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続 瞑想のお話

 

                             

先に私は「瞑想という行為一般」についてすこし皮肉めいたことを書いてしまいましたが、実は私じしん、ちまたで「瞑想法」の範疇に含まれるいとなみにはだいぶ長い歳月関わった者でして、酔狂にも人生のほゞ大半を使いました。じっさいに師に就いたもの、単なる文献上での思索をふくめて、瞑想にまつわる問題点はあるていど自分の中で整理できたんじゃないかと考えています。

巷のスピリチュアル関係の出版物、セミナー、ブログには「瞑想」の二文字が溢れかえんばかりで、その市場の顕在力、潜在力には驚きと一抹の不安を掻き立てられます。

私が中学生くらいの頃は、「瞑想」は禅宗の座禅、というイメージしかありませんでした。当時、私が手に取ったのが『天台小止観(テンダイショウシカン)』(※1)の現代語訳でした。そこに書かれているお作法に従い、自分の部屋で座り始めました。我流の座禅のまねごとです(※2)。

やっていたことは足を組んで、背骨を真っ直ぐにしてすわり、じぶんの息を数えながら意識をそこにつなぎとめるという、いわゆる「数息観」(スソクカン)という初歩の観法です。

最初はけっこう長く座っていただろうと思ったら5分しか経っていなかったのが、数日続けたら40分という時間があっという間に経過していました。意識や時間の感覚がのびたりちぢんだりすることにまずびっくりしたのを覚えています。実家から歩いて五分以内のところに曹洞宗のお寺がふたつもあったので、頼みこんで本堂を借りて座らせてもらいにいったのもこの頃でした。

数息観が面白くなってくるに従い、いわゆる魔境(マキョウ)と呼ばれる一種の幻覚も始まり、高校に上がった頃にはそのバリエーションも増えてきました。医学的には間違いなく危ない徴候のさなかにあったと思います。

ただ、そういう自分を淡々と眺めつづけていることができたのと、なぜか幻覚を使って遊ぶ心の余裕もあったので、学校には普通に通っていました。最近分かった事ですが、当時の私のいろんな幻覚は、国籍、人種を問わず多くの人が同様の体験をしているらしく、わりと凡庸な出来事に過ぎないということが分かっています。

さて、私たちがなんらかの瞑想法というものに親しみ、一定のレールに乗れるようになりますと、大抵、心身のすっきりとした感じや、時に視界が以前より美しく見えたり、理由なく独特の喜びが風のようにすっと心に入ってくるような感覚が生じてきます。

こうなっていきますと、瞑想ジャンキーになっていく人達がいます。瞑想法の実践をとおして、人生は穏やかで楽しい方がいいのですが、瞑想ジャンキーは実生活ではかなりズレた人、と認識されてしまうかもしれません。

みなさんはもう薄々お気づきだと思いますが、私がそうでした。

本日もお読みいただきありがとうございました。
 

〔本日より浴油に入りましたのでしばらくの間、記事はおやすみになります〕

(※1)一般に天台大師智顗の弟子・灌頂著。智顗の『次第禅門』の要約であるという研究があります。このテキストは「禅門の入門書」ということになっているが、それだけでは済まない内容のようです。
(※2)座禅は正師について学べば安全です。我流でやりますと、どんなに頭がすっきりしし、気持ちよくなっても「仏教の座禅」ではなく、高確率かつ自動的に「野狐禅」「天狗禅」に移行します。そこを脱出するためには結構なコストがかかるでしょう。

瞑想のお話

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私が中学一年生の時、二十代後半の女性の先生が担任になりました。その先生からは国語や書道を主に教わりました。かつて剣道もされていたそうで、なかなかに鋭い眼力と、かなり大きな声がでる先生でした。この先生は授業の始まりに、背骨を真っ直ぐ、閉目するよう生徒たちに指示し、「めいそう!!」と裂ぱくの気合をかけるのでした。田舎の中学で「瞑想」という単語を知っている子は多分あんまりいなかったでしょうし、私たちの大半は先生が何をしたかったのか意味が分からなかったんじゃないかと思いますね。

