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仏陀がなされたこと


読める範囲で色んなお経を読んでみて思うのは、仏陀という御方は、みんな少しづつ違う個別の苦に向かい合って、相手にぴったりと合った最適な答えを常にお答えになった、ということです。

仏陀の在り方は、現代のカウンセリングによく似ておりまして、カウンセリングの本によく引き合いに出されるのが原始仏典に出てくるキサーゴータミーという女性のエピソードです。彼女は先に夫を、次に子供を亡くしました。彼女は子供のなきがらを抱いて「この子を生き返らせてください」と言いながら村を彷徨うのでした。その姿は実に狂人さながらであり、村人たちは、哀れなその母親をどうしてやることも出来ず、遠まきに見ているしかありませんでした。ある時、キサーゴータミーは仏陀のみもとに近づき、同じ懇願をしました。仏陀は答えました。「死者を出したことがない家に行き、ケシの種を貰えたら、子供を生き返らせる薬を作れるだろう」。そこでキサーゴータミーは勇んで村々の家に訪ねて回るのですが、死者を出したことがない家など一軒もなかったのです。そして仏陀のもとに戻り、求めていたケシの種はなかったことを報告すると、突然キサーゴータミーは悟りました。生あるものは必ず滅していくと。

これは仏陀キサーゴータミーだけの固有の苦に対して与えた固有の教え(ダルマ)でした。仏陀の言葉は、相手に対する完璧な診断に基づく処方でありますから、これを一般化することは難しいのです。

例えば、仮に実際にお子さんを亡くされておられる方に、このエピソードや仏陀の言葉を伝えても、悲しみを癒すことはできません。私のような愚鈍な者は、えてして仏陀や祖師のお言葉をそのままうっかり他者に語ってしまいますが、万が一、偶然のタイミングでもない限り、スベッって恥をかくのがこれまた常であります。


仏陀は古代から「一切智者」だと考えられてきました。知らない事がない、何でも知っていて、求めがあればそれをぴったりと合った薬のように与えられる、最早常識を超越した方です。仏典はどれもその様な卓越した記録に満ちていて、仏教徒が最終的に求めるのは、この「一切智」であるという途方もない超遠大な旅なのであります。


 




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