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釈迦に説法を嫌がる人の気持ちが分からない

 

「釈迦に説法」

 

知り尽くしている人にそのことを説く愚かさのたとえですが、これを異常にまでに嫌う人がいます。

自分が知っていることを言われると

 

「それ知ってる」

 

とか言って、それ以上話すのを遮るのです。

私にはそーゆーことをする人の気持ちがわからない。

 

私も自身がよく知っていることを話されたりすることがありますが、即座に遮ること無く聞いています。

あまりに長くなりそうな場合は

 

「あ、それ、私も聞いたことがあります〜^^」

 

とやんわり言って、遮ります。

 

だって相手は、私がそれを知っているかどうかなんて、知らないじゃないですか?

相手は、良かれと思ってそれを話してくれているわけじゃないですか?

 

そうそう、釈迦に説法と話を遮る人って、ちょっとキレてるんですよ。

なんでキレてるんですか?

あなたがそれを知ってて言うなら嫌がらせですが、知らないんだから仕方ないじゃないですか?!

 

そうやって即座に遮ってると、他の人はもう、その人に何も情報を与えないようになると思うのですよね。

 

私は情報が入ってこなくなって裸の王様になるのは嫌なので、知っている情報でもある程度は遮らずに聞くようにしています。

 

これ、「一度聞いた話」も同様だと思うのですよね。

釈迦に説法を嫌う人は、「一度聞いた話」をされるのも異常に嫌がります。

これ、年を経ると分かるのですが、何を誰に話したかなんて、忘れちゃうんですよ。

言わせとけばいいじゃないですか。

それを即座に「それ、前にも聞いた」って遮ると話している方は悲しいし、嫌な気持ちになるじゃないですか?

そうすると次からはもう(以下略)

 

というわけで、私は、釈迦に説法もある程度はそのまま聞くし、
一度聞いた話もある程度は聞こうと思います。

 




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