さて、この二十年位でしょうか?「マインドフルネス」という言葉が色んなところから聞こえて来るようになりました(※1)。それは「瞑想法」の一種と考えていいと思います。私が大学生の頃は、「TM(Transcendental Meditation)」というのも聞かれました。何のためにそういうことをするのかというと、最初はおおむね欧米でストレスマネジメント用商品として売られていたのが、のちに日本に持ち込まれたんじゃないかと思います。

マインドフルネスも、TMも、もとは古典的な仏教の三学(サンガク ※2)や、ヒンドゥー教のマントラ・ヨーガ(※3)が背後に理論的根拠として控えていたのですが、そういうことはすっとばして何らかの効果をだせればOK、ということが、それらを売る方も都合がよかったし、消費する人々にも受けたんでしょうね。

さて、大好きな人がいるらしい「瞑想」、そうしたこころの状態は、仏教の内部でどんなふうに扱われてきたのでしょうか?

先に『 天道のおはなし - 満願寺教會ブログ 』などで、天道という快い生存のあり方(とその終焉の悲哀)をご紹介しました。

天道には多くの階層があるといわれていて、そこへの転生は、戒をたもつ、十善業を行う、清らかな瞑想をするなどのカルマの結果だとされています。

天道は、微細な煩悩をともなう下の層から上方に向かうにしたがって徐々に五感的な快さをはなれ、存在そのものへの執着が薄くなっていきます。天道で最高度の生存状態では、意識が何の対象を持たずに〈無〉を対象とするようになり、さらにその次の最終段階は、無をも意識の対象としなくなるといいます(※4)。はやい話が、常時そのような瞑想状態にある生存の仕方が天道の最高位というわけです。

そのような天道最高のあり方も、じつは上に見たように「瞑想というカルマそのものがもたらした結果」の範疇、因果の鎖にすぎないので、仮にそのような最高の天に存在したとしても、カルパとよばれる膨大な時を経た後、やがてそのすぐれた瞑想状態にも自動的に終わりが来て、他の世界に強制的に転生していくといいます(※5)。

そこで、我が国の仏教史では、天道のなかでも特例、兜率天の内院に転生するほかは、六道の外部としての浄土、仏国土に転生をする以外安全な場所はないのだ、と信じられました。

瞑想大好きなみなさん、このお話をどうお感じになりますか?

本日もお読みいただきありがとうございました。



(※1)この語を一般語に普及させたのはベトナム出身の上座部仏教僧ティク・ナット・ハン(Thich Nhat Hanh)。英語のmindfullnessの原語はパーリ語のsati。漢訳では「念」と訳される。現代日本語では「気づき」と翻訳される。
(※2)「戒、定、慧」すなわち仏教徒が実践すべき三つの事柄。どれ一つ欠けても仏道として成立しない。定は所謂瞑想をさしているが、さりとて瞑想なら何でもいいというお話ではない。
(※3)英語をはじめ色んな言語で定着してしまっているため、本来のマントラの定義を正確に述べることは結構難しい。仏教語としては「真言」と訳され、仏、菩薩、神々の心の深い所から立ち上がってくる内証そのものであり、尊格の教えと力が一体となったサウンド、といえるかもしれない。真言は阿闍梨から弟子が血脈に繋がることで初めて伝えられ使うことができる。マントラ・ヨーガも文字通りマントラの念誦を主体にしたヨーガの方法論であり、これも密教と同様、口頭伝授の血脈を重んじる。
(※4)「無所有処定」と「非想非非想処定」。無色界定の後半にあたり、涅槃(ニルヴァーナ)はこれを超えた、あるいは包括した何からしい。ちなみに、釈尊が八年の苦行に入る前に師事していたのが上記の瞑想を成就していた二人の仙人、アーラーラ・カーラーマ(Alāra Kālāma) と ウッダカ・ラーマプッタ(Uddaka Rāmaputta)であったという。
(※5)カルパを経、六道の殆どが壊れても一部、壊れない無色界が存在する、という説もあります。





