あるとき、仏陀が弟子たちと山に登られたことがありました。
すると向こうに見える山に火事が起こっていて、弟子たちがおどろいていると、仏陀はこうかたりました(※1)。
「比丘たちよ、きみたちは山だけが燃えていると思うのですか。そうではなくて、一切が燃えているのです。きみたちの、それを見る眼が燃えているのです。見られる対象も燃えています。眼による知覚も燃えています。」
仏陀はさらに、聞く耳という器官も、聞かれる音も、耳を通した知覚も燃えていて、ようは私たちの体と心、そして対象が「嫌悪」と「愛着」という二つのあい反する煩悩によって燃えさかっている状態そのままが、私やあなたなのだ、と語ります。
燃えている炎は、たえまなく上方に動き、また隣に燃えうつるなどしながら、その熱によってすべてを灰にしていきます。上は原始仏典からの超訳ですが、大乗仏典においても、どうように、燃えている家の中で絶体絶命のような状況であるにもかかわらず、のんきに遊んでいるこどもが私たちなのだ、とも教えています。
メディアが伝えてくる悲惨なニュースは対岸の火事、他人ごと、と考え、自分はまだ安全地帯にいる、そのように、見るものと見られるものの間に距離があり、二分されている、というのが私たちの通常の認識であります。これを仏教では錯覚としています。
ところで、神智学協会(※2)「星の教団」で、きたる世の「世界教師」と待望された、J・クリシュナムルティ(※3)が、弟のニティヤを病で失ったときの伝記が残されています。彼はふかいふかい悲しみから、つよい精神的危機に突入していきます。その後まもなく「真理は道なき道である」と宣言し、教団を解散したのでした。
のちに「弟の死の悲しみとじぶんはひとつだった」と語っているのですが、彼が生涯を通して伝えようとしたメッセージは「対象と自分との関係をよくよく見てごらんなさい。あなたはどんな反応をしていますか。それを見て下さい。」というものに尽きるのでした。
私は、弟の死の悲しみをとおして起こった彼の変容のプロセスと、仏陀の説法には共通点があると考えています。
いまこのしゅんかん、私もあなたもすべてが燃えていることに気づいていられるでしょうか?
本日もお読みいただきありがとうございました。
(※1)パーリ仏典相応部の『アーディッタパリヤヤ・スッタ』より。『火の説法』と呼ばれる。無常の苦を炎に譬えているという。
(※2)ブラバツキー、オルコット、ジャッジらが1875年にニューヨークで結成した神秘思想団体。
(※3)ジッドゥ・クリシュナムルティ(1895~1986 ) インド生まれの思想家。神智学協会の霊視家リードビーターにその圧倒的オーラを霊視され、来たる救世者とみなされて英国で英才教育を受けた。弟のニティヤも彼に次ぐ才能を持っていたとされるが、27歳の時、肺結核により死亡。この出来事を契機にクリシュナムルティは人間の思考からの解放を目指して組織宗教、伝統宗教、神秘思想などの一切を否定することになった。