
都会から遠くはなれた雪国の寒村でそだったこともあり、私の幼少時、昭和40年代はまだいろいろな民間の加持祈祷師、霊媒師、まじない師などが活動する民間信仰がのこっていました。彼/彼女らは何らかの教団に属する方もいらしたでしょうし、家伝の信仰形態を伝えているという方もいらしたと思います。総じて彼/彼女らは無名であり、いまとなっては地元の古老の「どこそこにそういうことをしていた人がいた」という断片的な記憶が残っているに過ぎません。
当時、地元の八海山という霊山にいきますと、白装束を着たおばあさんが依り代となり、まわりに信者さんがとり囲むような形で、いわゆる「霊降ろし」をして、異世界との対話をしているのを見ることができました。
また、私がじっさい見たわけではないのですが、齢90歳代の古老のお話では、長岡市の高龍神社には、祈祷中、座しながら空中高く飛び上がる美しい女性行者がいたらしく、当時の参拝者は腰を抜かすほどおどろいていたとききました。(この女性行者は私が小学生くらいの頃に若くして亡くなられておりましたが、高龍神社のとある崇敬者さんからその方が写っているふしぎな写真が私のてもとに託されています。)
敗戦の落胆、経済復興への意欲、科学へのつよい期待が世の趨勢であったなか、無名の祈祷師、霊媒師などが伝えてきた民間信仰の最後のきらめきを見ることができた、そういうのが私のこども時代だったと思います。
小学生のころのある日、父と地元の「常楽院」さんを初めて訪ねました。しかし、名前はお寺であっても、行ってみるとじっさいには当時どこにでもあった古民家でした。おそらく記憶では、アポもとることなくとつぜん訪ねてしまったような気がします。参拝したい旨をお伝えしましたら、こころよく受け入れて下さり、なかに通されました。はいると、四畳半ほどの和室に、お不動様が質素な祭壇にお祀りされていました。
迎えてくださったのは、齢50歳代の畑仕事着をきた男性、そして奥様でした。
私は常楽院さんが密教寺院のご住職であるということは、とある法要で拝見したことがありました。しかし、このお寺は護摩壇など密教系のお寺に置かれている法具(当時はそれらがかっこよく見えました)がないのは一体どういうことなんだろう、と思い、どう反応していいのか分からずにだまって座っていると、私のこころの内をご住職は見て取られたらしく、こう教えてくれました。
「おらのしごとははんぶん百姓、はんぶん加持祈祷師だのう」
当時の記憶が改ざんされてなければ、お小遣いをお賽銭としてお供えしてお不動様に手を合わせ、奥様からオ○ナミンCを頂戴したあとお礼をいってお寺を後にしました。
そのときのことは四十数年たった今もときどき思い出します。私の祈祷師の原イメージは大伽藍の住職ではなく、農作物をつくりながら御祈祷もする常楽院さんがそれなのです。
みなさんは祈祷師というとどんなイメージをお持ちでしょうか。
本日もお読みいただきありがとうございました。