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輪廻

私は輪廻(リンネ)というものがあるにちがいない、という思考を自分の人生の土台にしています。輪廻というのは文字通り「輪のごとく廻る、回転する」という意味で、あらゆる現象が過去とおんなじようなことをなぞり続け、永遠に繰りかえしてしまう[ように見える]ことをいいます。

ヒンドゥー教徒の文脈で、輪廻の原語「サムサーラ」は、ほとんど「転生」を意味していて、多くの人は死後に神や女神と合一することを転生のゴールと考えているようです。

チベット仏教徒も、よりよい転生を願い、生涯にわたり戒を守り、真言をとなえ、仏陀や菩薩たちに祈りを捧げていると聞きます。

私はどうかというと、修行も勉強も、スタートが人様よりずっと遅かったせいもあり、もうちょっと能力や福徳があれば、坊さんとしての活動がよりよく展開できたのではないかとくやしく思うことが多々あります。なので、今は徳がたらないゆえこんなだけど、人生の時間が許すかぎり徳を積んで、来世に回向して今世より多少ましな菩薩として生まれ変わりたいと考えています。

残念ながら、小説とかアニメで大はやりの「異世界転生チートもの」で無双する英雄さんみたいにはいかないと思いますけどね。

ところで、私たちを輪廻の世界に結びつける根本煩悩を「無明(ムミョウ)」といいます。意味は「智慧がない状態」。それは初めもなく終わりもないといいます。終わりがないのであれば、菩薩[の救済]のはたらきもまた終わりがない。実に気の長いお話であります。

ニーチェの「永劫回帰」のように延々と繰り返されるかもしれない転生の中で、私がひそかに楽しみにしていることがあります。それはまた来世で、一緒に修行した多くの仲間、みちびいて下さった多くの師、先輩先達と、ふたたび修行の座にご一緒することができるかもしれない、ことを。

そして「またお会いできて光栄です」とご挨拶が出来るかもしれないことを。

本日もお読みくださり有難う御座いました。




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