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サットヴァ・カルマン  有情の業

          


アビダルマの論者(※1)が説くところでは、世界の始まり虚空(コクウ)であったといいます。

ただただひろく、さいげんのない空間、すなわち物質とその運動を妨げることのない虚空のなかに〈微風〉が吹き始めます。この微風をおこす力「サットヴァ・カルマン」と呼びます。この言葉の内容は、「すべての生きとし生けるもの(有情)の行為の総体、およびその余力」であります。

その虚空に、どこからともなく吹いてくる〈微風〉から、大気の層、水の層、黄金や土の層がじゅんばんにあらわれてきます。それは、ちょうどお盆のようなかたちの土の層の中心に巨大な山や海や、私たちの住む大陸となり、さらに月や太陽が周期的に旋回している世界となると説明されています。ちょっとまえに海外のネットで流行っていた「フラットアース説」に似てますね。関係ないですけど。

さて、このように伝統的な仏教の考え方では、生き物すべての行為の集積によって、私たちの世界が生成してくるといいます(※2)。

ためしに、かるく目を閉じて数秒間、想像してみてください。この地球の表面にいる人間をはじめとしたすべての生き物のすべての行為、喜びや嫌悪の反応、めまぐるしいいとなみ、運動を。一瞬一瞬うつろい、はかなくも力づよいエネルギーを感じませんか。

地球には、とうぜん、そこで生存と繁殖が可能な生き物しかいないし、この地球環境に許容可能な意識、行為、カルマをつくる以外ないわけですから、この地球上の生き物が転生するとしたら、やっぱりこの地球か、もしくは地球にひじょうによく似た天体しかないんでしょう。


もし、宇宙人がタコみたいな頭をしていて、八本足であれば、かれらの作り出すカルマは考えていることもその行為も、地球上の生き物とは質的に違うので、この地球には転生することはできなくて、そういう宇宙人が生存でき、文明が発達しうる環境をもった別な天体が彼らタコ型宇宙人の転生先になると考えられます。

大乗仏典には、仏教徒にとってたいへん修行をしやすい、理想的な「仏国土(ブッコクド)」「浄土(ジョウド)」が説かれています。そこは、仏教修行者だけがあつまって生活している「天体」が宇宙ぜんたいのどこかにある、と言い換えてもいいかもしれません。かれらがその仏国土や浄土に転生する前は、戒や律を守り、三宝を敬い、禅定というしずかなこころの状態をたもつ、或いは仏陀を念じる等といったカルマによる、ということになっています(※3)。

この世界とそこに生きるものたちの原理は、ぜんぶカルマ、であります。しかしながら、この「カルマの全貌を知ろうとすること」はいったん棚上げ(※4)にして先にすすんでいこう、というのが仏教の伝統的なかんがえ方です。

ちなみに、私がバナーラスで学んでいた頃、タントラ王から聞いたお話では、たとえば、シヴァという神様の信仰と修行を生涯全うした人はやはり死後、「シヴァ・ローカ(シヴァ界)」に、ヴィシュヌという神様の修行を全うした人は「ヴィシュヌ・ローカ(ヴィシュヌ界)」に転生する、とききました。

私たちは日々さまざまなことを意識し、言葉に出したり、顔の表情や、両手両足の動きをして表現しながら、ヒト的カルマをつくり続けていきます。人間の体をもっておりますと、足が何本もある虫的な行為するのは難しいですし、ぎゃくに虫は人間の行為をすることは不可能ですから、人は人、虫は虫の行為をし続けることで作られるカルマにより、矢張り転生先も同じような生き物として生まれてくる、というわけです。

きょうただいま、一瞬いっしゅん浮かび上がってくるこころのはたらきと、それにいざなわれる身体的行為の連続は、私やあなたをどこに、なにものとして生成し、やがて死してのちどこに転生させるのでしょうか?

本日もお読みいただきありがとうございました。


(※1)アビダルマ:アビ(~の上に、~に向かって等を意味する接頭辞)+ダルマ(仏陀の教法)、対法と訳される。釈尊滅後百年で最初の教団分裂が生じ、四百年後には20の分派が生じたとされ、それらの分派時代に各教団は独自の「論」を持っていたと考えられている。「論」は、釈尊滅後すぐに編纂された「経」に対する分析を施したもの。アビダルマを研究していたのがアビダルマ論者である。
(※2)この考えは、唯一神が世界を創造した、というユダヤ・キリスト・イスラームなどのアブラハム一神教とはちがうところである。ちなみに、インドのヴェーダウパニシャッドでは、卵のようなイメージの宇宙万物の根本原理(ブラフマン、梵)を想定して、ここから惑星やら自然物やら生き物などの一切が流出してくる。その流出したものすべては全部が幻(マーヤー)のようなもので、卵のような梵だけが真の存在であると説くが、その宇宙展開の理由をはっきりとはいわない、とされている。
(※3) 浄土に往生(≒転生)を説く経典は多数存在するが、わが国で最も有名なものは『大無量寿経』『観無量寿経』『阿弥陀経』、その他『弥勒下生経』などがある。それらの経典を根拠にした往生の条件は、各宗派間で解釈に大きな隔たりがあると言わざるを得ない。

(※4)この仏陀の態度を「無記」という。




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