SNSで一緒に遊んでいただいている領域で、「文筆業のプロや小説家になるにはどうすればいいのか」といった話が延々と続いていた。
この話題はSNS上で……というよりインターネット開闢から繰り返されてきたものだし、世の中には「小説家になるための本」や「文章術の指南書」もたくさん存在している。
今回、はじめに私の目に飛び込んできたのは、前島賢さんのメンションだった。
だから「小説家になるための体系化されたトレーニングは今の所確立されていない。なりたいという君に対しては、とにかく書けしか言えない。体系化された教育システムがないことに耐えられないなら諦めた方がいい」と言っています。
— 前島賢 (@MAEZIMAS) 2026年2月22日
前島賢さんは、体系化されたトレーニングは今のところ確立されていないとおっしゃる。小説のことはあまりわからないが、「とにかく書くしかない」ってのはわかる気がする。なんにも書かなきゃうまくなりようがない。
と同時に、努力すれば開花する素養・素質が全員にあるとも思えない。ものすごい時間と労力を費やして、なんの成果も得られない小説家志望者もあれば、少ない試行回数でもデビューしてしまう人もあるという。
これは、ライター業やノンフィクション分野もそうだと思う。書いている量はすごいし、当人も努力している自覚があるのに、あまり上達しない人がいる。かと思えば、はっきりと人を惹きつける文章をオンラインで書き始め、たちまち頭角をあらわしていく書き手もいる。文章づくりに、はっきりとした才能差・能力差があるのは明らかだ。だから誰でも再現可能とは私にも信じられない。
それは小説に限らず、まんがでもイラストでもスポーツでもそうだし、なんなら会社員でもそう。人間にはなりたいものになれないという残酷な格差が生まれつき存在している。頑張っても社長にはなれないのと同じ。
— 江波光則 (@enami_mitsunori) 2026年2月22日
「欲しいものが手に入らない」は恋愛でもそうだし金稼ぎでもそう。簡単に手に入れられる人もいれば手に入らない人もいる。それを埋めるには努力しかない。そして残酷なことに、俺が今さら頑張ったところで大富豪にはなれない。努力の無駄。諦めろ。
— 江波光則 (@enami_mitsunori) 2026年2月22日
江波光則さんのこれらのメンションは、文章づくりはもちろん、色々なことに当てはまると思う。人間は、なりたいものにはなれない。なれるものになるしかないなかで、せいぜい、自分の願望をなれるものに寄せていったり、なれるもののなかで自分がなりたいものに近い領野を拡張していくしかない。どうやってもなれないものに執着しすぎるのは不器用で、危険な行為ですらある。だから、「なりたいものになるための努力」だけでなく、「なれるものになりたくなる努力」や「なれるものとなりたいものを近づける努力」、「なれるものとなりたいものを関連づける努力」も意識したほうがいい。本当はどれも、世渡りの技術として切実なのだが、「なりたいものになるための努力」ばかり注目され、他はあまり顧みられているとは言えない。
話が逸れた。
しかし、わりと誰でも文章力を底上げできそうな方法は、あると思う。それが、これから挙げる「写経」と「要約」だ。この二つは、望ましい文章を出力するためのプラクティスとしていけているし、実際、私以外でも少なくない人がこれらをやっていると聞いている。私自身は今でもあてにしていて、基礎練習のように続けている。
写経、楽しんでますか?
まず写経について。
ここでも江波光則さんのメンションを紹介したい。
これに関しては持論があって「好きな作家の作品を一字一句写本する」を一回やると、めちゃくちゃに書き方が分かる。十万文字の配分とか、どのタイミングで句読点打ったり改行したり、どこでどういうカードを切るか、とかが身に染みて分かる。一回でいい。分かんなきゃ何回もやる。
— 江波光則 (@enami_mitsunori) 2026年2月22日
私は一冊丸ごと写経したことはないが、一章単位での写経は昔からやっていて、今でもダイジェスト版をXやブルースカイなどに放流している。写経をやっていると、文章のペース、句読点のタイミング、話の展開、いろいろなことを考えさせられる。黙読しているだけでは気づかなかったが、写経をとおして気づき得ることは多い。
音読が面白いこともある。音読という行動は黙読とはなにか違うらしく、気に入っている本を音読してみるのはためになることだ。とりわけ小説の音読は面白いと思う。気に入った箇所を音読し、その調子を味わってみて、そのテンポ感や言葉遣いを噛み締めたい。それが、自分自身が書く力にも繋がると私は勝手に思っている。自分で書いた文章もときどき音読してみたほうがいい。音読して違和感があるなら、とりあえず「要推敲」の付箋を貼りつけておきたい。
写経の対象は何が好ましいのか?
