いままでカッコ良く言えば “軽やかに” にやってきたことが、めんどくさい と思うようになった。
この前、母(93)に会った。
当日の朝、同居の妹が「きょうお兄ちゃんが来るよ」というと、母がひとこと「めんどくさい」と言ったそうな。
パジャマを部屋着に着替えるのがめんどくさいということらしい。
さみしいけど、自分も何となく分かる。
長時間仕事をした翌日に登山したり、その翌日にマラソン大会で走ったりしてた。
いままで軽やかにやってたことに 壁が出来る瞬間、狹間ができる瞬間、ハードルが置かれる瞬間。
“かろやか” と “めんどくさい” のボーダーは、いつどこに、何をきっかけに敷かれたのか。
3年前、コロナ過にこんな日記を書いた。
ヒロと食卓で話した。
日常を越えて 〇〇がしたい という意欲は…ある。(その点はまだ大丈夫かな)
でも、したい、を実際に行動に移すかどうか? ここんとこが最大の障害だよね、と。
ぶっちゃけて言えば、“めんどくさい” のハードルが年々高くなっていく。
いやハードルは高くない、自分のジャンプ力が衰えたのだ。
“めんどくさい” を乗り越えろ。
現実的な問題は体力だ。
疲れることに臆病になっている。
先を読んで、それをやることを想像するだけで疲れてしまう。
疲れると即メンタルが弱る。
そうなると行かない理由を探し始める。
早起き辛い。
前日に疲れてしまった。
翌日のことを考えると止めた方が賢明では?とか。
あげくに、〇〇をやっても、〇〇へ行っても、楽しいだろうか? と思い始める。
あんまり楽しくないかも…と思い始める。
なまじ経験だけはあるので、あのとき(過去にも)やったけど、
たぶんこれもあの程度だろう、と見限って、行かない理由にするのだ。
やっても(行っても、観ても)疲れるだけだな、となる。
若い奴らの口癖みたいな、ダリいな、だ。
まったく賛意なし。
そう、やらない理由を探し始めたらヤバいのだ。
今日、そのめんどくさいことをした。
仕事やん。
文句言うな。
駅伝現場での取材である。
去年まで5年連続でしてる撮影なので慣れたものなのに、数日前から、ずっとめんどくさいと思っていた。
朝、7時前に起きる。
晴れている。
いいじゃん。
会社へ行き、カメラクルーをタクシーに乗せて神戸北区の現場へ向かう。
中継班と合流、僕らニュース斑は放し飼いで取材をすすめる。
駅伝は12時スタート、撮影は3時過ぎに終わる。
日射しが出て暑くなったが、空気は乾燥してたので快適。
神戸しあわせの村の木々に少し色づいているものがあった。
秋を感じる。
行きと同じタクシーで帰社。
めんどくさい が終わった。
仕事じゃん。
ちゃんとしよ。







いつもよりディープな西成の人々が活写されていた。
そういえば東大阪の住職と初めてジャンジャン横町で飲んだ帰りに
おっさん同士思いっきり拳骨で殴り合ってる場面に遭遇した。
血だらけで韓国映画かと思った。