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AIがゲームをプレイし、それを人間が眺める(そして楽しむ)。そんなことがこれから起こるのだろうか?
そういう予感を持ったうえで上掲リンク先を眺めてみると、なるほど、初手で「採掘」「交易」「海賊行為」といった大まかな指示を出す以外は指示が出せないゲーム、らしい。
こういうのを見ると、『シヴィライゼーション』のようなシミュレーションゲームで、特定の文明や地形を設定・配置し成り行きを眺める、そんな遊びを連想する。そういう遊びをしたい日もあるし、LLMが操作することで従来のAIとは違ったプレイが目撃できる可能性もあるかもしれない。
ただ、本当にそれが今日のゲームプレイに取って代わるほど面白いかって言ったら、そうじゃないと思う。AIが勝手に戦うのを眺めるのは、試験管やペトリ皿のなかで菌がどう増殖していくのかを眺めるのに似た楽しみがあるが、それがゲームプレイの主流、ひいてはゲームの楽しさの主流になるかと言われたら、とてもそう思えない。
なぜならAI同士の戦いはたまに眺めるぐらいがちょうど良く、なんなら一晩PCを動かしっぱなしにして、翌朝に結果を眺めるぐらいでも構わない程度のものだからだ。それよりもずっとあり得て、有意義に思えるのは、もっと凝ったAIが導入されることで既存のゲームの楽しさがもっと磨かれたり、もうちょっと違ったゲームプレイが楽しめるようになる近未来だ。
なんとなく、そのあたりについて書きたくなったので書いてみる。
LLMがAIとして活躍してくれそうなゲームを想像する
2020年代に広く知られるようになったLLM。そのLLMが従来型のAIに取って代わることで、既存のゲームをもっと面白く、遊びやすくしてくれる可能性はあるか? あると思う。さまざまな可能性がただちに連想される。
例が古くて恐縮だが、たとえば『ガンパレードマーチ』のような複数のNPCがAIによって動かされるゲームの場合、今までよりも柔軟で行動に幅のあるAIが採用されたら、今までよりリアリスティックだったり、プレイヤーの意表を突いてくれるゲームになるかもしれない。オープンワールドRPGの場合は、敵や味方の動きにバリエーションが生まれよう。『艦これ』型のゲームや『アイマス』型のゲーム、凝った恋愛シミュレーションゲームでも、精度の高いAIがうまく噛み合ったら面白いことが起こりそうだ。
ただ、NPCのロールを引き受けるのはともかく、プレイヤーキャラクターの挙動やプレイヤーの采配や選択をAIが肩代わりし過ぎると、プレイヤーがゲームに介在する余地が乏しくなり、ゲームとしての面白さを毀損する結果になるかもしれない。
このあたりで思い出すのは、ソーシャルゲームの自動育成や自動戦闘だ。ソーシャルゲームには、プレイヤーの可処分時間や可処分注意力を軽くするために、自動育成や自動戦闘をAIに任せられる仕組みがしばしば実装されている。だが、それらは能力的制限をかけられ、人間自身のプレイに比べて「下手」であることが多い。そうする理由はわかる。もし、AIが「本気で」育成や戦闘を代行してしまったら、人間がプレイするのと同等以上のプレイができてしまうからだ。
もし、自動育成や自動戦闘が人間よりずっと上手くなってしまったら、そのゲームはもう自動でしか遊ばれなくなる。そんなことをしたら、そのゲームのゲームとしての面白さのほとんど吹き飛んでしまう。面白くなければプレイされないし選ばれない。
「人間よりずっと上手いAIのプレイ」が面白くないさまを実感しやすいのは、対戦格闘ゲームやシューティングゲームでAIが操っている敵キャラクターが、超反応しているさまに出会った時だ。
対戦格闘ゲームやシューティングゲームの場合、コマンド入力も敵の攻撃の回避も、AIのほうが人間よりずっと素早く・正確にこなしてみせる。20世紀のゲームに搭載されていたお粗末なAIをもってしても、人間のプレイを凌駕するのは難しくなかった。これも古い喩えで恐縮だが、たとえば対戦シューティングゲーム『ティンクルスタースプライツ』の対戦相手の動きには、AIにはできても人間には不可能な超反応がたくさん含まれていて、たとえAIに対戦で勝てたとしても、手加減されている感覚、納得できない感覚がついてまわった。『ティンクルスタースプライツ』が人間と対戦したほうがずっと面白く、興奮するゲームなのは言うまでもない。
人間がプレイする面白さに勝てるのか、人間を眺める楽しさに勝てるのか
AI「が」ゲームをプレイし、それを人間が眺めるようなゲームが登場すると考える場合には、以下の二点が問われなければならないと、私は思う。
ひとつ。