 

 

八寒地獄 

                                         

 

今年は大雪で、多くの人が亡くなりました。当地は日本有数の豪雪地帯で、20年ちかく住んでみて今更ながらいろいろ考え込んでしまうことがあります。

いま私が住んでいる家は、祖母が存命時に建てた古いものでして、私が大学で上京して以来、関東での生活にくぎりをつけて戻った時は無人でした。

雪国ですから、とうぜん冬になるとぼうだいな雪が降ります。家の周りに2メートル、山に行けば4メートル以上つもるのがふつうだったりします。どうやって生活しているんだろう?と都会にお住いの方々は不思議に思われるでしょうね。(はい、ほんとうに不思議なんです。)

さて、私はこの地に住みはじめた頃、スノーボードもすこしやってみました。DVDを買って見まねしながらスキー場で練習してみましたが、体力のピークもすぎてるし当然うまくならないのでやめてしまいました。

前置きが長くなりましたが、「八寒地獄(ハッカンジゴク)」です。

先に『往生要集』を参照して天道の人々、いわゆる神さまの世界に生きる人々の〈苦〉についてご紹介しましたが、そのようなこころよさに満ちた天道と対極になる生存状態が「地獄道」です。

『往生要集』の冒頭から地獄の膨大な種類と様相と、なぜそこに堕ちるのかという記述がえんえんと書かれていまして、これが中世の貴族たちを震え上がらせ、その恐怖は、のちに野火、山火事のごとく武家や民衆にひろがり、彼らのこころを浄土につよく向かわせていったというわけです。

さて、そこでの地獄の説明は、火や炎の熱によって責められる描写が大部分で、「頞部陀(アブダ)等の寒地獄があるが…ここに述べる暇はない,」と源信は述べています。

極寒の雪国において、輪をかけるように寒い営為を余儀なくされている私としましては、八つある極寒の地獄というものがどんなものなのか、八寒地獄におちるというのはどんなカルマの報いなのか気になりました。世親の『倶舎論』(※1)によりますと、

一、 頞部陀(アブダ)

ニ、 尼剌部陀(ニラブダ)

三、 頞唎吒(アセツタ)

四、 臛臛婆(カカバ)

五、 虎虎婆(ココバ)

六、 嗢鉢羅(ウバラ)

七、 鉢特摩(ハドマ)

八、 摩訶鉢特摩(マカハドマ)

一から五までは、はげしい寒さに対しておもわず漏れてしまううめき声をうつしたものだそうで、『北斗の拳』でケンシロウに秘孔を突かれた悪人の意味不明な叫び声を彷彿とさせます

六以降はインドの花の名前でそれぞれ青蓮華、赤蓮華、さらに大きな赤蓮華だとされています。これらは極寒で氷の中に咲く青い蓮華や、寒さで皮膚が裂けた赤い蓮華に見立てているといいます。熱地獄の獄卒によって溶かした銅を口から飲まされるのも恐ろしいですが、この極寒地獄は、獄卒こそでできませんが、苦と孤独と狂気が入り混じった文学的表現になっています。

さて、この寒地獄に堕ちるとカルマとはどんなものなのでしょう。調べたところやっと
「多くは、賢者や聖者を謗ったことによってこのような苦しみを招く」という一文(※2)を見つけました。

私たちは心のどこかで自分が他者よりすぐれているという勘違いをしているものです。私じしんは強く思い当たることがあり、過去のしっぱいを思い出しては恥ずかしくなるのですが、それは若いころ、ちょっとしたことでも怒りっぽかったんですね。

「あ、マウントとられそう」と感じたらいちいち反応してたように思います。これも他者の実力を内心あなどっていることに無自覚だったからこそ、そうしていたんだなといまは思います。

