こんにちは。ぱなしのお玲です。
「最近の私って、すごく文化人類学者っぽいのかも」と感じることがあります。
私は、発達障害のことを少数民族みたいなものじゃないかと考えているんですよね。概念としてはアイヌ(ウタリ)とか、インディアンとか、アボリジニとか、そういうのと一緒じゃないかと思っています。
定型発達は、アイヌ(ウタリ)に対するところの和人(わじん)であり、インディアンに対するところの西洋人であると思っています。いわゆる、多数派。ドミナントな存在ですよね。
別に、どっちが良い/悪いというわけではなくて、ただお互いに異なった文化を持っているんですよ。
数は、後者の方が圧倒的に多いです。また単純な人数差だけではなく、人間社会に適したところを多く持つために、後者が世の中のマジョリティを形成している状態なのだろうと思っています。
私は、少数民族(発達民)出身の文化人類学者として、多数民族(定型民)の街に毎日出かけていってフィールドワークをしているような気になることがあります。

すごく面白いですよ。
私はASDの積極奇異型なので、グイグイと自己開示して場に馴染んで、定型民とコミュニケーションを取っていきます。
そうしていくうちに、「なぜ?」という疑問が湧いたり、「おお!」という新しい発見に出会ったりするんですよ。
それをいそいそと家に持って帰ってきて、いろんな角度から眺めてみたりして分析し、論文にまとめて世界に発表しているんです。
時には摩擦やトラブルなんかもあるんですが、そんなときは新しいサンプル採取の瞬間でもあるわけなので、意外と楽しめてしまいます。
相手文化を学ぶ一方、自分の文化を深く知ることにもつながるので、とても勉強になっていますね。
以前は「定型文化はすごい!」「私も定型民になりたい!」みたいなところがあったんです。「発達文化は欠けているから、定型民に合わせないと」っていう下から目線だったはずなんです。
なのに、文化人類学者の視点だと全然違います。
「あぁ~、定型民の文化ってそういうとこあるよね。ちょっと摩擦になりそうなところは、私が譲ってあげる。このくらいいいよ、合理的配慮ってやつ」という、謎の上から目線になってしまうときがあります(笑)ちょっとASDの尊大型っぽいところもあるのかもしれません。
でもこれは、自分を曲げて定型民に「同化」するのではなく、異なる文化を持つ者同士として「外交」をしている感覚に近いのかなって思っています。
発達障害という自分の文化に誇りを持ちつつ、定型文化も冷静に観察・尊重するスタイル。
私にとってこの積極奇異型(冒険家っぽい行動力)+尊大型(自己肯定感を保つ力)のハイブリッドな性格は、文化人類学者としては、最強のポテンシャルだと言えるでしょうね。
以上、
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
いつも感謝です(人•ᴗ•♡)