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博論執筆中の息抜き

数日前、ついに博論の終章のドラフトを書き終わった。それ以外の章は11月の頭に書き終わっていて、その後は他の章の修正をひたすらやっていたのだが、12月に入ってからついに結論に取り掛かり、ようやく書き上がったわけである。どの章を書くのも大変だが、結論部は、新たに調べたりすることがほとんどないので書くペース自体は他の章よりも上がるが、同時に新しいことを言うわけではなく、前の章の繰り返しが多くなるので、書いていてあまり楽しくない。それでも、ようやくこれで全体が(まだドラフトとはいえ)できあがった、というのは祝うべきことであり、書き上がった日は午後からオフにしてのんびり過ごした。ここから1ヶ月ほどで最後の詰めを行い、1月中旬には提出したいと思っている。

本文を書き始めたのは去年の10月か11月頃だろうか、昨年度は1学期目に1章、2学期目に2章、3学期目に3章、といったペースだったが、休みに入ってからは、8月に4章、9月に5章、10月に6章、と1ヶ月に1章ペースで書けるようになった。今年度はティーチングもないし、コロナでイベントなどもほぼ皆無であり、外で研究するのも難しかったので、基本的に家でずっと書いていた。しかし、家にずっとこもって研究をするというのは、気をつけないとかなり精神的に負担になる可能性のある生活様式である。博論執筆中というのはただでさえストレスも溜まるものだから、負荷をかけすぎないようにするには多くの工夫が必要だった。ということで、今回は私が博論執筆中に行った息抜きについて書きたい。

朝イチの散歩

まずは、一日に一度は外の空気を吸うということ。これはコロナの時代には多くの人が心がけていることだと思うが、私もこうした状況になって、元の世界ではいかに買い物や用事や人との約束でよく外に出ていて、かつそれがいかに気分転換になっていたかを思い知った。「散歩」という行為がこれほど「レジャー」のようになるのは、現代においては非常に特異なことだろう。コロナ以前は、誰かと会うときに、「じゃあ散歩しよう」とはならなかったはずである。いかに我々が娯楽の少ない世界を生きているか、ということだ。

別に散歩はいつしてもいいわけだが、イギリスだと、いつの間にか雨が降り始め、気づいたら日が暮れていた、などということが日常茶飯事なので、可能な限り朝イチに散歩をすることにしている。歩くルートもだいたい決まっていて、私は中心部から線路を挟んで反対側にある、大学所有のアコモデーションに住んでいるのだが、すぐ近くに川があり、それがPort Meadowという、広大な公園というか、牧場に通じている。なので、川沿いの道をPort Meadowまで歩き、その中をぶらぶらして30分ほどで帰ってくることにしている。

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なんというか老人の生活みたいだが、この時代の生活というのは誰しもだいたいそういうものである。でも馬鹿にできないのが、これをするかしないかで、午後の気分が大きく変わってくるということである。散歩をしようがしまいが、だいたい朝の生産性は変わらないのだが、昼ごはんを食べて少しすると、なんとなく気だるくなってきて、かつ気分が上がらなくなる。ところが散歩をした日は、この下がり幅が小さくなるのだ。一日を通じてエネルギーを温存できることが多い。ろくでもない現首相から唯一学べることがあるとすれば、この毎朝散歩をするという習慣だろう。

キャッチボール

続いても外でできることで、こちらは一週間に一回のペースでやっていたのが、キャッチボールである。こっちは打って変わって子供の遊びみたいだが、キャッチボールというのは、道具は要るが特別な設備は必要なく、最少催行人数2人で、さらに数十メートルも距離を取るという、コロナ時代にうってつけの野外アクティビティなのである。

以前記事にも登場したドミニクという男がいて、私と同じ2017年に中東研究のマスターを始め、その後博士に進学して今年で2年目、という身分なのだが、野球のやの字も知らない彼を誘って、公園でキャッチボールをしていた。

難しいのは野球道具で、イギリスを含めヨーロッパでは野球は全く盛んではなく、その存在すらも知らない人も多い。必然的に野球用具がそのへんで売っているはずもなく、ネットでかろうじて取り扱っているところを見つけて注文した。

私は野球経験はほとんどないのだが(中学で野球部の体験練習に行って、ひたすら走らされたのと顧問が強圧的だったのに辟易して入らなかった)、小学校のときにソフトボールをやっていた。しかしもう何年もやっていなかったので、私は遠投を繰り返していると肩や肘が痛くなるのだが、一方で大の運動好きであるドミニクはタフで、延々と投げられるようだったので感心した。

雑誌の流し読み

ここからはインドアの息抜き。11月にかなりハマっていたのが、日本の雑誌を流し読みすることだった。雑誌と言ってもEconomistとか、Newsweekとかそういう硬派なものではなく、ファッション誌とかグルメ雑誌とか、そういうやつである。dマガジンを契約していて、iPadで色々読んでいるのだが、これがすこぶる面白い。普段書店で目に入らなかったような雑誌がかなり豊富に揃っていて、新しい世界が開ける感じ。