大乗仏教の文脈で拡大解釈すれば、すべての生きとし生けるものにはもっとも尊い仏性が備わっているので、そういうものも一緒くたに他者あなどっていた、ともいえますしね。

そこで雪国の生活はキツイという実感から、来世では「アブダ!」とうめき声をあげないよう心していきたいものであります。

本日もお読みいただきありがとうございました。

(※1)正式には『阿毘達磨倶舎論(アビダツマクシャロン』(大正蔵No.1558)四世紀頃に世親によって書かれた部派仏教の教義論書。この論書は量も膨大で内容も非常に難しく、理解をするに相当時間をかけるものですが、仏教基礎学としては矢張り不動の位置にあることは間違いなく、昨今、ヴィッパサナー等の仏教瞑想を中心とする修道論とその諸問題を考えていく場合、恐らく避けて通れないものです。初学者は『存在の分析』(角川ソフィア文庫)参照。
(※2)「多由謗賢聖招如」『阿毘達磨順正理論』(大正蔵 No.1562 衆賢造 玄奘訳)

 

続 天道のおはなし 

                         




先のお話(天道のおはなし - 満願寺教會ブログ)では、天道、つまり神々の住む世界に人が生まれ変わったら、あるいはその世界に生きている生き物に、どんなことが最終的に起こるか、というものでした。

重複となりますが、天道に生まれかわった人は、五感をとおして楽しくこころよい感覚を、長い歳月にわたってこれでもかというくらい受け続けるたいへん結構な存在の仕方なんですね。しかし、それらの楽をもたらす因が尽きた時に、「天人五衰」と呼ばれる徴候があらわれます。この徴候があらわれると、他の天人たちは手のひらを返すがごとく態度が冷たくなり、雑草のようにあしらわれる、という『往生要集』の描写は読んでいて切ないものがあります。手のひら返しって人間世界でもままありますよね。

『往生要集』のメッセージが当時の平安貴族に与えた影響は実に大きいものでした。そこから阿弥陀如来の浄土に往生——いまはやりの「異世界転生」——を願う巨大なうねりとなり、それが鎌倉時代に一遍、法然親鸞などの浄土宗系の祖師を生み出しました。

そのように、阿弥陀如来が住まうという極楽への往生信仰は、身分の上下を問わず圧倒的な人気を誇っていました。ところが、他の浄土への転生を意図的に選んだ僧侶たち(※1)もいて、その浄土の名を兜率天(トソツテン)」(※2)といいます。

兜率天、末尾に「天」とあります。この浄土は、苦楽の転変を免れ得ない天道のなかにある世界とされています。面白いことに、この兜率天という世界は、身体的・物質的な煩悩がまだ残存している神々の世界であるにもかかわらず、仏陀のさとり、ニルヴァーナのはたらきが強く流出している特殊な場=「内院(ナイイン)」が存在しているといいます。天道のなかにありながら「菩薩たちが修行する世界」が内院。それ以外は「外院(ゲイン)」といい、他の天道とさして変わらないらしいです。

兜率天の「内院」へ転生することに成功すれば、弥勒菩薩(ミロクボサツ)(※3)からちょくせつ教えをうけることができ、また地球の時間単位で56憶年後くらいに、ふたたび如来となった弥勒と一緒にこの娑婆世界に下生し、救済活動をする、と。

ところで、阿弥陀如来の極楽世界と、弥勒菩薩がげんざい御修行中の兜率天はどちらがすぐれているか?という論題が古来からあったらしいです。『弥勒上生経』(※4)を読むと、浄土の描写はあんまり変わらないような気がしますし(情景の豪華絢爛さとダイナミックさでいえば兜率天が上かも)、『往生要集』を書かれた源信さまは、あれだけ力強く極楽往きを薦めていても、最終的にはどちらがすぐれているとはいえない、と結論しています。

一説に、阿弥陀如来の極楽より、兜率天内院の方が転生しやすい、という考え方もあるようです(※5)。私は?といえば、中観よりも唯識(※6)がわりと好みですので、兜率天内院にあわよくば転生して弥勒菩薩に直接教えを乞いたいと考えていますが…。

