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天道のおはなし

           


仏教では、輪廻する生き物の〈存在のあり方〉を六つに分けて、六道(ロクドウ/リクドウ)(※1)といいますね。


生き物の六種類の存在のあり方=六道のなかで一番きついのが地獄道で、恵心僧都源信(※2)の『往生要集』を読むと、細かい描写がなされています。地獄にも多くの階層があって、一番下が「阿鼻地獄(アビヂゴク)」(※3)といい、その恐ろしさは仮に全体を言葉にすることができたとしても、それを聞いただけでたちまち血を吐いて悶絶死してしまうといいます。この恐ろしさの本質は、「聞いた言葉」だけで悶絶死してしまうというところじゃないでしょうか。

いっぽう、輪廻する生き物のなかでもっとも楽しく、こころよいあり方を天道、または天趣、あるいは天界といいまして、伝統的には、私たちが、〈神さま〉とよんでいる存在と彼らが住む世界のことです。彼らの特徴は、私たち人間よりも微細な身体を持っていて、寿命がとてつもなくながく、身体も光をおびていて病気もしないんですね。この天道は、三段階にわかれていて、上階ほど物質性が薄れて無形にちかづき、下にいくほど物質性がつよくなり、形姿をこまごまと持つようになります。

さて、この天道という「楽しみだけの世界」の住人に生まれかわりたい、というのは、私のような俗物の心がなびいてしまう魅力的なお話しであります。ところが『往生要集』にはこんなことが書いてあります。

要約すると、

…一定の時間がすぎさると、長い寿命をもつ天道の住人といえども、その寿命が尽きることになる。そのときは、頭につけた花飾りがしおれ、いままで美しかった衣もくすんでくる。また脇から汗が流れ、目眩が起こり、これまで住んでいた宮殿、帝釈天の神殿も見えなくなってくる。すると、これまで親しく、優しくしてくれた他の天界の住人たちはいっせいに離れてまるで雑草を見るように相手にしなくなるのだ(※4)。


この最後の行は、人[間]道の私たちにとってもかなり共感や予想ができる悲しみのような気がしませんか。私といえば、このお話しは、地獄のおはなしよりもみぞおちのあたりがそわそわしてくるんですが。

ところで、吾が天台教学では、ある一つの道に他の九つの道が備わっている(※4)というユニークな思想を根幹にしています。つまり、私たち人間、ヒトという種が作っている世界のなかで、毎日パーティとゲームとお酒に明け暮れるような天道にいるひともいれば、肉体的・精神的に塗炭の苦しみを味わっている人もいるので、この考えは理解しやすいとは思いますね。

平安時代中期に浄土教の基礎をつくった恵心僧都源信のメッセージは、浮薄な情報社会に一喜一憂する私たちになにを伝えてくるのでしょう。

本日もお読みいただきありがとうございました。


(※1)六道は六趣ともいい、①地獄道、②餓鬼道、③畜生道、④修羅道、⑤人道、⑥天道をさします。ここに⑦声聞道、⑧縁覚、⑨菩薩道、➉仏道の四聖道を加えて十界といいます。十道とはあまり言わないようです。 
(※2)恵心僧都源信源信 平安時代中期の僧侶(942年〜1017年)。 日本仏教史では、浄土教を体系化した最重要人物の一人。鎌倉新仏教の法然さん、親鸞さんも全員強い影響を受けています。著書は 『一乗要決』『往生要集』など。
(※3)阿鼻の原語はAvīci。語根√vic(波たつ)から否定の接頭辞a-をつけて「波立たない、間断ない」の意。

(※4)天道の住人は何故かみんな薄情。上のような五つの衰退の徴候(天人五衰;テンニンゴスイ)があらわれたら、いくら呼べど叫べど助けを求めど誰も助けない、そういう世界が天道という所だといいます。人間の世界でもありそうですね…。
(※5)「十界互具」 天台大師智顗が法華経を中心にして独自に体系哲学化した思想。〈一念三千〉とともに天台思想の二大柱。
















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