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結縁のおはなし 

                        

         

 

天和三年(1683年)三月の旧暦二十一日、讃岐の国、高松において浄厳和尚(ジョウゴンオショウ※1)を大阿闍梨とする結縁灌頂(ケチエンカンヂョウ※2)が興行せられたことがありました。

そこに、伊予の国(今の愛媛県)から一人の男が入壇しました。その男は、やはり同じ三月に十人ほどのグループを作り、ふたたび伊勢神宮に参拝するよていでした。ところが難波津のあたりで急に病気を発症し動けなくなりました。グループのうち、二人は看病のため宿に残ることになり、のこりの七人は計画通り伊勢参りに出発した四日後、男はあえなく亡くなってしまったのです。看病していた二人は涙に暮れながら男の遺体を沐浴をし、棺桶に入れ、最後の別れを惜しんでいました。

伊勢参りから他の七人が宿に戻ると、同行の一人が三日前に急に亡くなったと聞き、おどろき嘆きつつ、最後の別れとて棺桶を開けてみると、亡くなった男の面貌がなにやら生きているように見え、暫くすると皆の目の前で息を吹き返したのでした!

一同、腰を抜かさんばかりに驚き、かたや蘇生した男は次のように語りました。

「何という不思議なできことだったか…私が死んで冥途におもむく道すがらは荒野のようなところで、刀の山や剣でできた樹、大いなる火が燃え盛るあな、極寒の地獄なども通り過ぎました。そのまま歩いていくとすぐに一つの城と奉行所のような建物が見えたのです。そこにはあの世の裁判官があまた並んでおり、その中のひとりが私にこう尋ねたのです。

「おまえはいま、なにか功徳(善きカルマ)といえるものをもっているのか」

そう聞かれたので、

「生前、人間としてあった時に、なにひとつ善い行いや功徳を積むということはしませんでした。ただ、今年の春、讃岐で結縁灌頂がおこなわれ、なぜか有難いと思ってわざわざ讃岐まで足をはこび、灌頂をうけたのでございます。それいがい、福をもたらすような行いはいささかも行ったことはございません」

と答えたのです。

それを聞いた裁判官はこういいました。「それはよいことだ。それはよいことだ。よくぞおまえは如来の内なる悟りの世界に入った。おまえはただその結縁の善によって悪趣(アクシュ ※3)を離れるべき者である。いま、おまえのために寿命を与えるから人間の世界に戻れ。そして、ますます励んで結縁の仏の真言を唱えなさい…(以下略)」と。

その後、蘇生したこの男は終生、真言を唱え、善行にはげんだといいます。


上のお話は、江戸中期の真言学匠、蓮體和尚(※4)の『真言開庫集』から後半部分の内容を割愛して引用しました。蓮體和尚の文章はわかりやすく、キンドルで書き下しが読めますし、密教の信仰をされておられる方は、信仰のヒントや励みになるお話がちりばめられているので、ぜひいちどお読みになられてみることをおすすめします。

さて、私たちの生存、そして死の意味は、〈縁〉というものによって、瞬間しゅんかん変化していきます。〈縁〉という言葉は、関係[性]と言い換えていいでしょう。

たとえば、ひとつの単語の意味が、その単語をふくむ文章によって決まり、また一つの文章が、前後の文章によって決まっていくように、私やあなたの自分じしんにたいする〈意味〉が、お金持ちであるとか、権力を持っていばれるとか、アイドルみたく整った顔立ちをしているとかであるならば、そんなのはまわりの縁によっていくらでも自動的に変化し、どんなにがんばっても固定していてはくれないですよね。あなたや私の意味は、どんなにそこにしがみ付いても、変わっていくようにできています。

そのように、私やあなたの〈意味〉をきめる縁は、良きにつけ悪しきにつけ、過去にどんな結縁をし、または今後するか、その結んだ縁がつぎの縁、そのまたつぎの縁と続いていく、と仏教では考えるわけです。

そのなかで特に、〈仏縁〉というのは、世俗的な縁とは性質が異なると考えられています。なぜかというと、それは如来や菩薩の誓願を〈因〉とする加持力とつながっているから、といいます。

結縁灌頂や授戒といったすぐれた機会は、私が若いころは殆どお目にかかれませんでした。昭和から平成はじめごろは、チベット仏教の受明灌頂を除けば、縁がなかったと記憶しています。その後、わが国の伝統宗派も、僧俗をとわず結縁灌頂の入壇をしだいに行うようになりましたので、ほんとうに有難いと思いますね。

本日もお読みいただきありがとうございました。


(※1)浄厳(1639∼1702)江戸中期新安流派祖。三、四歳にして既に普門品、尊勝陀羅尼を諳んじていたという。持戒、学識(特に悉曇梵語学)、祈祷霊験等一世に並ぶものはなく、多くの寺院を復興し、無数の僧俗から帰依を受けた。浄厳が江戸・霊雲寺結縁灌頂を開壇した時、その高徳を慕い九万人の入壇者があったという。

(※2)受明、伝法灌頂の如く機根を選ばず入壇可能の灌頂。故事は初会金剛頂経降三世品による。この灌頂に会うものは、悪趣を離れ、未来に成仏の縁を得る。
(※3)趣とは業によって造られる生存の状態。悪趣は地獄・餓鬼・畜生であり、これを三悪趣という。修羅を悪趣に加えることもある。
(※4)蓮體(1663∼1726) 浄厳和尚の高弟。学識深遠、人格崇高にして多くの僧俗の帰依を受けた。天性の文筆者であって多くの著作を残した。近松門左衛門と親交があったとも伝えられる。















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