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先のお話で、仏陀仏陀たらしめるものは、卓越した智慧、すなわち「明」である、というお話でした。「明るいこと」という意味ですから、「暗いこと」≒無明と対義語になります。

原始仏典の仏陀ご自身のことばから、明というのは具体的に三つあったようで、これらを三明(サンミョウ)といいます。わずか三つなので挙げてみましょう。

宿命明(シュクミョウミョウ)‥‥自己と他者、生きとし生けるものの無限の過去世を    

                正確に想起する智慧

天眼明(テンゲンミョウ)‥‥他者、生きとし生けるものの無限の来世を正確に想起す 

              る智慧

漏尽明(ロジンミョウ)‥‥ 無明ほか、さまざまな顛倒したものの見方が尽きること/

              尽きたことを知る智慧

学者さんが書いたいろんな仏教入門書をよんでみますと、仏陀のお悟りの内容というのは、「縁起の法(エンギノホウ)」であった、と書いてあります。縁起とは、私たちが認識しうるあらゆる「もの」や「こと」が、「それひとつ」ではなりたつことができないという視点です。

単純な例をさがすと、いま私の目の前にあるノートパソコンとその機能は、モニターとかキーボードとか、中身のCPUとかマザーボードがよりあつまって、さらに電力の供給というものがあってはじめて意味を持ちます。上にあげたパソコンを構成する物が一つでも欠けたら、それはただ四角くて場所を取るだけの物体です。

 

そのような「縁起の法」のたとえ話だけなら「ふーんなるほど、いわれてみればそうだね」というくらいの理解やイメージはできそうな気がします。でも、そのことと私たちの人生の問題に、どう直接関係づけるのかは、じつは私じしん、いまひとつピンとこなかったのです。たとえ話としてはなんとなくわかるんですけどね。


ところで、ちまたの仏教入門書には、ぼやかして、書いていないことがひとつあります。それはすなわち「縁起の法」は、三明を通して得られたこの世界のことわり[を定式化したもの]である、という一点です。

見ての通り、三明というのは、じぶんや他者の過去世を正確に想起して、そのパターンを整理してしまうなどの超自然的な智慧なので、読書による情報の蓄積や、概念の操作、論理的考察の繰り返しによって理解できるものとは違う性質なんですよね。一般書で縁起などの根本思想を勉強するのは、これまたたとえ話になりますが、お菓子の袋に書いてある成分表示表をみて、中身のだいたいの情報はえられても、食べてみない限り中身の味はわからないままだし、ましてや、そのお菓子の製法もわからないから再現もできない、そんな感じでしょうか。


仏教をお勉強する、それはけっして悪いことではないです。多くの人がちまたの入門書などを広く読まれて興味を持ってほしいと思っています。しかし、お勉強だけしてものしりになるだけじゃもったいないと私は思いますね。なぜなら、あなたも私も今生は過去世の善行によって日本という比較的平和な国にせっかく生を受けたのだと思いますし、来世ではどこに、どんな生きものとして転生するかわからないのですしね。

本日もお読みいただきありがとうございました。

 

 




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