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すべてがつながりあっています。

菩提樹のしたでゴータマ・シッダールタが悟られたのは「縁起の法」だといわれています。じっさいのところ、この縁起の法は、時代の変遷、社会変化と共にいろんな解釈と実践の意義が加わっていったと考えられています。そのお話はたいへん専門的な領域なので、触れていいのかさすがに躊躇してしまいますが、しかしながら、そのなかでひとつだけ私なりに理解したことで強調してみたいことがあります。それは、すべてがつながっている、ということです。

この考えは、原始仏教の時代にすでに萌芽として存在した(※宇井伯寿博士説)といわれますが、目に見えて大きい思想運動になったのは仏陀が亡くなられてからかなり後で、それは大乗(ダイジョウ)とみずから称した思想グループが大きな役割をはたしたとされています。(以後「大乗仏教」とします)


大乗仏教では、「縁起の法」を無限の空間的なひろがりへと拡大していきます。

あなたも私も、この世のすべてとつながり、関係しあってこの世界に存在している。私の些細なふるまいですら、この世界のどこかで起こっている出来事になんらかの影響を与えているし、また、地球の反対側で起こっている出来事や人々のふるまいが、げんざい日本のにいる私のあり方に影響を与えている、と。

そのように、ものごとの関係性を極限までたてよこにひろげて考えるわけです。そう考えてゆくと、たとえば天体の惑星の動きやあり方は、私たちの心身に影響を与えているにちがいないと考える占星術や、はんたいに、星供(ホシク)という星を供養して凶意を制御しようとする祈祷法の発想も成り立ってくるわけです。

またこの発想は、あなただけが瞑想修行してひとり救われるとか、私だけがヨーガの三昧にはいって解脱する、という道の不可能性を強くせまってきます。はやい話が、「みんなが救われるまで、じつは個人の救いなんてないんだ」、というのが大乗仏教徒たちが「縁起の法」の中から掴みだしてきた結論といえるものでした。

さらに「みんな」というとき、人間いがいの動物、鳥、魚、虫、植物までも、その範疇に入ってきます。ということは、ほんとうに自分が救われたければ未来永劫にちかく、生きかわり死にかわり転生をくり返し、大乗仏教菩薩(ボサツ)として他者や動物や地球のためにはたらき続けるのだ、というお話に発展していきます。

そういう背景から、仏陀に続いて菩薩という存在はどうして仏教の歴史にあらわれたのか、が私はようやく納得できたわけです。

実はこのお話は、日本人にとって著しい違和感がないものだと考えています。なぜなら、日本人というのは、なんだかんだいってはたらくのが好きな民族のようですから。

 

本日もお読みいただきありがとうございました。

 




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