
きのう自転車のカギを家に置いたまま出てしまったので、真夜中に歩いて帰った。
一昨日の木曜日が雨だったので自転車を駅に置いたまま歩いて帰宅した。
だから、きのうは駅まで歩いた。
斉藤哲夫さんのライブを見終えて深夜遅く自転車で帰ろうとしたがカギがない。
家のカギごと持って出るのを忘れていたのだ。
真夜中だったが、2日連続 歩いて帰宅した。
いつからだろうか、真夜中に武器も持たない老人がひとりで歩くのはちょっと物騒に思うようになった。
若い頃にはなかった感覚。
でも、無事帰宅。
で、今日夕刻、自転車を取りにふたたび駅まで3キロ弱を歩いた。
向かっている東の方向に満月に近い月が出ていた。
ビルの合間から出たり消えたりする月を見て歩く。
ピアノと詩の朗読。
amazonミュージックを検索した。
iPhoneで歩きながら聴く。
僕の知っている誰かも同じ月を見ている。
切ない感情。
きのう橋幸夫の訃報に触れた。
小学生のころの夏休みを思い出す。
子供会のバス旅行、橋幸夫の「恋のメキシカンロック」が流れていた。
調べたら新曲としてリリースされたのは1967年、僕は9歳か10歳、小学生だ。
夏休みと橋幸夫。
「恋をするなら」「あの娘と僕 スイムスイムスイム」も夏の歌だ。
🎵 炎のように燃えようよ 恋をするなら愛するならば
🎵 すねて渚に来たものの…渚は恋のパラダイス
きょうnoteで佐々木俊尚氏のこんな記事を見つけた。
「懐かしいあの曲」という同時代感覚は消滅していく?|佐々木俊尚
今年のゴールデンウィークにTOKYO FMが『LIFE TIME AUDIO マイファーストミュージック 14歳のプレイリスト』という番組を放送しました。「人は14歳のときに聴いた音楽で、その後の音楽の好みが形成される」という記事が以前ニューヨークタイムズに掲載されたことがあり、
そこからインスパイアされて「みんなが14歳のときに聴いてた音楽をたずねてみよう」というコンセプトになったそうです。
世代感覚はだんだんと消滅しようとしています。そして「時代の音楽」もなくなり、個人によって「14歳の音楽」がそれぞれが異なるという時代になっていくのかもしれません。その未来にわたしたちの「懐かしさ」はどうなっていくのでしょうね。
橋幸夫を一番聴いていたのは14歳ではなかったが、個人的にはもっとも「懐かしさ」を感じる。
橋幸夫さん。
子どもの頃、歌ってた好きな曲は他にもいっぱいある。
「江利子」「いつでも夢を」「チェッ・チェッ・チェッ」「雨の中のふたり」
今でも歌えます。

「ほぼ日」のYou-Tubeチャンネルで観た。
人生の先輩たちの鼎談動画。
*「対談(たいだん)」は2人で行う話し合いを指し、特定のテーマについて互いの意見や知識を交換する形式です。一方、「鼎談(ていだん)」は3人が向かい合って話す話し合いのことで、古代の器物である「鼎(かなえ)」が3本足であることに由来します
面白い。
自分はまだここまでの域にはいってないぞ、まだ少し先だぞと思っている。
まだこの人らが先にいるぞ、という安心感があるからだと思う。
本当はほぼ同じなんだけどね
自分の人生ってずっとそんなふうに意気軒昂な先輩を見て、まだ少し時間はあるな、と
安心材料、精神安定剤にしていたような気がする。
クマさん、篠原勝之(83)の話しぶりがいい。
7分あたりのクマさんの髪が伸びたという話に爆笑した。
「鏡ふっと見たらね、おじいさん!どこのジジイだコイツは?って」
「どこのジジイはよくいるね鏡の中に」と糸井重里。
土曜日はこんな感じで。
阪神の優勝マジックが1になった。
あした決まるかな。