
冬の日、朝イチでこの日記を書くという習慣はいい感じだ。
続けばいいな、と思いながら始めた。
珈琲と半分のトーストを食べて、9時半に走り始めた。
きょうはちょっとだけ長く走ろう。
前半のゲストは作家の阿刀田高氏。
名前は知っているが、この人の作品を読んだことがない。
短編小説の名手で、短編作家として初めて直木賞を獲ったという。
高橋源一郎が、阿刀田氏の自宅で話を聴く。
源一郎氏75歳、阿刀田氏90歳。
聴いているとなんだか僕が天理の玉戸さん宅に訪ねている感覚になる。
僕68歳、玉戸氏80歳。
阿刀田氏の語り口がいい。
口跡がはっきりせず最初は聴き取り難かったが、聴いていて穏やかな幸福感を感じる。
源一郎氏が「落語家の師匠と話してるみたいでした」とスタジオで振り返る。
機嫌のいい人、機嫌のいいトシヨリを目指そう。

後半は若手の芥川賞作家3人と座談会。
町屋良平さん、九段理江さん、朝比奈秋さん。
恥ずかしながら名前も知らない。
当然、作品も読んだことがない。
調べてみた。
これを機会に面白そうと思った作品を読んでみよう。
「人生は長いと思うか、短いと思うか?」というテーマを話しているときに
九段理江さんが村上春樹の「プールサイド」という短編に言及していた。
僕もこの短編は記憶にある。
35歳になった春、彼は自分が既に人生の折りかえし点を曲がってしまったことを確認した。 いや、これは正確な表現ではない。正確に言うなら、35歳の春にして彼は人生の折りかえし点を曲がろうと決心した、ということになるだろう。 もちろん自分の人生が何年つづくかなんて、誰にもわかるわけはない。もし78歳まで生きるとすれば、彼の人生の折りかえし点は39ということになるし、39になるまでにはまだ四年の余裕がある。それに日本人男性の平均寿命と彼自身の健康状態をかさねあわせて考えれば、78年の寿命はとくに楽天的な仮説というわけでもなかった。
村上春樹. 回転木馬のデッド・ヒート (講談社文庫)
言及した九段さんはちょうど35歳だという。
この本の版が1985年、僕が読んだのはおそらく28歳。
35歳はまだずいぶん先のことだと思いつつ読んだのだと思う。
(村上春樹氏がちょうど35歳だった)
28歳のころの7年先って、十分に遠い未来だ。
いまや折り返して復路が終わろうとしている。
ゴールの70歳はすぐ先にある。
一年と一ヶ月か…。
長かったのか、短かったのか。
いまや生きてゴールにたどり着けるのかも確信がない。
走り終えるとヒロが地震があったという。
「このへんも揺れたよ」
まったく気づかなかった。
活動期の地球。
通勤時間に「プールサイド」をKindleで読み返す。
主人公が35歳を前に、全裸になって自分の肉体を鏡に映し点検するシーンがある。
28歳の僕もこの小説に影響されて多分やったと記憶する。
そして、きっと何かを決意したのだ。
当然、忘れてしまったし、その決意は十中八九うやむやになって蒸発した。
(28歳のころ、僕は今よりずっと太っていた)
ふと思いついてChatGPTに筋トレについて相談してみた。
こんな質問…
『68歳の男性です。相談したいことがあります。 鏡を見て自分の身体の筋肉が落ちてみすぼらしく思ったので筋トレをしようと決意しました。 いつもは水中歩行とストレッチしかしないスポーツジムで最新のマシンを試してみました。 5分も経たないうちに「自分には合わないな」と感じました。習慣化するのは無理だと。 いま続いているのはゆるいジョギングとラジオ体操第2とストレッチくらいです。 自重トレーニングの腕立て伏せも長くは続きません。 高齢者には筋トレが有効で必要だと聞きます。 がんばって無理にでも続けるべきでしょうか?』
素晴らしい回答が返ってきた。
要約すると…
筋トレを別枠で考えない。
ジョグの途中にもも上げ10回とかかと上げ10回とかを入れるとか。
高齢期の筋肉は「減らさない」だけで大成功です。
Jog&Walk・歩く・登山・自転車という好きな動きを軸に、ほんの少しだけ筋肉に合図を送る。
それが一番、長く続きます。
ChatGPTの人生相談。
また「ぷよねこ減量日記」のトピックを立てよう。
去年を顧みる。
いま走っている。
距離にして10月80㎞、11月102㎞、12月90㎞。
1月から3月までは走る習慣は続いたが4月から忙しさを理由にやめてしまった。
忙しいからではなく、3ヶ月も経つと飽きるのだ。
4月はまだ暑くもない。
6月までは何とか続けられると思う。
筋トレなどと新しいこと始めて、負担になって挫折するより、これを続けてみよう。
7月~9月の夏場の3ヶ月はどうするか、はまた考えたい。

午後出勤、準備作業を進めておく。
準備が破綻を防ぐ。