本日もお読みいただきありがとうございました。

(明日より浴油祈祷に入る為、暫く間記事の投稿はお休みになります。) 

 


(※1)道昭(629∼700)、行基(668∼749)、空海(774~835)、貞慶(1155~1213)、明恵(1173∼1231)、唯心坊上人(鎌倉時代生没年未詳)など。

(※2)原語トゥシタの音写。「満足した」の意。お釈迦様もこのシャバ世界に生まれる前にはこの世界におられたと原始仏教時代から考えられていたらしい。

(※3)原語マイトレーヤ。「慈氏」と訳される。お釈迦様が涅槃された後、地球時間の約56億年後に再び、この世界に転生してくるといわれるのが弥勒菩薩。現在は兜率天の内院で「ご修行中」ということになっていますが、その差は仏陀紙一重くらいのようです。唯識派の巨匠アサンガは兜率天内院で直接教えをうけたという伝説があります。

(※4)原題名『佛說觀彌勒菩薩上生兜率天』(大正藏第 No. 0452) 。

(※5)無住著『沙石集』「弥勒行者事」参照。

(※6)唯識は中観と並ぶ大乗仏教思想の二大メインストリームで、この唯識思想の大成者アサンガと弥勒は、その成立において密接な関係があるようです。しかし、単なる後付けの神話だと考える学者も多いです。私は密教の位相として考えれば本当だったと思いますが。

天道のおはなし

           


仏教では、輪廻する生き物の〈存在のあり方〉を六つに分けて、六道(ロクドウ/リクドウ)(※1)といいますね。


生き物の六種類の存在のあり方=六道のなかで一番きついのが地獄道で、恵心僧都源信(※2)の『往生要集』を読むと、細かい描写がなされています。地獄にも多くの階層があって、一番下が「阿鼻地獄(アビヂゴク)」(※3)といい、その恐ろしさは仮に全体を言葉にすることができたとしても、それを聞いただけでたちまち血を吐いて悶絶死してしまうといいます。この恐ろしさの本質は、「聞いた言葉」だけで悶絶死してしまうというところじゃないでしょうか。

いっぽう、輪廻する生き物のなかでもっとも楽しく、こころよいあり方を天道、または天趣、あるいは天界といいまして、伝統的には、私たちが、〈神さま〉とよんでいる存在と彼らが住む世界のことです。彼らの特徴は、私たち人間よりも微細な身体を持っていて、寿命がとてつもなくながく、身体も光をおびていて病気もしないんですね。この天道は、三段階にわかれていて、上階ほど物質性が薄れて無形にちかづき、下にいくほど物質性がつよくなり、形姿をこまごまと持つようになります。

さて、この天道という「楽しみだけの世界」の住人に生まれかわりたい、というのは、私のような俗物の心がなびいてしまう魅力的なお話しであります。ところが『往生要集』にはこんなことが書いてあります。

要約すると、

…一定の時間がすぎさると、長い寿命をもつ天道の住人といえども、その寿命が尽きることになる。そのときは、頭につけた花飾りがしおれ、いままで美しかった衣もくすんでくる。また脇から汗が流れ、目眩が起こり、これまで住んでいた宮殿、帝釈天の神殿も見えなくなってくる。すると、これまで親しく、優しくしてくれた他の天界の住人たちはいっせいに離れてまるで雑草を見るように相手にしなくなるのだ(※4)。


この最後の行は、人[間]道の私たちにとってもかなり共感や予想ができる悲しみのような気がしませんか。私といえば、このお話しは、地獄のおはなしよりもみぞおちのあたりがそわそわしてくるんですが。

ところで、吾が天台教学では、ある一つの道に他の九つの道が備わっている(※4)というユニークな思想を根幹にしています。つまり、私たち人間、ヒトという種が作っている世界のなかで、毎日パーティとゲームとお酒に明け暮れるような天道にいるひともいれば、肉体的・精神的に塗炭の苦しみを味わっている人もいるので、この考えは理解しやすいとは思いますね。