特に私がよく読んでいるのは、「散歩の達人」、「dancyu」、「おとなの週末」など。これらの雑誌は美味しい店や東京の面白いエリアなどの情報が満載で、読んでいて日本(東京)の生活が懐かしくなる。次に帰国したらあれが食べたいとかここに行きたいとか、考えながら日曜の午後を過ごすのがルーティンになっていた。面白いのは、雑誌にはそれぞれ明示的であれ、無意識であれ、背後に価値観というようなものがあり、決まった読者層があるというところ。よくネタにされるが、典型例として「東京カレンダー」なんかは、読んでみると巷で言われているほどどぎつくはないものの、マテリアリストな価値観が強く、「高級」志向、成金趣味みたいなものが見えてあまり読みたくはならない。でもこういうのを当たり前に考えている人たちも身近にいるのは分かっていて、インスタなどで繋がっている知人の投稿を見ていると、東京カレンダーの切り抜きみたいな写真を頻繁に投稿している人がいたりする。

一方、「散歩の達人」とか「dancyu」は、私の読む限り、もっと肩の力が抜けていて、地に足のついた日常の中に楽しみを見出だそう、という哲学が感じられて好きなのだ。こういう雑誌は、一定の知識を持った人のスクリーニングを受けているという点で、玉石混交のネット記事や食べログの評価などよりも平均してよほど信頼できるなと思う。雑誌業界にとっては逆風の時代だが、存在価値は決して失われていないはずだ。

他にたまに流し読みするのが、「週刊ベースボール」とかのスポーツ誌、さらには女性ファッション誌なんかも意外に興味深い。(女性)ファッション誌はターゲット層が明確に設定されていて、こういうファッションはこういう社会的バックグラウンドと結び付けられているのか、などと納得感が強い。また、全ての記事がファッションというわけでもなくて、読者のためのお金のアドバイス、みたいな記事もあって、30歳・銀行勤務の女性はこういう暮らし向きなのか、とかいうことがうかがえてなかなか勉強になるのだ。一週間着回しコーデ、みたいな企画に出てくる女性が一様に波乱万丈な恋愛生活を送っているのもまたいとおかし。

あとは、「MONOQLO」とか「LDK」みたいな、様々な「モノ」のレビューをひたすら掲載している雑誌も興味深い。こんなものが単独で雑誌になるのは日本の特殊なところではないだろうか。知らんけど。でも工夫がなされた生活用品とか、かゆいところに手が届く質の高い生活用品の豊富さは、日本の素晴らしいところで、日本って便利だよなあ、と思いながら読んでいる。

男性ファッション誌は女性に比べて圧倒的に数が少なく、20代後半~30代前半ぐらいが対象の雑誌がほとんどないように思う。「MEN'S CLUB」とか「popeye」とかを時々読むが、面白いのが、イギリスのブランドがよく紹介されていることで、ファッション業界におけるイギリスの存在の大きさを知った。一方で日本の存在感も大きく、ロンドンのセレクトショップにはBEAMSの商品などがよく置いてある。面白いのは、イギリスの一部ブランドの扱いが国内と日本ではちょっと異なるように見えることである。例えばBarbourとか、こっちに来る前は5万とかする、おいそれとは買えないブランドだと思っていたが、こっちでは店舗も多く、町の古めの個人商店、みたいなところにもBarbourがたくさん置いてあったりする。値段も当然日本で買うより安く、コートでも100ポンド台からある。あとはClarksも日英で立ち位置が違うように見えるブランドの1つ。日本ではClarksって、高級ではないけれど、そこそこの値段がするしっかりしたシューズブランド、というイメージだと思うのだが、イギリスではこれまたたくさん店舗があるし、店内もかなりチープな雰囲気、そして適当な商品の並べ方だったりする。値段も100ポンドにいかないものが大半である。ポスドクでもイギリスに残ることになれば、ロンドンにもうちょっと頻繁に行って、イギリスのファッション事情についても勉強したいなと思っている。

BBCのネイチャー系ドキュメンタリー

その他にも小説を読んだり、短歌をちょくちょく作ったり、また当然Netflixのドラマも見まくっているのだが、時にはそういう息抜きをするエネルギーすらない、という日もあるだろう。特に能動的なアクティビティは、息抜きといっても、そもそもそれをやるためにエネルギーが必要だったりする。そんな疲れ切っている日におすすめなのが、David Attenborough爺さんがナレーションを担当している、Planet Earth、Blue PlanetなどのBBCのネイチャー系ドキュメンタリーシリーズである。私はBBCで観ているが、NetflixでもOur Planetなどが観られるらしい。

これらのプログラムの何がいいって、まずは映像の美しさ、自然の驚異、そしてDavid Attenborough爺さんのナレーションの声である。NHKのドキュメンタリーとかも好きなのだが、BBCのドキュメンタリーはやっぱり少し格が違う感じがする。私だけかもしれないが、これを流してぼーっと観たり観なかったりしながら、David Attenborough爺さんの声に耳を傾けていると、疲れが癒されていくのがわかるのだ。風邪を引いて、寝込むほどではないが活動できない、といった状況の時には、David Attenborough爺さんを処方したい。もちろん内容も非常に興味深く、面白い動物がたくさん出てくるだけではなく、エピソードの最後には撮影クルーの苦労の様子が出てきたり、気候変動による深刻な影響や、それに対する取り組みが紹介されたりもして、すごく勉強になる内容でもある。

 

以上のような息抜きをしながら私は博論をこの1年書いてきたわけだが、やっぱり思うのは、一番の息抜きとは、人と話すことだなということである。人間が社会的な動物であることをこれほどまでに身を以て理解させられる経験は、これまでの人生ではなかった。ただでさえ一人での戦いになりがちである博論執筆を、感染抑制に失敗したイギリスで社会的な交流なしで進めるのは、なかなか大変なことだった。本当に早く友達とご飯を食べたり飲みに行くことが当たり前にできる世界になってほしいものだ。

 




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