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瞑想のお話

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私が中学一年生の時、二十代後半の女性の先生が担任になりました。その先生からは国語や書道を主に教わりました。かつて剣道もされていたそうで、なかなかに鋭い眼力と、かなり大きな声がでる先生でした。この先生は授業の始まりに、背骨を真っ直ぐ、閉目するよう生徒たちに指示し、「めいそう!!」と裂ぱくの気合をかけるのでした。田舎の中学で「瞑想」という単語を知っている子は多分あんまりいなかったでしょうし、私たちの大半は先生が何をしたかったのか意味が分からなかったんじゃないかと思いますね。

さて、この二十年位でしょうか?「マインドフルネス」という言葉が色んなところから聞こえて来るようになりました(※1)。それは「瞑想法」の一種と考えていいと思います。私が大学生の頃は、「TM(Transcendental Meditation)」というのも聞かれました。何のためにそういうことをするのかというと、最初はおおむね欧米でストレスマネジメント用商品として売られていたのが、のちに日本に持ち込まれたんじゃないかと思います。

マインドフルネスも、TMも、もとは古典的な仏教の三学(サンガク ※2)や、ヒンドゥー教のマントラ・ヨーガ(※3)が背後に理論的根拠として控えていたのですが、そういうことはすっとばして何らかの効果をだせればOK、ということが、それらを売る方も都合がよかったし、消費する人々にも受けたんでしょうね。

さて、大好きな人がいるらしい「瞑想」、そうしたこころの状態は、仏教の内部でどんなふうに扱われてきたのでしょうか?

先に『 天道のおはなし - 満願寺教會ブログ 』などで、天道という快い生存のあり方(とその終焉の悲哀)をご紹介しました。

天道には多くの階層があるといわれていて、そこへの転生は、戒をたもつ、十善業を行う、清らかな瞑想をするなどのカルマの結果だとされています。

天道は、微細な煩悩をともなう下の層から上方に向かうにしたがって徐々に五感的な快さをはなれ、存在そのものへの執着が薄くなっていきます。天道で最高度の生存状態では、意識が何の対象を持たずに〈無〉を対象とするようになり、さらにその次の最終段階は、無をも意識の対象としなくなるといいます(※4)。はやい話が、常時そのような瞑想状態にある生存の仕方が天道の最高位というわけです。

そのような天道最高のあり方も、じつは上に見たように「瞑想というカルマそのものがもたらした結果」の範疇、因果の鎖にすぎないので、仮にそのような最高の天に存在したとしても、カルパとよばれる膨大な時を経た後、やがてそのすぐれた瞑想状態にも自動的に終わりが来て、他の世界に強制的に転生していくといいます(※5)。

そこで、我が国の仏教史では、天道のなかでも特例、兜率天の内院に転生するほかは、六道の外部としての浄土、仏国土に転生をする以外安全な場所はないのだ、と信じられました。

瞑想大好きなみなさん、このお話をどうお感じになりますか?

本日もお読みいただきありがとうございました。



(※1)この語を一般語に普及させたのはベトナム出身の上座部仏教僧ティク・ナット・ハン(Thich Nhat Hanh)。英語のmindfullnessの原語はパーリ語のsati。漢訳では「念」と訳される。現代日本語では「気づき」と翻訳される。
(※2)「戒、定、慧」すなわち仏教徒が実践すべき三つの事柄。どれ一つ欠けても仏道として成立しない。定は所謂瞑想をさしているが、さりとて瞑想なら何でもいいというお話ではない。
(※3)英語をはじめ色んな言語で定着してしまっているため、本来のマントラの定義を正確に述べることは結構難しい。仏教語としては「真言」と訳され、仏、菩薩、神々の心の深い所から立ち上がってくる内証そのものであり、尊格の教えと力が一体となったサウンド、といえるかもしれない。真言は阿闍梨から弟子が血脈に繋がることで初めて伝えられ使うことができる。マントラ・ヨーガも文字通りマントラの念誦を主体にしたヨーガの方法論であり、これも密教と同様、口頭伝授の血脈を重んじる。
(※4)「無所有処定」と「非想非非想処定」。無色界定の後半にあたり、涅槃(ニルヴァーナ)はこれを超えた、あるいは包括した何からしい。ちなみに、釈尊が八年の苦行に入る前に師事していたのが上記の瞑想を成就していた二人の仙人、アーラーラ・カーラーマ(Alāra Kālāma) と ウッダカ・ラーマプッタ(Uddaka Rāmaputta)であったという。
(※5)カルパを経、六道の殆どが壊れても一部、壊れない無色界が存在する、という説もあります。





 

 




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