平安時代中期に浄土教の基礎をつくった恵心僧都源信のメッセージは、浮薄な情報社会に一喜一憂する私たちになにを伝えてくるのでしょう。

本日もお読みいただきありがとうございました。


(※1)六道は六趣ともいい、①地獄道、②餓鬼道、③畜生道、④修羅道、⑤人道、⑥天道をさします。ここに⑦声聞道、⑧縁覚、⑨菩薩道、➉仏道の四聖道を加えて十界といいます。十道とはあまり言わないようです。 
(※2)恵心僧都源信源信 平安時代中期の僧侶(942年〜1017年)。 日本仏教史では、浄土教を体系化した最重要人物の一人。鎌倉新仏教の法然さん、親鸞さんも全員強い影響を受けています。著書は 『一乗要決』『往生要集』など。
(※3)阿鼻の原語はAvīci。語根√vic(波たつ)から否定の接頭辞a-をつけて「波立たない、間断ない」の意。

(※4)天道の住人は何故かみんな薄情。上のような五つの衰退の徴候(天人五衰;テンニンゴスイ)があらわれたら、いくら呼べど叫べど助けを求めど誰も助けない、そういう世界が天道という所だといいます。人間の世界でもありそうですね…。
(※5)「十界互具」 天台大師智顗が法華経を中心にして独自に体系哲学化した思想。〈一念三千〉とともに天台思想の二大柱。













「夢のおはなし」改め「現実を夢の文法にそって読む試み」

         


いつ買ったのか分からないくらい昔、東京の古本屋でみつけてながく放置していた本がありました。ふと思い出して読みはじめたところ、面白くて何と5回も読みかえしたのが、『夢の読み方 夢の文法』(川嵜克哲著 講談社+α新書 2000年)でした。

私は幼少時からやたら夢見がおおく、いま思えば、はんぶん夢うつつ、はんぶん現実世界にいるような、境界的なありかたの子ども時代を過ごしていました(とうぜん、学校の成績はさんざんなものでした)。

誰でも見た夢がリアルすぎると、覚醒後も気になったり、日中いくらかの影響を受けてしまうというのはあるかと思います。それが子供時代の私のように毎晩のごとくひんぱんですと、親や教師たちが当たり前なこととして伝えてくる意味や価値に、いまひとつ確信が持てない、「それってホントなのかなぁ」という感覚が長く引きずられざるをえなかったのも、いま思えば分かるような気がします。

さて、くだんの本の著者は臨床心理学者で、現実と夢がどのように関わり合い、その意味は何かということをひとつの実体験をとおして考察しておられます。

ある朝の通勤、通学時間の電車の中で、ひとりの高校生男子がごみを捨てました。すると、そこに居合わせてそれを見た一人のおばさんが、「拾いなさい」と大きな声で注意しました。高校生は無視しています。おばさんの声はいよいよカン高くなります。「ね、ね、ひろいなさい、あら、睨んだってだめよ。あなたが悪いんでしょ…」おばさんはまくしたて続けます。

車中でそのいきさつを見ていた著者はだんだんイライラしてきたそうです。まるで、そのおばさんは、あたかも高校生や自分からも「捨てられたごみ」みたいじゃないか、と。

       高校生   ー   捨てられたごみ

特別な価値観をもって見なければ、車内で起こったことは最初は単にこれだけの現象にすぎません。

ところが「ごみを捨ててはいけない」としつこく高校生に注意した「正義おばさん」が、「捨てられたごみ」の位置に代入された形に見えてきた、というのです。さらに、著者には、そのゴミとなったおばさんが無視をした高校生に「私を捨てないで」と言ってるように感じられた、と。

       高校生   ー   おばさん ( 「捨てないで…」 )


ご紹介が長くなりましたが、このエピソードが示すところでは、私たちの意識が、目の前で起こっている現象の関係性に深く入り込んでいきますと、いつのまにか私たちが問題そのものとなり、「他者の体験」をしてしまうというのです。