それは本当にAIに任せて面白いゲームなのか。
『スイカゲーム』にせよ『ストリートファイター6』にせよ『テラリア』にせよ、人間がプレイするから面白い部分は小さくない。それらをAIの超反応に任せたってちっとも面白くないだろう。このタイプのゲームにおいて、ある程度ドジをふむAIをわざわざ作ったとしても、『ティンクルスタースプライツ』のAIの場合と同様、「はいはい、本当はもっとお上手なのにドジを踏むよう手加減してつくられているんですね」とならざるを得ない。『ヴァロラント』のようなFPSの場合はもっと顕著だろう。こうしたゲームの人間同士のプレイに超反応のAIやAIサポートが関与すれば「チート」と言われるしかないが、じゃあ、人間同士でなくAI同士の超反応対戦を見て面白いかと言ったら……たぶん面白くないと思う。人間同士で対戦したほうが楽しい。
というより、こういうタイプの従来型ゲームは、AI(同士)のプレイを眺めて楽しくなるようなデザインになっていない。
逆に言うと、ゲームのジャンルやデザインがちゃんと違っていれば、話は違ってくるかもしれない。
たとえば『艦これ』のようなゲームの場合、AIに戦闘などのかなりの部分を委任しつつ、一番おいしいところに人間の意思決定の余地を残しておけば、眺めて面白くなる余地はあるかもしれない。プレイヤーにどのような采配の余地を残すのか? プレイヤーの采配のどのような面白さを強調するのか? そこはゲーム制作者側の腕のみせどころだろう。
たとえば『Hearts of Iron4』において戦闘をAIにある程度任せてしまう、ああいうフィーチャーの延長線として、一番おいしいところだけプレイヤーが采配をふるうようなゲームの面白さができあがるかもしれない。その際、LLMをとおして人間っぽく創られたNPCの精度が高ければ、司令官ごっこがもっと楽しくなるかもしれない。このあたりは、AIを眺めていて楽しいか否かというより、AIをいかに楽しさに貢献させるのかの話だと思うので、いかようにも工夫の余地があるように思える。
ふたつ。
プレイヤーが一切介入しないでゲームが進行すると仮定した場合、「それで本当にAIのプレイを眺めたほうが、人間のプレイを眺めるよりも面白いのか」。
ゲームセンターで、対戦格闘ゲームや『ティンクルスタースプライツ』のデモプレイとして流れるAI同士の戦闘を見ても、正直あまり楽しくなかった。自分でプレイしたり、人間同士の対戦を眺めたりするほうがずっと楽しい。シミュレーションゲームのプレイをAIに委任し放っておくのも、たまに見るのは良いとしてもプレイする楽しさには劣っていた。まあそもそも、AIがプレイするのを見て楽しいとなると、もうそれはゲームではなく、何か異なった娯楽と言わざるを得ない。いや、この場合はそれでも構わないのかもしれないけれども。
しかし、そうしてゲームとは異なる娯楽が爆誕したとしても、人間がプレイするのを眺めるよりも面白い……なんてことはどれぐらいあるんだろうか?
たとえば将棋や囲碁は、AIのほうが強くなって久しい。けれども実際に観戦されているプレイはほとんどが人間同士の対戦で、AI対AIの対戦を観戦して喜んでいる人はあまりいない。それと同じことがゲームでも、特にゲーム実況の領域でも起こるんじゃないだろうか。
人間のプレイを眺めるのは楽しい。
人間ならではのミスがあったり、人間ならではの戸惑い、ためらい、勢いといったものがある。人間のプレイにはドラマ性があり、見ていてハラハラする。AIのプレイを観戦して楽しいと思う際には、これらが再現されなければならない、と思う。でも、それをAIでわざわざ再現するぐらいなら、人間が今までどおりプレイしたほうが面白くね? という印象は否めない。
そのうえ、人間のプレイヤーには固有の文脈がある。甲子園の高校野球選手やオリンピックの選手などがそうだ。私たちは選手たちのプレイ「だけ」を見ているのでなく、その選手、そのプレイヤーについてまわる「文脈」をも楽しんでいる。「文脈」と言ってわかりにくければ「ストーリー」と言ってもいいかもしれない。
なお、「文脈」は人間だけが持つとは限らない。競走馬などは、人間ではなくてもこうした「文脈」を持っている。つまり「文脈」には人間や競走馬の有限性や一回性が少なからず関与している。AIにそれに類似する性質を与えることは不可能ではないが、人間ははじめから「文脈」を背負っている。3年しかない高校生活、最後のオリンピック、引退直前のレースなどに匹敵する「文脈」をAIにを持たせ、観る者に感動を与えるのは難しいと思う。AIが機械仕掛けで、複製可能で、不老不死である限り、ここでいう「文脈」はたいして期待できない。
ゲーム実況は「人間が面白い」
