昨日の東京はうららかな晴天だったが、今日は曇り空で、午後、雨も少し降ったりする。
鉢植えで育てているあんずの花が咲き始めた。梅とあんずの交雑種だといわれる豊後梅の花とそっくり。昨年は初めて1個だけ実がなり、シロップ漬けにしたのだったが、今年はもう少し収穫できれば・・・。花数はこれまでより増えた・・・と思う。

ラックスとあんず。

先日、村尾嘉陵の足跡を辿って麻布から上目黒まで歩いた時、渋谷川は嘉陵が歩いたルートに従い、渋谷橋を渡ったのだが、歴史散歩としては一本上流に架かる橋も見逃せないので、実はちょっと寄り道をした。

橋の名前は庚申橋。その名の通り、橋のたもとに庚申塔を兼ねた橋供養碑があり、これも江戸時代から存在する橋である。



寛政十一(1799)年の造立で、高さが137センチある石塔の正面上部に青面金剛、邪鬼、三猿が彫られ、なかなかすぐれた彫刻であるが、それ以外の部分には渋谷だけでなく赤坂、芝、麹町、麻布、四谷など江戸市中から郊外の目黒、世田谷、中野、荻窪など広い範囲の講中や個人の名がびっしりと刻まれ、この橋が多くの人々にとって大切なものであったことが分かる。


庚申橋をあとに山手線のガードをくぐると五差路に出る。ここを右奥へ行くと、すぐ右手の大谷石の擁壁がある小高い場所に庚申堂がある(恵比寿西2‐11‐7)。

向かって右から寛文八(1668)年、延宝四(1676)年、延宝二(1674)年、寛文四(1664)年のもの。
寛文四年は一猿。烏帽子をかぶっているが、あとは裸であることが分かるようになっている。ほかに二鶏。


寛文四年の庚申塔は三猿のみ。性別が分かるようになっている。


渋谷区教育委員会が立てた説明板があるが、庚申信仰について、次のように説明されている。
「六十日ごとに巡ってくる庚申の夜、うっかり寝てしまうとそのまま死んでしまうことがあると信じられていました。庚申の日は、一晩中飲んだり食べたりしながら語り明かして、眠らないようにして過ごしたのです。その仲間を庚申講と呼びました」
ちょっと説明が雑なような気もするけれど・・・。
お堂の外には明治三十八年の庚申塔と大正四年の馬頭観音。どちらも新しいわりには風化が進んでいる。


これは渋谷区猿楽町の町名の由来となった猿楽塚。6~7世紀、古墳時代末期の円墳。高さは5メートルほど。

この一帯の大地主で、私有地内に旧山手通りを開くなど、代官山の町づくりに尽力した朝倉家により保存され、塚上には大正年間に神社が建立されている。祭神は天照皇大神、素戔嗚尊、猿楽大明神、水神、笠森稲荷。
神社の傍らにある馬頭観音。「南無妙法蓮華経馬頭観世音菩薩」と刻まれている。


猿楽町にある旧朝倉家住宅は国の重要文化財。大正八年の建築。

目切坂沿いの台地斜面の高低差を活かした庭園。



角の杉の間。この家を建てた朝倉虎治郎氏が一番気に入っていた部屋だという。



旧朝倉家住宅は朝倉家の手を離れているが、オシャレな街・代官山を象徴するヒルサイドテラスのオーナーは今も朝倉家だそうだ。