表題の「夢の文法にそって読む」というのは、この関係性(上の ゜ー ゜)を見ていくうちに、問題、関係性そのものになってしまう。そして、これを読むというのは、あまり快い体験ではないと思われます。

ところで、私は心理相談業にちかい仕事をしていると自分では考えています。そういうなりわいの場では、上のエピソードのように、他者そのものとなったかのような感覚は、そういう相談の場では推奨されないとよくいわれます。一歩下がって、冷めた目で相手とその問題を見なければいけない、と多くの先輩方にアドバイスを受けました。

ところが、私にはそのような態度が難しく、例えば、相手が身体的に痛い部位がそのまま私のからだの痛みとして感じることに気がついたのは二十代半ばのころでした。「ああ、この方の痛みはこんな感じなのかなぁ」と。なので、著者の説は私にとってつよい信憑性を持っています。

さて、ここまでくれば、祈祷、拝み屋さんが、なぜ〈障り〉をうけるといわれるのか、私が何を言いたかったのか、皆さんも薄々お気づきになられたかと思います。

同書の著者は、東洋思想にも造詣が深いらしく、その問題をどう扱うべきかについて禅僧的なあり方をモデルにしておられます。

本日もお読みいただきありがとうございました。

 

           



呪術のおはなし

        



先般は「のろい」について書いてみましたが、今回は「呪術」についてすこしお話してみようと思います。

呪術とその思考は、人類の文化の始まりと同時発生といってもよく、私たちが恰も真理のごとく掲げる自然科学の看板もまた、もとをたどれば呪術的思考が原初にあった、とフレイザー(※1)はかんがえたといいます。

  ’何らかの意図と手段をもって自然に働きかけ、自然を操作しようとする思考。’

さしあたってこの思考形式が、呪術も、それいがい普遍的な価値はないと親や教師たちから叩き込まれた自然科学も、態度としては根底でおなじであり、昔も今もそれは変わっていないということだけ確認しておきたいと思います(※2)。

先に、『のろいのお話 - 満願寺教會ブログ』で「この世界は’のろい’にみちみちている」と、宗教に携わる人間としては不吉なことをあえて書いてみました。のろいは、私たちの日常生活の中から自然と分泌するカルマであるとしたら、 呪術というのは術(technique)と、それを支えている宇宙ー自然ー人間観がセットになったその土地固有の文化装置のひとつということができます。


私も今のような立場になる以前、北インド某地方都市で数年間、呪術を学んだことがありました。それらの呪術の種類、量はじつに膨大なものでしたが、背景はタントラと呼ばれるヒンドゥー教密教におかれています。

よく本などをみて、どこかの国の呪術とかおまじないをやってみたいという人が結構いるんじゃないかと私は想像していますがどうでしょう?仮に〈術〉だけ知っていても背景になっている思想文化の〈味〉を知っていないと、たぶん効かないんじゃないでしょうか。いや、もしかしたら効かない方がいいのかもしれませんね。

またしても「ニワカばなし」になってしまい恐縮ですが、芥見下々さん原作『呪術廻戦』では、この世の秩序を守る側の呪術師が、のろいや負の感情の具現(作品中では「呪霊」という造語になっています)を「祓う」ことで自らの中に「のろい」を再生産してしまう、というテーマを扱っているようです。

呪術師が力づくで「祓う」というあり方に疑問符をつけたのが、この作品の興味深いところでした。ただ、わが国の神道における用語「祓い」は、この作品で使われている言葉の意味とはかなり違うものと考えた方がよいと思いますね。

本日もお読みいただきありがとうございました。

 

(※1)サー・ジェームズ・ジョージ・フレイザー(Sir James George Frazer, 1854 ~1941)は、イギリスの社会人類学者、古典学者。原始宗教や儀式、神話、習慣などを比較研究した著作『金枝篇』(The Golden Bough, 1890)で有名。
(※2)この考えには当然色んな批判があるようですが、個人的にはそれらが有効な批判なのかは疑問が残ります。




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