最初は、自分が写経したいものを写経すればいいのだと思う。
私がはじめて写経したのは、以下だった。

メガドライブで発売された名シミュレーションゲーム『アドバンスド大戦略』の取扱説明書の後半には、登場する第二次世界大戦の兵器についての解説がついている。私はこれをワープロでひたすら写経していた。

たとえばこのページにはイギリスの歩兵戦車、マチルダIIやチャーチルについて解説が書かれている。中学3年生の頃の私は、ワープロの漢字変換や記号変換に慣れるついでに、これらを片っ端から写経していた。
その次に写経の対象になったのは、アーケードゲーム誌『ゲーメスト』だ。ゲーメストの攻略記事のなかでお気に入りのものを写経し、それをテンプレートとして真似しながら自分バージョンのゲーム攻略文章を作っていた。というのも、『ゲーメスト』の攻略記事の公開スピードは自分で攻略するスピードとたいてい一致しておらず、自分自身のニーズや技量にぴったり当てはまる内容でもなかったからだ。*1。学生時代のわたしは、『アドバンスド大戦略』の取扱説明書や『ゲーメスト』の文章を写経してディープラーニングしていたのだと思う。
あと私は、翻訳された書籍の文章もよく写経する。
父親になることでテストステロン濃度が変化するが、それは文化や子どもと接する時間の長さによっても大きく影響を受ける。たとえば、タンザニアの遊牧民族ハザ族の父親は、頻繁に赤ん坊を抱きかかえ、食事を与え、一緒に遊んだりしている。一方で近隣の定住牧畜民俗ダトガ族の父親は、子どもを母親やその他の養育者に任せっぱなしにする傾向がある。どちらの父親のテストステロン濃度が低いか、読者のあなたなら容易に想像できるだろう。もちろん、ハザ族の父親である。ハザ族の父親のテストステロン濃度は、子どものいないハザ族の男性よりも50%近く低かった。一方でダトガ族の父親のテストステロン濃度は、子どもがいないダトガ族の男性と違わなかったのである。『テストステロン』
こういう生物学系の文章でも、翻訳者の語彙のチョイスは参考になる。と同時に、写経とは自分の魂に文章を刻み付け、そこにある文章を自分の魂の一部に引き込もうとする作業でもある。覚えたい知識、真似たいセンテンス、そういったものを自分自身に刻み付けるにあたって、写経は非効率のようにみえて効率的なことだと私は信じている。
してみれば、私は誰かから知識や文章力を拝借したい時、身体性を重視しているのだと思う。写経の対象がリスペクトの対象であればなお良い。拙著『「推し」で心はみたされる?』でも書いたことだが、リスペクトに基づいた修練は技能習得がはかどる。リスペクトしたくなる書籍や文章は、好ましい写経対象だ。バンバン写経して、文章力も知識も吸い取ってしまえば良い。
要約というプラクティス
あともうひとつ、「要約」もすごく練習になると思う。
ライター技術論で一番実用性が高いのは、
— 82(ぱに)/平々八十二 (@82Aigis82) 2026年2月22日
「好きな作品の感想文を2000文字書いてください」
できました?では
「内容を変えずに1000文字にしてください」
「それもできたら500文字にしてください」
「200文字にしてください」
かな。削りは純粋なる技術。
ここで82さんがおっしゃっているように、要約はひとつの技術だと思う。要約の技術=小説や論説文を書く力とまでは言えないが、要約が文章表現の基礎技術のひとつであるのは否めない。同じ内容を2000字で表現するのと800字で表現するのでは、後者のほうが難しい。この点でいえば、X(twitter)の140字、はてなブックマークの100字といった制約も役に立つ。俳句や短歌も同様だ。
少ない文字数のなかでいかに多くの事柄を正確にモノが言えるのかは、その人の技量、ひいては面白さやフォロワー数にも直結する。Xやはてなブックマークの文字数制約のなかで努力するのも、文章表現の練習として馬鹿にしたものじゃないと思う。
実際、学生向けの国語の課題にも「要約」に相当する課題がしばしば登場する。小中学生に出される国語のテストには、本文の内容を(実質的に)要約させるタイプの設問がしばしば出てくる。問われている箇所を正確に特定し、それを要約する訓練が正真正銘の国語のトレーニングにも含まれているのだから、「要約」には練習に値する意義があるのだろう。
あと私の場合、新聞や雑誌とその作り手の人々から随分と教えていただいた。
新聞書評や雑誌書評では、400字や800字といった文字数の制約下でできるだけ多くの情報を正確に伝えなければならない。すごく単純化して言えば、その本の特徴を400字のなかで6つ挙げられる書評と8つ挙げられる書評なら、後者のほうが優れていると思う。できれば平易な文章で、なるべく面白く、リズム良く読める文章が最高だ。
これって、本当は活字に限ったことではないはずだ。
テレビ番組のなかでアナウンサーや芸能人のしゃべっていることも、本当はすごく情報が圧縮されていて、なおかつ、正確性がいつも問われていると思う。芸能人の場合、そこにエモーションの伝達や笑いの伝達といった課題も伴う。限られた時間で、なおかつ一発勝負の生放送でもそうした「要約」の必要性や正確性を見失わないアナウンサーや芸能人は、口語表現分野における「要約」の達人でもあると思う。ここでも「要約」だけが彼らの仕事を成り立たせているわけではないが、彼らの無駄の無さから教わることは少なくない。
話を戻すと、短歌や俳句でもXでもはてなブックマークでもブログでもnoteでもいいが、自分が見たもの・知ったもの・考えたものについて要約を作るのは、文章力を鍛えるトレーニングとしてすごくアリだと思う。冗長にならず、正確性もできるだけ犠牲にせず、不特定多数に読んでもらいやすいよう意識して文章づくりをして得られるものは少なくない。仕事の業務連絡でも「要約」はものすごく役に立つので、そういう意味でもやっておく値打ちはある。
まとめ
前島賢さんや江波光則さんがおっしゃるように、誰でも絶対に文章のプロやセミプロになれる銀の弾丸はないと思う。けれども文章の基礎練習として、「写経」と「要約」を繰り返して身体と頭にディープラーニングさせる方法はある程度まで有効で、私以外にもやっている人が多い。おすすめ。
*1:特に『エアーコンバット22』は自分向けの攻略記事を作らなかったらドッグファイトモード全機機銃撃破は達成できなかったと思う。ゲーメスト所収の記事は、まっすぐ飛ぶことすら困難な状態からのスタートには役に立ったが、ところどころ初級者~中級者の事情にそぐわない内容があるうえ、ドッグファイトモードに登場する敵のこまかな難易についてまでは教えてくれなかった