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嘉陵紀行「吹上観音道くさ」を辿る(その3)

 江戸の侍・村尾嘉陵(1760‐1841)が今の埼玉県和光市にある吹上観音に参詣した道筋を辿った話の続き。御茶ノ水駅から歩き始めて、旧川越街道を行き、板橋区上板橋練馬区北町の境までやってきた。御茶ノ水駅をスタートしたのが9時40分頃で、今の時刻が13時40分。あちこち寄り道したとはいえ、ここまで4時間もかかっている。

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 ここから旧下練馬宿に入る。

「集落と馬次の問屋のある、下練馬村に入ると、道の北側に王子道がある。この道は十条村を通って、王子稲荷の山の裏手に出る。一里半ほどの道のりである」(現代語訳:阿部孝嗣)

 宿場の入口に下練馬宿の説明板があり、それによると、この宿も江戸方から下、中、上の三宿に分かれ、本陣や脇本陣問屋場(馬や人足を用意して、荷物を次の宿場まで届ける所)があった。宿場内には鷹狩用の鷹の餌にするケラを扱う「けらや」もあったという。

(昔ながらの米屋)

 嘉陵の書く「王子道」は下練馬宿の入口から150メートルほどの地点で北に入る道である。角に古い切り株がある。そして、道の先には何やらお堂が見えるので、行ってみた。

(王子道の入口。右側に切株。道の先に小堂がある)

 旧川越街道から100メートルほど行くと、交差点の真ん中に馬頭観音が祀られている。こんな場所にあって観音様が交通事故に遭わないか心配であるが、邪魔者扱いせずに残してあるのはすごいとも思う。

 文化十二(1815)年建立と書いてある。嘉陵が下練馬を通った1年前だから、当時は真新しい像であったはずだが、今は表面がカビに覆われ、だいぶ劣化が進んでいる。ここは下練馬と上板橋の境界で、ここから北東方向に進むのが王子道で、板橋を経て、十条、王子方面に通じていて、板橋区内では富士見街道の名称がある。

「また、宿の南側には大山道がある。東高野山の裏手を回って高井戸に出、大山に行くという」

 王子道を過ぎて、少し行くと、今度は左手に「従是大山道」と刻まれ、不動明王像を頂く道標があり、傍らには「東高野山道」の道標がある。その地点の真下を環状八号線がトンネルで抜けており、その建設工事に際して、元の場所より8メートル西に移設されたらしい。

 大山道の道標は宝暦三(1753)年に下練馬村講中によって建立され、上部の不動明王像はのちに制作されたものという。東高野山紀州弘法大師霊場高野山を模して創建された谷原村(練馬区高野台)の長命寺のことで、ここから分かれる富士街道長命寺の北側を通り、田無へ通じていた。嘉陵は高井戸に出たと書くが、むしろ、田無から府中に出て、町田市の小野路方面へ行くのが大山への近道ではなかったかと思う。このルートは今の東京北部や埼玉県方面から大山や富士山へ向かう人々が多く利用したと考えられ、それらの人々にとっても下練馬宿は貴重な休憩場所になっていたのだろう。

 この道標の向かい側に脇本陣が置かれ、その西隣に本陣があって、幕府の役人や大名が宿泊や休憩に利用していた。

 

「蕎麦を食べさせてくれる家で休み、うどんを一椀食べる」

 嘉陵がこのように道中の店で食べたものを記しているのは珍しい。下練馬宿の解説板にある地図によれば、宿内に蕎麦屋が一軒あった。大山道の追分を過ぎて、まもなくの地点であるから、嘉陵がうどんを食べたのはここだろうか。

 下の写真で前を歩く女性の左手に蕎麦屋があったようだ(北町1‐28)。

 その角を左に入って少し行くと、今も蕎麦屋があるが、江戸時代の店とは関係はなさそう。

 旧川越街道をさらに行くと、右手に富士塚があり、浅間神社が祀られている。その隣には天祖神社。江戸時代に地元の富士講によって築かれ、その後も明治から昭和まで修築が重ねられたとのこと。地面からの高さは5メートルほどで、山頂の標高は37.76メートルと富士山のちょうど百分の一。江戸時代にこの高さで築いたのだったらすごいけれど。

「分かれ道に石観音が建っている。その左右には石の仁王尊もある。いつの頃に建てられたものであろうか。上屋があって、石の趺座に文字が刻まれているけれども、見ることができない。したがって、建てられた年代も分からない。それほど古いものではなさそうである」

 嘉陵が見たこの石観音は今もそのままある。

 小さな仁王門をくぐると、正面に観音堂があり、左にはもう一つお堂がある。境内入口の説明板によれば、いわゆる石観音(聖観音座像)は天和二(1682)年、仁王像は天和三年(背面に彫られている)に造られたものだそうだ。

  

 下練馬の石観音として信仰を集める聖観音菩薩。

 その隣のお堂には三面六臂馬頭観音が安置されている。年代不詳ながら、江戸期のものと推定されるという。髪が赤く塗られている。

 仁王像。

 嘉陵はそれほど古いものではなさそうだと書いているが、実際には当時でも造立から130年以上経過していて、現在は石観音が練馬区指定有形民俗文化財、仁王像は練馬区登録有形文化財となっている。

「ここから西へ行くと、白子(埼玉県和光市、膝折朝霞市、野火留新座市野火止)などを通って、川越まで六里(約24km)という。

 北は吹上道で、少し行くと徳丸である」

 石観音の追分から嘉陵は右の吹上道を行く。いうまでもなく、めざす吹上観音に通じる道である。すぐに練馬区から再び板橋区に入り、そこに東上線東武練馬駅がある。駅の所在地は駅名に反して板橋区徳丸である。

(石観音前で旧川越街道から分かれ、東武練馬駅の踏切を渡る)

 踏切を渡ると、イオンのある交差点があり、直進の道が徳丸通り、ここで左へ行くのが吹上道である。ただ、区画整理で昔の道は一部が消えていて、しばらくは古道の風情はまったくない2車線道路を行く。



 つづく

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