そこに、「ゲーム実況者の面白さ」という問題も加わる。
ゲーム実況動画においては、実況者のリアクションも楽しみの一部だ。少し話が戻るが、ゲーム実況でも「文脈」は無視できない。どのような条件でゲームがプレイされているのか、たとえば、その実況者が初見でプレイしているか否かは、ゲーム実況の楽しみを左右する。
「文脈」の話はやめにしよう。
それはさておき、人間の実況者がプレイしている時、人間ならではの戸惑いがあったり、ミスがあったりもする。そのプレイの揺らぎも面白さに貢献する。逆に考えると、AIが同じくらい揺らいだプレイをしてくれるなら、いくらか面白くなる……のかもしれない。その場合、良い意味でAIはポンコツである必要があるように思う。しかし、そんなポンコツAIをわざわざ準備するまでもなく、人間の実況者は不完全で、揺らぐ存在だ。調子の良し悪しがあったり、変なことをしたり、勘違いをしたり、まぐれあたりに狂喜したりする。
それから人間のエモーショナルな反応。
ゲーム実況者はエモーショナルなメッセージの発信にも長けていることが多い。ある程度までは演技でも、ある程度からは実況者自身の感情を乗せるのがうまかったりする。それが役者というものだ。
ゲーム実況の少なくない割合はゲーム実況者のエモーショナルなメッセージやリアクションの巧さに支えられていて、且つ、ゲーム実況者がそのようにリアクションがとれるゲームが重宝する、という一面もある。ゲーム実況者が面白いリアクションを打てる状況の多いゲームは、おそらく、プレイヤーがプレイしている時にも「うわぁ」とか「やったー!」と声をあげたくなるような状況であるはずだ。そういうゲームとプレイヤーのインタラクションが起こりやすいゲームは、実況者が面白いリアクションを打つにも適したゲームであるはずで、そういう特質もゲームとしての面白さとしてちゃんと数え上げるべきだろう。そういうものもゲームをゲームたらしめている旨味成分の一部だと言える。
たとえば『スーパーマリオブラザーズ』シリーズで意外な場所に隠しブロックがあって、びっくりさせられるショートカットが使えたり逆に理不尽にミスしたりする場面などは、実況者が面白いリアクションを打ちやすい状況であると同時に、プレイヤーが声をあげたくなる状況でもあり、ゲームをゲームたらしめている大事な一部だ。ゲーム実況者はそういう状況に際してプレイヤーを代弁するようにエモーショナルなリアクションを打ってくれる。そうした面白さは、わざわざAIに再現させるよりも“天然の人間”の実況者がやったほうが面白く、自然なはずだ。そこにも人間固有の揺らぎが宿る。
いつか、AIもそうした揺らぎやエモーショナルなリアクションを模倣できるようになるかもしれないが、わざわざそうしたところで、プレイヤー自身の生の体験や、優れたゲーム実況者によってアウトプットされるエモーショナルなリアクションに匹敵するとは、私にはなかなか信じられない。
そもそも、そういうエモーションが動くような体験こそ、自分自身でプレイするにせよ実況者のプレイを眺めるにせよ一番面白いところ・ゲームらしい旨味が詰まっているところだから、そんな面白いところをAIに食わせてしまうのはもったいないし、それじゃあなんのためのゲームかわからない。
まとめ
まとめると、人間に代わってAIがゲームをプレイするとしたら、AIにゲームの面白さを食われるかたちは厳禁だろうし、人間ならではの面白さ(人間の有限性も含めた文脈、揺らぎ、エモーショナルなリアクション)を奪うかたちも厳禁だろう:そう現在の私には思える。そもそも、それらの面白さを潰してしまったりAIに食わせてしまったりしたら、ゲームのゲームたる部分、ゲームにあって他のエンタメには無い面白さの相当部分が削げ落ちてしまう気がする。
そのことを踏まえたうえで、たとえばAIが巧みにNPCを操作することで従来は期待できなかったゲーム体験が実現したり、ゲームの長所を殺すことなく新しい快適さを提供できるゲームが出てきたりしたら、それは楽しみなことだと思う。その場合も、ゲームがゲームである以上、なんらかプレイヤーがプレイヤーとしてゲーム体験に関わり、キャラクターや状況にもコミットする──それも、楽しくコミットできる体験を期待したい。
将来、LLMをAIとして上手に使ったヒットゲームはなんらか出てくると思う。でも、人間こそが最善最適のプレイヤーである、という点を外してしまったら、それはゲームという娯楽以外の何かになってしまうと思うので、ゲームというからには、これからも人間とインタラクションすることに最適化され続けて、とどのつまり人間のための顔を失わないんじゃないかな、と私は予想する。おわり。