tsusaharaさんとこの話題を読んで連想した。
http://d.hatena.ne.jp/tsusahara/20080916#1221570126
俗に給料の三か月分というけど、実際に三か月分もの大金を指輪に注ぐカップルもいまどきあまりいないような気がする。だってバブル時代ならいざしらず、多くの会社ではボーナス一回分以上なんじゃなかろうか。もっとも気がするだけで、実際には結構いたりするのかもしれないが。
指輪は未開の社会では用いられていなかった。狩猟、農耕等の手仕事には邪魔になるかららしい。指輪の歴史が始まるのは古代エジプトあたりからだが、結婚の印にしたのは古代ローマで鉄の輪をはめたのがもとだといわれている。屋内では普段使いの鉄の指輪を使い、屋外ではよそゆきの金のバンドに替えたとか。
五世紀ごろには婚約指輪は左手の4番目の指、つまり薬指にはめるようになっていたようだ。薬指から静脈が心臓に直接繋がっていると信じられていたためだ。
婚約指輪が高価な石のついたものになったのは、教皇ニコラス1世が『夫となるものは高価で経済的な犠牲を払わなければならないような指輪を将来の妻に贈るべし』という余計なお世話な決まりを作ったかららしい。
そんな由来は由来として、別の話を聞いたことがある。
高価な婚約指輪を贈るには意味があって、それはいざというときに換金するためだという。人生は長い。何が起こるか判らない。どんなときでも共に乗り越えていけるように、またもし夫である自分に何かあっても残された妻が困らないように、常に肌身離さず身に着けている貴金属を換金性の高いものにしておくというのである。ジプシーは旅をするため、現金を持ち歩くよりコンパクトだし身体に括りつけるのに便利なので、全財産を宝石にして身に纏うというのと通じるものがある。
これを若い新婚さんの男性に話したところ「結局カネかよ、夢がなさすぎる! 愛だよ、愛!」と嘆かれた。
そうかなぁ、実に叙情ロマンに満ちた話だと思うんだが、価値観の違いというのは恐ろしいものだ。
モノは所詮モノである。問題はそれをどう使うかだ。身も蓋もない厳しい現実を乗り切るにあたって、いついかなる状況になっても、共に歩めるだけの準備をしておく。その気持ちが愛じゃないのかね。
とかなんとかバカなことをほざきつつ、ところで噺は噺としてそんで一体自分は高価な指輪が欲しいのかというと、いまだかつて人様から指輪というものを戴いたことがないのでピンとこない。実はtsusaharaさんのお話も、「あ、そいういうもん?」と他人事のように読んでいたのであった。