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宿曜の命理を私はどう考えたいのか


ヒトは持って生まれた気質というものがどうやらあるらしく、それがモノやコトのありのまま、そしてほんとうの自分、自己を見たい、理解したいと思う時でもそれを歪め、妨げる強力なフィルターになってしまう。そういうことを先ず、すべての始まりとして考えてみたいと思います。

いま、私も固有の気質があって、その色眼鏡からしかあなたという人を観て理解することはできないし、あなたもまた私とは異なる固有のフィルターを通して私を観、そして理解することになります。本当はお互いが気質というフィルターを外してありのままを理解し合えればいいのですが、実際にはこの相互理解というのは本当に難しいのだ、ということを私たちは経験的に十分すぎるくらい知っています。

この固有の気質というフィルターを外し得た時、ヒトは別次元の自己や他者の意味や価値を認識するのでしょう。けれども、この自分の気質というのは生まれた時から馴染んでいる身体と重なるようにはたらいています。だから気づきにくいんですね。

さて、宿曜の命理(例えば私なら生年月日から柳宿×金曜の組み合わせが出ます)は、生まれながらの気質のことを見て行こうとするわけです。先般の記事にちょっと書きましたが、自分からはぜんぜん見えていない気質をそれは指し示していると感じます。『宿曜經』を読んだのが今から25、6年前だとすると、最初は「なんかヒドイことを言われてるなぁ」としか感じなかったのです。ところが、歳を取る毎に


ますます『宿曜經』の簡潔な指摘に思い当たる節があるのを実感している自分にまず驚いている次第です。

もし私やあなたが、モノやコトのありのままの姿を観たい(ぶっちゃけ「お悟り」を望む)ならば、まず気質という強力なフィルターを外すことができるのだろうか、というお話になろうかと思うのです。


〔『大日経』という代表的な密教経典の冒頭に、「目覚め(菩提)とは何かといえば、それは心をありのままに知る事だ」と大日如来秘密語をもって金剛手菩薩に語るシーンがあります。続いて60種類の心のあり様を説いていて、それら全てを突き抜けていくことが示されております。余談ですが「六十心」の和訳に面白いのがあって、「猫の心」というものがありました。〕




 




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