をするために中心部の大通りを歩いていたら、後ろから音もなく近づいてきた自転車の男に、いきなり手に持っていたiPhoneをひったくられた。驚いて声を出した後、とっさに追いかけ始めると、私のiPhoneを一瞥した男が、ポイッとそれを道に捨てるではないか。すぐに拾い上げ、事なきを得たが、この間わずか3秒ほどで、その後何が起きたのか実感が湧くまでに時間がかかった。男は私のiPhoneを誤って落としてしまったわけではなく、明らかに一度見た上で自分の意思で落としたようだったから、古いモデル(12 mini)であったことが奏功したのだろうと思う。こうした自転車によるスマホのひったくり事案は最近ロンドンで多発しているらしく、その直後に会った友達も、同じようにして最近iPhoneを盗まれたらしかった。私はイギリスに住んでいた間犯罪に遭ったことは一度もなかったのだが、こんな形で思わぬところで出くわすことになった。
いやしかし、持つべきものは古いiPhoneである。