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呪術のおはなし

        



先般は「のろい」について書いてみましたが、今回は「呪術」についてすこしお話してみようと思います。

呪術とその思考は、人類の文化の始まりと同時発生といってもよく、私たちが恰も真理のごとく掲げる自然科学の看板もまた、もとをたどれば呪術的思考が原初にあった、とフレイザー(※1)はかんがえたといいます。

  ’何らかの意図と手段をもって自然に働きかけ、自然を操作しようとする思考。’

さしあたってこの思考形式が、呪術も、それいがい普遍的な価値はないと親や教師たちから叩き込まれた自然科学も、態度としては根底でおなじであり、昔も今もそれは変わっていないということだけ確認しておきたいと思います(※2)。

先に、『のろいのお話 - 満願寺教會ブログ』で「この世界は’のろい’にみちみちている」と、宗教に携わる人間としては不吉なことをあえて書いてみました。のろいは、私たちの日常生活の中から自然と分泌するカルマであるとしたら、 呪術というのは術(technique)と、それを支えている宇宙ー自然ー人間観がセットになったその土地固有の文化装置のひとつということができます。


私も今のような立場になる以前、北インド某地方都市で数年間、呪術を学んだことがありました。それらの呪術の種類、量はじつに膨大なものでしたが、背景はタントラと呼ばれるヒンドゥー教密教におかれています。

よく本などをみて、どこかの国の呪術とかおまじないをやってみたいという人が結構いるんじゃないかと私は想像していますがどうでしょう?仮に〈術〉だけ知っていても背景になっている思想文化の〈味〉を知っていないと、たぶん効かないんじゃないでしょうか。いや、もしかしたら効かない方がいいのかもしれませんね。

またしても「ニワカばなし」になってしまい恐縮ですが、芥見下々さん原作『呪術廻戦』では、この世の秩序を守る側の呪術師が、のろいや負の感情の具現(作品中では「呪霊」という造語になっています)を「祓う」ことで自らの中に「のろい」を再生産してしまう、というテーマを扱っているようです。

呪術師が力づくで「祓う」というあり方に疑問符をつけたのが、この作品の興味深いところでした。ただ、わが国の神道における用語「祓い」は、この作品で使われている言葉の意味とはかなり違うものと考えた方がよいと思いますね。

本日もお読みいただきありがとうございました。

 

(※1)サー・ジェームズ・ジョージ・フレイザー(Sir James George Frazer, 1854 ~1941)は、イギリスの社会人類学者、古典学者。原始宗教や儀式、神話、習慣などを比較研究した著作『金枝篇』(The Golden Bough, 1890)で有名。
(※2)この考えには当然色んな批判があるようですが、個人的にはそれらが有効な批判なのかは疑問が残ります。




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