青春…若く溌剌とした時代!
ある者はスポーツに汗を流し
またある者は恋に生きる
儚くもまばゆい光を放つ人生の黄金期に一人、鈍色に沈む男がいた。
名をN頭、高校時代の私である。
私には朋友がいた。
中村、奇しくも頭文字はNである。
二人に居場所はない、恋人もいない。
しかし趣味があった。
それは…
クソゲーハンティング
数多あるゲームソフトの中から、至高のクソゲーを探しだす遊戯。
それは、挑戦をよしとするフロンティアスピリットを動機としながらも
他方では失敗を約束されたデカダンスを内包する地獄の戯れであった!
説明させてほしい!
ネット技術が進展した昨今においては、YouTubeで検索するだけであらゆるクソゲーを視聴することができる。
しかし当時、そんなことは不可能であった。
今は数も減った町の小さなゲーム販売店を虱潰しに渡り歩き、名もなきクソゲーを掘り当てる。
それはさながらゴミ山に眠る一粒の金塊を探し当てる…否!
金塊に眠る一粒のゴミを探し当てるが如く、ロマンに溢れた営みであった。
ある日のことだ。
私と中村は、例によって定期券内の駅を渡り歩き、古びた中古ゲームショップにたどり着いた。
「におうな…」
中村が呟いた。
信じがたいことだが、クソゲーは店を選ぶ。
クソゲーが流れ着く店には、それ相応の風格というものがある。
日々活動に勤しむ我々が、それを見逃すはずもなかった。
入店。
すぐ右に試遊台が目に入る。
画面に映っているのは「トランスフォーマー コンボイの謎」。
確信…
この店は正気じゃない
レジの隣にはスター級のゲームが並ぶ。
クラスで言うなら人気者たちが鎮座するコーナー。
ここじゃない。
クソゲーは光の中にあらず、闇に潜る。
必然的に店の奥へと足を進める我々。
ふと中村の足が止まる。
目線の先に今日の相手が姿を現した。
『破壊王』
表紙には大きく「サラリーマン、壊しまくり」の文字。
裏面には「究極のストレス発散ゲーム」とある。
理性より先に感覚が告げていた。
このゲームはやばい
ピカソのゲルニカを初めて見た時のように、我々は言葉を失った。
強烈な作品というのはいつだって名状しがたいものだ、それが良きにせよ悪しにせよ。
何がやばいのか、言葉が追いつかない。
しかしもはや疑うことはできなかった。
クソゲーである
迷わず購入、私の自宅へ直行、我々は上着を脱ぐことすら惜しむ勢いでプレーを開始した。
詳細を語るのは控えよう。
今の時代、ゲームの内容はYouTubeで見られるのだ。
ここから先はあくまで主観。
あの時、我々の胸に去来した気持ちを軸に筆を進める。
ゲーム起動直後、流れたのはオープニング。
時間にしてわずか1分。
しかしそのわずか1分で、私はすでに途方もない不安感に駆られていた。
オープニングというものは本来、プレーヤーをわくわくさせてなんぼ。
テイルズオブエターニアのオープニングを見た時、私はこれから始まる冒険に対する期待感で、コントローラーを握る手に力が入ったものだった。
しかしクソゲーは違う
界隈のレジェンド的作品、デスクリムゾンのオープニングを見たことがあるだろうか。
「つまらなそう…」等といった言語化すらままならない。
何か巨大な霧のようなものに包まれたような感覚。
見知らぬ街にただ一人残され、日が沈み始めた時のような気持ち。
心の奥底からこみ上げる不安。
『破壊王』にはそれがあった。
まだ始めてもいないのに、軽い体調不良を自覚。
しかしまさにそれこそが我々の求めていたものだった。
クソゲーは正気じゃないが、クソゲーハンターもまた正気ではないのだ。
なにはともあれゲーム開始。
とすぐに異変を察知した。
まっすぐ走れない!
ただ走る、それが出来ない。
何となく前に進むことはできるし、曲がることもできる。
しかしとにかく思うような操作ができない。
ただの移動に伴う違和感が尋常じゃない!
操作性が悪いどころの話ではなく、もはや目的地に向かうことすらまともにできないのだ。
仮にもアクションゲームだというのに!
痛感する、当たり前のありがたみ
プレーヤーの意図したタイミングで歩き、止まり、攻撃する…それができることのいかに素晴らしいか。
ステージを横に進んでいくだけのシンプルなゲームデザイン、アクションも数パターンしかない。
難易度は高く、コンテニュー回数は10や20じゃきかない。
しかし圧倒的に面白い。
それを支えていたのは、思い通りに動くということ、すなわち快適な操作感である。
それはさながら空気のようである。
クソゲーは、いうなれば酸素濃度が極端に低い。
プレーヤーはたちまち酸欠状態に陥り、めまいや吐き気を引き起こす。
ただ我々もまた並のプレーヤーではなかった。
クソゲーハンターである。
スポーツに例えるなら、高地トレーニングを積んでいるようなもの。
我々は少ない酸素を取り込もうと赤血球を増加させ、ヘモグロビン濃度を上昇させながらプレーを続けた。
数時間後、我々は見事に全クリした。
その過程は困難を極めた。
その全てをここに書こうものなら、大学の卒業論文並のボリュームになってしまいそうなので端折るが、少なくともそれは「究極のストレス発散ゲーム」などではなく、むしろ究極のストレスとの戦いであった。
クソゲーのエンディングはいつだってあっけない。
演出は簡素で、物語もプレーヤーの理解を待たない。
名作のエンディングが高い山を登りきった先にある絶景だとするならば、クソゲーのエンディングというのは非日常からの脱出。
名作が大きなプラスを与えるのに対し、クソゲーはマイナスからの帰還。
とてつもない疲労感を抱えて日常に帰るのだ。
少しの休憩をはさむと、私と中村は棚からゲームを選び矢継ぎ早に遊んだ。
デッドオアアライブ、スマッシュブラザーズ、ストリートファイターⅢ…
どれもこれもあまりに面白い。
しばしの熱中…しかしやがて我々の手は止まり、中村は呟いた
「最高だ。でも…」
続く言葉を中村は言う必要がなかった。
私には聞こえていたからである。
すでに心は乾いているのだ。
完成された秩序は退屈をもたらし、やがて混沌を求める。
それはクソゲーハンターの性(サガ)。
明日もまた、2人は中古ゲームショップを渡り歩く。
我々の青春が輝きを帯びることはない